29 戦国の世であるなら
永禄4年11月
今川家は久しぶりの慶事に沸いていた。
駿府の町は明るい雰囲気に包まれた。誰もが笑いあい、祝い使者や祝辞が今川館に集っていた。
今川氏真の正室である早川殿の御懐妊。
「やったぜ」
満面の笑みの飛車丸。
そんな幸せそうな奴の尻を蹴り上げながら、かけてやる言葉はいつものとおりだ。
「地獄に落ちろ」
呪わないといったな、あれはウソだ。
とはいえ、残念ながらオレがわざわざ今川館に来たのは、飛車丸を祝う為ではない。
いつもの私室ではなく、今川館の部屋の一つに入る。そこにいるのはオレと飛車丸。それと庵原親子だ。
「遠江か」
飛車丸が眉間にしわを寄せてつぶやく。
信虎が遠江に勢力を確立するべく連絡を取っていた。その報告をしたのだ。その意味を理解すると、飛車丸は軽くため息を吐いて、眉間のしわを指で慣らしながら聞いてくる。
「承豊。それは信玄の策か?それともじい…信虎の策か?」
「甲斐の虎でも、駿府では威を借る狐にしかなれん。虎には耐えられんのだろう」
武田家は川中島の被害からまだ回復していない。この状況で、北条家を敵に回す可能性のある行動を起こすのは危険が大きすぎる。
そこは信虎も理解しているはずだ。となると、将来のための布石か、あるいは何か秘策があるのか・・・
「川中島の後より、信虎からの連絡の頻度が増しているのですね?」
オレの話に、庵原忠胤が肯定するようにうなずく。
連絡の頻度が増えれば発覚の可能性は増える。結果、秘するべき遠江とのやり取りが発覚したわけだ。
では、なぜ秘するべきやり取りの頻度を増やしたのか。
「理由は、やはり川中島の戦いでしょう」
一つの確信をオレは持っていた。
信虎による遠江での勢力確立は、武田家の力を背景にしている。
そして、信虎の武田家を動かす力。それは自分を追放した武田信玄ではない。
武田家当主ではなく、武田家を動かせる影響力を持つ人物。武田信玄がその発言を重視する武田家の中枢。歴代の重臣でもなく、子飼いの譜代でもない重要人物。
つまり、武田信玄の実の弟。武田信繁。
信虎にとっては目を掛けていた実子。当然そのつながりを断ち切る事は出来ない。
信虎は信玄の敵でありながら、甲斐武田家の繁栄を願う人間だ。
そして、信玄自身駿府今川家の武田派閥の強化及び情報提供は友好国であるがゆえに疎かにはできなかった。
とはいえ、武田信玄本人が武田信虎と親密な関係を結んでいたら、当主にして父親を追放した正当性を自ら失う事になる。
そんな両者の仲介役として、これほどの適任者はいない。
そして、川中島にて武田信繁討死。
武田信虎の武田家への連絡頻度の上昇。その理由はこの一文に他ならない。
信虎は遠江を動かす武力的背景の重要な縁を失った。それを取り返すために、次の相手とのやり取りが必要となる。発覚する危険を犯してでも、武田信繁の地位を引き継ぐものとの関係の確立。
その相手、同等の権力を持つ武田家の中枢人物を予測するのは造作もない。
武田家嫡男 武田義信。
武田信繁が武田家の副将なら、武田義信は武田家の次期大将だ。ある意味、武田信繁の信用を超える。
「しかし、信虎が武田義信と繋がる理由は?」
「武田義信の傅役は飯富虎昌。虎は信虎の虎か。縁は繋がっている」
適任者につながる縁もある。コネも縁も。話も。その先も。
川中島以降の連絡回数の急増。遠江の連絡経路の発覚。
そして、今川家が三河のみならず遠江すら掌握できぬ現状と、武田信玄が上杉との決着ではなく三国同盟破棄からの東海への侵攻の可能性。
オレが信虎に提供した情報によって繋がるのだ。
「ならば急いで信虎を」
「まだです。まだ監視でとどめるべきです」
「しかし、このままでは…」
「まだ、おおよその予測が付きます」
まず、甲斐武田家は川中島の敗戦による被害の建て直しがまだ出来ていない。
信虎のクーデターはあくまで武田家の武力が背景にあってこそ。そうでなくても三国同盟違反となる危険な手だ。最悪北条家と事を構える状況に対応できなければ、武田家もこの話を受け入れられないだろう。
そしてもう一つが、遠江の豪族が求める保証だ。信虎に従って口車に乗って武田家の協力がなく今川家にすりつぶされては意味がない。今川家にいる信虎だけではなく、武田家からの保障が必要になる。武田信繁亡き後、次代の武田家棟梁である武田義信の保障が。
それは当然、信虎と義信のやり取りが完了しなければ示すことはできない。
「信虎が遠江で勢力を作るためには、どうしても遠江と甲斐武田。双方への信用が必要となります」
「そこを討つのですな」
納得行ったと言う顔で言う忠胤。
「いいえ」
しかし、それはオレの否定の言葉で再び困惑の顔に戻った。
オレは目を細め笑う。同時に、飛車丸の顔から笑みが消える。
二人の異なる表情から出た言葉は、しかし同じであった。
「「奪う」」
今は戦国時代というらしい。なら、らしくしようじゃないか。




