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33 井伊谷の裏工作

永禄5年2月


石川数正との話を終えたところで、オレの三河での仮初め仕事は終わった。

本当の仕事をする為に、10日ほど「善住寺」に滞在した。

今年は豊作だったのか、そもそも寺なので収入源が別なのか、寺で出される食事は(精進料理だが)かつての岡崎城の食事と比べると大きく改善していた。

本当は、もう二、三日滞在したかったが、当初の目的をはたすべく、「今川軍が三河に進軍する」の情報が三河に届くのを持って、オレは遠江に出発した。




「……」


血の気の引いた顔で、一人の青年がオレの差し出した書状を読んでいる。

周囲に人はいない。内密の話ということで人払いをしてもらっている。もしかしたら隠れているのかもしれないが、別に問題はないので気にしない。

オレが差し出した書状は、武田信虎から出された書状である。

庵原親子に動いてもらい、信虎が上京する前に出した遠江の豪族への書状を回収してもらっていた。信虎が駿府を離れ上京したことで、オレ達の動きは信虎には秘されている。オレが信虎の上京に同行した事で、信虎がこの件を確認できないように制限もさせてもらった。

そして書状の内容はこちらの想定どおり、武田信虎による遠江豪族取り込み、独自勢力を作る為に協力するやり取りだ。


「すこし、軽率が過ぎましたな」


オレの言葉に書状から顔を上げたのは、遠江の豪族で井伊直親いいなおちか

遠江の西部にある井伊谷いいのやを領地にする豪族で、三河と国境を接している。それゆえに、松平家の三河統一に向けての現状に、危機感を覚えたのだろう。

駿河に引きこもり、遠江に対して消極的な今川家を見限り、武田信虎の誘いに乗るというのは、地元豪族の選択としては間違いではない。

……問題は、この件に関して、当主であるはずの井伊直親がまったく知らなかった事だ。そこに記されている名前は、井伊家の有力者や、井伊家の親族の名前がありはするが、井伊直親自身の名前は記載されていない。

青天の霹靂で反乱に加担していましたとか、血の気が引いても仕方ない。


当主もビックリなこんな話になっているのは理由がある。武田家の時にも言ったが、統治体制がお粗末極まりないからだ。

そもそも、井伊家の最近の歴史からして混迷を極める。

今川義元時代に、今川家に対立する側に付いた為に関係が悪化。そんな状況で、直親の父(当主の弟)が武田家に内通しようとして粛清され、直親は信濃に逃げる事になる。

その後、今川義元に許されて遠江へ戻るが、その後に井伊家当主が戦死。後を継いだ嫡男(直親の従兄)も桶狭間で戦死した。

こうして井伊直親が家督を継いだのは、帰国してからわずか五年後である。海外留学して帰ってきたら伯父とその子が死んで、入社五年目で社長になったようなものである。

で、今回部下や親族が勝手に外資系会社に身売り。親会社にそれが発覚。今ここである。

武田晴信の時にもいったが、どう見ても親族が画策した傀儡の当主であり、失敗時の生贄スケープゴートでしかない。

余計な口を挟む隙を与えず、どうしようもない状況になってから話をして事後承諾させるつもりだった以外に考えられない。


「無論、氏真様もこのことはご存知です」


オレの言葉に、直親の顔から流れる脂汗が襟元を濡らす。

チラッと直親の手元にある刀に目をやる。もちろん、オレは何も装備していない。装備していても、向こうは職業人殺しの武士で、コッチは無力な坊主。勝てる見込みはないだろう。

なので、笑みを浮かべながら最悪の選択を避けるように教える。


「この後、拙僧は氏真様の軍勢に合流するよう命じられています」


荒い息をしながらこちらを見る井伊直親。ここでオレを斬れば、今川氏真の軍勢の目がこちらを向く。その為に情報が流れるのを三河で待ったのだ。今川家が軍を発したことは遠江でも周知の事実だ。井伊家も当然それを知っているだろう。

今川軍五千はすでに遠江に入っている。井伊谷は三河の国境線。すでに指呼の間だ。井伊家に今から兵を集める時間もないし、集めても対抗策はない。

この時代、部下の罪は当主の罪だ。「秘書がやりました」で許されるのは(社会的には許されないが)、民主主義の現代の話。一族郎党連座がありえる連帯責任の戦国時代の刑法では、「知らなかった」では許されない。


どう見ても『詰み』である。

その事実を突きつけられ、直親は肩を落とすと、諦めるように大きく息を吐いた。


ゆっくりと笑みを浮かべる。

ある敏腕セールスマンは言った、「帰ってくださいと言われてからが交渉です」。


「そこで直親様。協力いたしましょう」


オレの言葉に、何を言っているかわからないと呆けた表情を向ける直親。


「今川家のために働いてみる気はありませんか?」


井伊直親に頼むのはほかでもない、武田信虎の近くにもぐりこむ事が出来ないので、彼が手勢にしようとする遠江の豪族をこちらにつけるのだ。

このまま、身の潔白を示すべく直親が親今川派として計画に反対したら、そもそもが傀儡の当主である、そのまま謀殺されて新しい当主(傀儡)が立てられる可能性が高い。

そこで、直親には親族達の計画を積極的に協力するように命じる。

運がいいのか悪いのか、オレの持ってきた書状には、武田信虎の計画に好意的な親族や家臣の名前が載っている。彼らを集め、計画を知った事にして協力し、その裏でこちらに情報を流してくれればいいのだ。

傀儡とはいえ当主は当主。彼らは自分達で当主に建てた手前、その扱いをおろそかには出来ない。失敗時の責任を背負わせる為に、彼主体で計画を進める必要が出てくる。


とはいえ、それは微妙な作業だ。親族を騙し、武田信虎を騙し、信虎にそそのかされた他の遠江の豪族を騙す事になる。

なので、オレの計画を不安がる直親に教えてやる。

どんな損があるのか?と。


オレの作戦通りに今川家が勝った場合、氏真様の指示でこの反乱の内部情報を流した井伊家の功績となる。計画を知った直親様が、氏真様に報告し、計画転覆の為にあえて敵に与したとする。その為に、飛車丸に安堵状を書かせてある。

そもそも、遠江の統治の正当性は今川家にあるのだ。過去に今川家に敵対していた背景を使い、遠江への帰参を許した今川家に忠誠を尽くしたとすれば、名分すら立つ。

そして、今川家にとって不幸な事に作戦が失敗し、信虎の計画が成功したとしても、遠江で出来た一大勢力の初期賛同者として井伊直親は重用される。武田信虎の指揮の下で、武田家の武力を背景に遠江での地位が確立する。

どちらに転ぼうとも、損はない。気楽に行けばよいのだ。


「うまくいきそうなら、本当に離反して勢力を立ててもよろしいですぞ。はははは」


冗談めかして言ってみたが、青い顔をして激しく顔を左右に振る直親様。

あれ、ここは笑う所なんだがな。すべったか……


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