20 三河岡崎療養中
三河で怠惰に過ごしている十英承豊です。
とはいえ、問題がないわけではありません。
かつて、松平元康君がまだ駿府で人質生活を送っていた頃、三河に一時帰国を許されたことがあったそうです。
そこで元康君が見たものは、今川家に支配され貧しい生活を余儀なくされていたかわいそうな三河の民。生きていく為に農業をしている姿を見せまいと隠れる家臣たち。
そんな厳しい生活の中でも、いつか松平家の当主が帰ってくると、少ない収入をやりくりして、武具や兵糧を蓄える実直さに、当時の松平元康君は涙したそうです。
嘘付け、お前等。
名門今川家だって、農業しないで食っていける武士なんてほんの一握りだぞ。そりゃ、規模で比較をすれば数は多いけど。圧倒的に農業しなければ食べていけない今川家家臣の方が多いんだよ。
足軽とは平時の農民。正確には農業をする合間に兵士をやっているだけだ。
副業しないと食っていけない収入しかないのかよって思うけど、年に一回あるかないかの仕事(戦争)で一年間賄える給料を出せるわけがないだろ。
兵農分離してないんだから、兵が農業するのは普通だろうが!!
オレだって農業していないけど、扱いは庵原家の居候だぞ。扶持(給料)が今川家から出ているかもしれないけど、オレの手元には入ってこないんだよ。個人資産なんてないんだよ。買い物は掛け(ツケ)払いなんだよ。
周りから見た自分の立場が不安なのは、オレが一番感じているんだよォ!!!(魂の慟哭)
変なスイッチが入って話がそれた。まあ農業云々はともかく、三河の民が今川家に搾取されていたのは事実なので、三河は貧乏だ。
独立したとはいえ、まだ収入が確定する年貢の季節ではない。これから田植えを行って、ようやく年貢を徴収できるのだ。先の戦いも、たぶん尾張からの兵力以外の支援があったからと思われる。
なにが言いたいか。
まあ、ぶっちゃけるが食事がショボイのだ。
いやいやいや。オレは坊主である。日々の生活を民衆の慈悲(お布施)で賄っている以上、贅沢を求めているわけではない。
でも、オレは来賓のお客様である。敵国の人間だけど。
いや、一応双方に利益を与える友好的な立会人であるはずだ。
さらに、オレは病人である。仮病だけど。
だが、この仮病もあくまでも、先方である松平家を思っての配慮だ。そこらへんを感じてくれれば、食事にもう一品位ついてもいいのよ?
僧職である身。酒色におぼれるつもりはないが、ここに甘味の一つくらいあってもいいのよ?
いいのよ?
…いつもどおりの食事を食べ終えて、膳を下げてもらう。
ご馳走様でした。
仮病ゆえに布団で寝る以外にする事のないオレが、部屋でまったりとしていると、助さんこと石川数正が話しかけてくる。
コイツ、療養中の病人を何だと思っているんだ。
「これからどうなる?」
「これから?」
結構な頻度で、仮病のオレにあてがわれた部屋に入り浸っているのだ。なんで?と聞いたところ松平元康の命令でオレの監視をしているのだそうだ。
タケピーめ。療養中の病人を何だと思っているんだ。
まあ、仮病の療養も暇なので。北条と長尾との戦の話をしたり、もはや暗誦できてしまうほど模写した「今川仮名目録追加付」を書いて、内容について精査したり、改善点を論議したりしてみた。やはり、民衆相手と家臣相手の法を一緒にすると内容が雑多になるね。民衆にわかるように単純に、しかし家臣たちの動きを統制できるように的確にとなると、なかなかバランスが難しい。
そんな感じでグダグダしているとスケさんが話を変えるように聞いてきたのだ。
「これからって、どこのはなしだ?」
「今川でも松平でも、これからどうなると思う?」
「…」
オレは一応敵国人だよ?と言いたいけど、まあお世話になっているし。今後の事を考えると、縁を結んでも損ではないか。
「まず、三河松平家からすれば、ここ半年は雌伏の時だな。人質交換が5月になるなら、尾張織田家との同盟は早くて5月末。もしくは6月だ。残念な事に、桶狭間による混乱は、三河にも波及している。昨年はまともな収益を上げていない。つまり、大々的な軍事行動は9月の収穫を待ってからとなる」
「…」
とりあえず、言葉を切って助さんに目をやるが、助さん自体は否とも応とも言わず、オレの言葉の続きを待っている。
「コレを解消する方法の一つとして、尾張にさらなる支援を頼むという手もあるが、先の戦ですでに支援を受けている。これ以上は、よほどの譲歩が必要になるだろう」
尾張織田家が向かうのが美濃なら、純粋な軍事力として松平家の支援をうけても決定打とはならない。ましてや、同盟を組んで日が浅いとなれば、因縁深い三河の兵を尾張領内に入れる事は織田家中にも抵抗があるだろう。
そういう意味でも、無理をして攻勢に出るより、9月の収穫を待つべきだ。
