22 人質交換
三河から石川数正が駿府へ到着。
今川館で、今川氏真と面会。もちろんオレも同席する。
その中でお互い人質交換の内容を再確認し、お互いに齟齬がないことを確認した上で合意。両者が書面にしたためて交換。
人質の交換は4月末と決まった。
まあ、無難な日程ともいえる。4月末から5月にかけて田植えの繁忙期だ。そして田植えをする農民とは足軽。すなわち兵隊である。
この時期は、田植えに人手が取られているので、下手に戦争をすると年貢に影響が出る。その為、この時期の大規模な軍事行動は避ける傾向にある。
つまり、人質交換を逆手に取った騙まし討ちになる可能性が低いのだ。
……皆無ではないのはご愛嬌である。
一応、コチラからは遠江までは護衛がつく手はずになっているが、三河に入るのは、規定の人数までとなり、武装も制限される。
人質交換のゴタゴタを避けるために必要な取り決めである。
そうしないといけない実例があったから、とか考えてはいけない。(例:竹千代の尾張誘拐)
「え、オレも行くの?」
「当たり前だろ」
もういいじゃん。と言いたいけれど、オレは一応三河との交渉窓口。
そうでなくても今川家に好印象を持たない三河松平家だ。向こうとの交渉のやり取りとして、とりあえずは実績のある人間が必要という事なのだろう。
何かあった場合に殺される人間第一号である。
まあ、ほら。オレ寺の人間で坊主だし。三河って一向一揆で分裂の危機になるほど信心深い人たちだから、大丈夫だよね。
冷静に考えてみると、残り半分は「相手が仏だろうと知った事か。ぶっ殺してやる」って人間なんだよな。
助けて助さん!!
「石川殿ならもう三河に帰ったぞ」
……だよね。向こうだって人質の用意がある。帰って急いで用意する必要があるわけだ。
さて、人質交換は三河の地で行われる。
「あっそ。ふ~ん」で、終わりそうなのだが、実はコレには重要な意味がある。今川家は遠江まで護衛をつけて移動する。三河に入る際、そこで所定の人員と装備に変更して、護衛とはいったん別れる事になる。
大事なのは、この行動が「どこまでが今川の領土で、どこからが敵地(松平の領土)と認識しているか」という指針になる事だ。
もちろん、公式なものではない。しかし、両者の”同意”を持って行われる以上、大名家の認識を、そこに住む豪族達にも示す事になるのだ。
今まで今川家の領土だと思っていた三河の豪族が「あれ?ここって今川家から領土と思われていないの?」という認識に変わる。それは、今後三河を手に入れようとする松平家にとっては重要な問題になるのである。
今回の人質交換をわざわざ三河の地で行うという事には、そういう効果があり、松平家にとってメリットがあるのだ。
まあ、三河松平家の復興を願っているので、それはそれでこっちのメリットでもあるんだがね。
ついでに、遠江の豪族に今川家が遠江を渡す気はないという意思表示にもなる。まあ、意思表示でしかないから、まさに焼け石に水だ。
三河での人質交換は、問題なく終わった。
駕籠に乗った人質を、オレと駕籠の担ぎ手だけで進み、向こうも同じように駕籠に同行した石川数正と進む。中間地点で、双方の担ぎ手が交代して戻っていく。その間、同行していたオレと数正はその場で残る。
自分達の陣営に戻り、駕籠の中を改め、対象の人物であることを確認して合図を送り、ようやく人質交換も完了。
松平側では、駕籠から降りて赤子を抱いた瀬名の方が、こちらを見て軽く頭を下げる。同じように一礼して返礼する。
「まずは一段落か」
「お互いにな。だが、まだ先は長いぞ」
石川数正が安堵のため息と共につぶやくので、笑って答える。
この後、尾張織田家との同盟に始まり、三河豪族の切り崩し作業が待っているのだ。そうでなくても地元密着型の三河武士しかいない土地で、外交交渉が出来るのは、当主松平元康と共に臨済寺で(この時代の)高等教育を受けた石川数正しかいない。
まあ、それじゃあ駿府にはいるのかよ?といわれると、縁戚関係以外で他国の大名とやり取りが出来る奴がいないんだけどな。まあ、だからオレに仕事があるともいえる。
ぶっちゃけるが、人質交換の協定の話をした際に、重臣一同から何の質問も来なかったんだが、この交渉の意味を理解していたのか疑問だ。
「お互い苦労をするな」
うん。コレ、正直な意見。オレの言葉に苦笑いを浮かべる助さん。
「お前に言われると、変な気分になるな」
「まあ、そう言うなよ。じゃあ、またな」
「……ああ。また、な」
あまり長くとどまると「あれれ。内通してるの?」とか疑われるので、挨拶を済ませてさっさと離れる。
さあ、遠江の護衛のところまで帰ろう。さすがに、帰りに襲われるとは思わないけど、危険は少ないほうがいいよね。




