41 三河武士
永禄5年5月
オレは再び三河に向っていた。
おそらく駿府では、そろそろ虎退治が始まる頃だろう。その為に、庵原親子には無理をさせた。5月は田植えの季節である。庵原家の足軽だとて、年貢の為には農作業をしなければならない。
だからこそ、それを前倒しにして余裕を持たせた。季節はずれの田植えによって、収穫量が減る可能性があるが、飛車丸は彼らの今年の年貢を軽減させる事で対応している。
庵原家にしてみれば、さらに手柄までもらえるので悪くない取引だろう。
で、オレがやってきたのは「善住寺」。
あれ?デジャブと思わなくもないが、前回の滞在から4ヶ月でまたお世話になる事になった。
そして、目の前には石川数正。
あれ?デジャブ?
セルフツッコミだが、もちろん理由があって呼び出したのである。
「約束は守ったぞ」
「嫌味か」
数正の言葉に、ツッコミを返す。まあ、確かに松平家は退いたし結果被害は出なかった。実際、今川家が退いた後に、再び松平家は攻撃を開始して三河統一を再開している。
「で、今日はなんのようだ?」
数正の言葉に、笑みを浮かべる。
「いや、遠江で面倒ごとが起こってな。三河もタダじゃすまなくなりそうでな。それを伝えようと思ってな」
「……」
オレの言葉の意味を知って、数正の目が鋭くなる。
今回の信虎の件は、三河に関しても無関係ではない。信虎が対松平の名目を掲げる以上、松平を攻撃する必要が出る。しかし、西遠江に勢力を確立したところで、松平家の間には、東三河の反松平家の豪族達が存在する。
当たり前だが、彼らの存在を信虎が見逃すはずがない。
「遠江で何があった?」
「下克上。独立勢力の確立だ。耳が痛かろう」
「……」
信虎の策。将軍家のお墨付きを持って、甲斐武田の武力ではなく、大義名分を背景に遠江で独立勢力を作る事だ。そしてこれは今川家に対する策でしかない。
松平家に対抗する勢力という大義名分を持つ以上、独立した武田信虎が松平家と戦う義務が生じる。少なくとも、ある程度の結果を伴わなければ、後ろ盾となった将軍家が納得しない。
故に、松平家を押しとどめたという実績が必要となる。
それはすべて初戦にかかっている。独立直後であれば、青天の霹靂で混乱する今川家の動きを無視して、全力で松平家を攻撃する事が出来る。しかし、信虎が取り込んだのは遠江の一部豪族でしかなく、三河松平家との勢力差は絶対とは言えない。
初戦で確実に勝利を得るには、将軍家の威光だけでは足りない。松平家に対して何らかの策があるはずだ。
しばしの沈黙。表情を消した数正の視線がオレを向く。
「……内通か」
「おそらく」
数正の言葉に首肯する。
三河武士の本質は頑固で忠義者である。
タケピーの父親と祖父が三河武士に切り殺されているが、それでも忠義者という評判を否定するものではない。
なぜなら三河武士は、松平家に忠誠を誓っているわけではなく三河に忠義を示しているだけだ。そして、三河の主が松平家となっただけの話である。
三河という生活基盤を保障してくれるなら、上に立つのが松平だろうと他の大名であろうと、三河武士は従う。
事実、今川家が三河を代理支配した時に、反乱が起こっていないのがその証拠だ。本当に松平家にのみ忠義を尽くしているなら、織田家に居る時や、今川家にいる時にタケピーの奪還くらい出来たはずだ。
三河の生活基盤に手を加えず、あくまで上前をはねていただけの今川家は、松平家を傀儡にする大名ではあったが、三河を保障してくれる大名でもあった。
それを見越しての三河を傀儡支配していた今川義元と師匠はさすがといえるだろう。
そして残念な事に、タケピーもそして助さんもその事に気が付いていない。三河統一に向けて城を取ったり領土を広げたりしているだけなら、今川家の治世にとって敵となり得ない。
「取り込んだ新参家臣。攻め落として従えた旧敵対家臣。心当たりはあるだろう」
「……」
戦国大名はそれらを支配してきた。下克上でのしあがり、野心を持って周囲を従える戦国大名にとって、これらの勢力の掌握は必要不可欠だった。
あきれ返るほどお粗末な統治体制によって、戦国大名はそれらを支配してきた。
オレの想定する信虎の策は離反工作による内乱の誘発だ。武田信虎に実質的な武力がない以上、縁のない三河の豪族にできる事はこれくらいしかない。
三河の北には武田家の領土である信濃がある。武田の武名は三河でも無視はできない。ましてや、松平に敗れた豪族たちにすれば、武田家の後ろ盾があれば勝機は十分にある。
ならばお前はどうする、松平元康。
彼らと同じ道を進むというのなら、そんな者に用はない。戦国大名として終わるがいい。それで満足するなら、オレ達の手で終わらせてやる。
だが、もし……
だが、もしも天下人徳川家康となるべき何かを持っているというのなら。
そして、それに気が付く事が出来たのなら。
その時こそ、オレの策は成る。