「切り取った領土の慰撫にも時間が必要になるから。無理をして急ぐこともない。収穫までゆっくりと待てばいい。そうなると、その間の松平家の打てる手は兵による攻略ではなく、調略による取り込みとなる」
問題は、現在の三河松平家に調略をする為の多くのものが欠けているという点だ。
「だが、コレは成功の見込みは薄い。同様の事を今川家もするからだ。勢いこそ失ってはいるが、今川家の力は三河に勝る。新たに得た領土周辺の力関係で取り込むのがせいぜい。それ以上は期待しないほうがいい。だが、今後三河を掌握するなら、これらの縁は無駄にはならん。そう考えて、調略を続けるべきだろう」
それまでの主君を見限るには理由が必要だが、今川家は今回北条家救援のために軍令を発した。その集めた兵力を見れば、今川家の力がまだ健在である事を示す事ができる。今回の松平家のように二万の大軍の動向に注目する必要があるのだ。当たり前だが、駿河遠江三河にコレだけの数の軍勢を集められる勢力は他にいない。
「9月になれば、まさに刈り入れ時だ。三河の独立と尾張との同盟の影響はそのまま遠江駿河にも波及し、反今川に動くものも出てくる。今川家は本拠地駿河の平定を念頭に行動する為に、遠江に力を入れるには時間が掛かる。よほど大きなしくじりさえなければ、今川家が遠江を鎮める前に、三河を手に入れる事ができよう」
早ければ1年、安定を優先させても2年といったところかな。コレはあくまで、元々三河の大名であった松平家だからできること。三河から今川家の支持者を排除すれば、三河の悲願である松平家の独立がかなう。領民の反感も少なく、あるべき形に戻るわけだ。
だが、その先の遠江は同じようにはいかない。松平家は三河の英雄ではあるが、遠江からすれば隣国の敵大将だ。
要するに、三河平定はチュートリアル。そこから先の遠江攻略からが戦国大名松平元康編スタートだ。
「こんなところでどうかね?」
「…」
オレの言葉に、石川数正は返事もせずにコチラを見ている。
その視線に探るような意図を見抜いて、軽く笑って答える。
「大丈夫だ。今川家が三河に来る事はないよ」
そう。
オレが今川家は来ないと明言したのは、あくまでも9月の年貢収入が終わってからの今川家の動向だ。田植えが終わり収穫までの間、年貢を待たねばならない三河とは別に、今川家は動くことが出来る。今回のように全軍とまでは行かないが、動けぬ松平家を超える力を集める事は不可能ではない。
松平家がそれを危惧するのは十分理解できる。
だが、今川家は独立したての三河に攻め込むような事はしない。
なにせ…
「まだ、誰を敵にするか決めていないからな」
笑みを深くして教える。数正が何かに抗うように体に力を入れた。
こんな情報を引き出したところで、何の役にも立たんのだよ。ただ大きくなっただけなら、喰らってしまえばそれまで。必要なのは、強く大きくならねばならないのだ。
松平元康と家臣一同。お前達の器量が問われるのはそこだ。
独りで立つというのなら、それは出来て当然の事だろう。
10日後、仮病も予定どおりに治り、岡崎城での会談も終わった。特に、ハッチャケられる事もなく合意内容が決まる。
半月以上掛かったオレのお役目も終わり。駿府に帰れるわけだ。
「これを」
数正から差し出された短冊。受け取るが和紙で包んであり中を読むことは出来ない。
え?男(数正)なのに男に和歌を送るの。なに、お前ホモ?
「瀬名の方様にと、殿が…」
ありがとう。嫌な疑惑が生まれる所だった。
包んでいる和紙の裏にはただ小さく一文字「竹」と書かれている。やるねタケピー。
お前の心意気、確かに受け取った。オレも、心のままに返事をしよう。
「断る!」
「なっ!」
「こういう恥ずかしい台詞は、自分の口で直接伝えろと言っておけ」
そう言って、短冊を数正に押し返す。オレの言葉の意味を察したのだろう。「もっと言い方変えろよ」的な非難するような視線のまま短冊を懐にしまう。
公私混同は良くない。オレはお役目で来ているんだよ。私的なやり取りなんてとんでもない。社会人的にも立派な理由だな。
オレはタケピーの恋のキューピッドじゃねぇつーの。
「では、また駿府で」
「ああ、またな」
港から駿河への船に乗り込むオレを、石川数正が見送る。
このあと、オレが岡崎での合意内容を伝え、別経路で駿河にやってきた数正が、改めて今川家との合意を得る。そこで、日取りを決めて人質を交換するのである。
電話もネットもない以上、双方の合意には時間が掛かるわけだ。
とりあえず、駿府にいる瀬名の方に手紙を書いて、人質交換の事と、タケピーがこっ恥ずかしい和歌を考えていると伝えてやろう。
オレはいつだってオレの利益のために動く。ただ素直に歌を送るよりも効果的な方法を取るのだ。
ケケケケ。地獄に落ちろタケピー。
そう、オレは地獄への使者ではあるかもしれないのだよ。




