17 甲斐への流れ
今川家家臣たちとの顔見せこそ終わったものの、オレ個人の立場というのは当主今川氏真の私的な友達程度でしかない。
つまるところ何の力も有していないという事だ。戦という国防の一翼を担う事件で、出陣はもとより、留守番的な仕事も割り振られていない。
オレの今川家での存在感を十分理解してもらえるだろう(震え声)。
そんな状況の改善をする為になにが必要か。実績を作るにしても、戦場に出ない以上、そのチャンスすらないのだ。功績をあげるためのメンバーにすら選ばれていない。
直接が無理なら、間接的に功績を上げればいい。発言権を増す為に、強い後ろ盾に頼る。その為に、己の立場で知りえた情報を支援者に教え関心を買うのは当然の処世術だ。
そんなわけで、軍令で騒がしくなる今川館を出て、オレが向かったのは、駿河の妖怪爺こと、武田信虎の館である。
そう、影響力を増すために、当主今川氏真の祖父であり、隣国であり同盟国である大大名武田家にも縁のある武田信虎の力を借りようというのだ。
……と、今川家で出世を求めるなら考える。だから、オレのこの行動に不自然な点はない。
オレからすれば、飛車丸がいなくなれば、臨済寺に戻るだけだ。名門今川家での栄達とか権勢とか興味も無い。オレの人生の作戦名は「いのちをだいじに」。至言だな。
まあ、オレの本心はともかく。妖怪爺側からすれば、擦り寄ってきた今川当主の個人的友人。無碍にはできまい。特に今のこの時期ではね。
「北条がのう…」
「はい。長尾の軍勢はおよそ十万。恐ろしい数でございます。ソレに対し氏真様は軍令を発し、援軍の用意をされております」
「で、ソレを伝えてワシにどうしろと?」
甲斐追放後、駿府で住む武田信虎の立場は家臣でもなく、隠居した親族程度の立ち位置だ。当然、領土や兵を持っているわけではない。今川全軍が集まったとて、信虎個人の参戦ならともかく、軍勢を率いて参陣するほどの力は無い。
しかし、それでも信虎が駿府で権勢を振るうのには理由がある。
「無論。武田家と協力し、長尾軍を撃つ為に力をお貸しください」
「それは、甲斐の当主が決める事。ワシに甲斐の兵を集める力など無い」
「左様。しかし、その為に家臣の意見を聞くのもまた、当主の役目でございます」
戦国時代の大名というのは、国のすべてを掌握する独裁者ではない。戦国時代の代名詞である下克上とはクーデターの事。つまるところ、大名とは国内最大の支持を集める勢力でしかない。支持されるだけの実力と実績を積み重ねて、初めて国内の勢力を磐石に出来るのだ。
ソレができなくなったから、旧時代の守護大名は力を失ったともいえる。
中央集権を図ってそれを脱却できた織田信長って、どうみても時代の先を見すぎているだろ。
「三国同盟があるとはいえ、武田家と北条家は長年争い続けた間柄。まだ若い氏真様ならともかく、老獪な信玄はコレを奇貨と見るやもしれません」
「ありえん。そもそも甲斐が三国同盟を結んだのは、越後長尾家と事を構える為だ。関東が長尾派となれば、窮地に陥るのは北と東を囲まれた甲斐だぞ」
「武田と長尾が手を結ぶ可能性は?」
「馬鹿な!」
「北条家が滅んだとなれば、三国同盟は形骸と化します。そうなれば越後と駿河。北信濃を長尾に渡してでも海を求めるという選択をないと言い切れますか?」
「…」
「すでに氏真様は、甲斐へ使者を送られています。三国同盟から援軍を出す正当性はありましょう。いらぬ憂慮であるなら、そのあと押しに。ためらうべき理由がありますか?」
「…」
オレの言葉に無言で考え始める信虎。
「武田があくまでも三国同盟を守るという意志を示す為にも、なにとぞ、よろしくお願いいたします」
頭を深く下げてそう締めくくると、館からそのまま退出する。
まあ、オレ的にはどっちになろうと問題はないんだよな。だって、武田がどう動こうと、攻められているのは北条だもん。
もし、オレの言ったように武田が長尾と組むというなら、ソレを妨害すればいい。火種はいくらでもある。そして、重要な事だが。三国同盟がなくなるというのなら、別に今川家が長尾家と同盟を結んでもいいわけだ。因縁という意味では、武田よりも今川家の方がクリーンだ。
だが、武田信虎にはソレは許容出来ない。今川家と長尾家が結ぶという事は、両国の間にある武田家が滅びる事を意味する。
つまるところ、信虎の行動は一つしかないのだ。
人は利がなければ動かない。
つまり、損をすると思えば、人は動くのだ。




