16 小田原征伐
永禄四年一月
越後の長尾輝虎。関東に進軍。
駿府今川館は、騒然としていた。
なにがといえば、その数である。
十万余の軍勢
なにこの数?
盆暮れの帰省ラッシュじゃないんだぞ。
ちなみに、今川義元が上洛する時に、国中からかき集めた数が四万である。その二倍以上。あの有名な川中島の戦いですら双方が一万前後でボチボチ戦っているんだ。軍団数インフレしすぎ。少年雑誌のバトル漫画かよ。
もちろん越後長尾家で、コレだけ大動員したわけではない。勢力を拡大する北条家に対抗するために、関東の各勢力が連合を組んだ結果、近年まれに見る大軍勢になったのだ。
「触れを出せ。兵を集める」
「しかし、相手の数が・・・」
「武田にも使者を出す。それでどうだ承豊」
氏真が並んでいるだけのオレに意見を求める。いっせいに視線がオレに集まる。
何でオレなんだよ。「おう、がんばれよ」位しか言える事なんて無いよ。
まあ、ある意味お披露目に近いのかもな。オレ新顔だし。
「北条家から武田家に対しても同様の話が出ているはずです。北条家にも使者をたて、武田家の準備を待って援軍に向かうと知らせればよいでしょう」
「それでは、北条がもたないのではないか?相手は十万だぞ」
オレの言葉に、重臣岡部様から反論が出る。
「無論、今川家だけであれば、もっと早く北条家に合流する事が可能でしょう。しかし、十万を相手にするには、今川家の援軍だけでは決定打とはなりません」
今川義元が上洛する際に準備をして集めた数が四万。桶狭間で勢力が激減した今では二万がいいところだろう。当然、それで10万の敵に対抗することは出来ない。
ちなみに、この数だって『仮名目録』によって効率的に動員させることが可能になったからで、そうでなければさらに半分程度がいいところだ。
相手は越後と関東勢力の連合だ。自分達だけではどうしようもない。3国の力を合わせなければ対抗できないわけだ。
「しかし、それでは…」
「北条家に使者を出す事で、こちらの思惑を伝え、北条家が我々に呼応させる事も可能でしょう。反撃の機会があるとすれば、無理な攻撃は控えるはずです」
「…」
「あくまで、関東に進軍するのは武田家の準備を待ってから。しかし、迅速に軍を整え国境に待機させることで、北条家を攻める相手に圧力をかける事ができます」
もちろん、そのまま進軍して長尾軍に打撃を与える方法もあるだろう。が、あくまでも長尾軍の狙いは北条家。わざわざ駿河が被害を出す必要は無い。国境線に兵を置けば、それにそなえる為に同数以上の兵を置く必要が出てくる(多分)。
睨み合いだけなら兵は減らない。
そして、武田家より早く援助に向かったという事実は、北条家から今川家に向ける好感度に影響する。
「よし、その方法でいく。孕石は腕の立つ者を百騎集め、北条の軍勢に加われ。武田の準備が整うのを待って後詰め(援軍)に向かう。三原は甲斐へ。その後、武田との連携を密にせよ」
「ハハッ」
「こんなもんかね?」
ゲシッ!
氏真の私室に戻ると、まじめな顔をやめた飛車丸がコチラを見る。その尻に蹴りを入れながら答える。
「最初から決まっているなら、コッチに振るんじゃねぇよ」
「顔見せって意味でもちょうど良かったんだよ」
「岡部殿も仕込みか」
「バレたか」
今川家の宿将である岡部元信が、このくらいも見抜けないとは考えられない。まあ、見抜けない人たちに説明する意味では、有効なパフォーマンスなのかもしれん。
オレを巻き込まなければな!
「まあ、この戦い。ぶつかる前に長尾は退く」
判りきった事のようにいう飛車丸にオレは視線を向ける。
今川家としては、兵力を減らさないですむのは御の字だが、それは相手の行動による。そうでなくても今川武田北条の三国合わせても十万には届かない。数の多い敵を相手にするなら厳しい戦いになるだろう。
だが、戦わない?
「なぜだ?」
「向こうは兵を集めすぎた。十万の兵を操るには旗印が弱い。そうなれば一番響くのは各軍の足並みだ」
「相手に合わせるなら、コチラも軍を集めるのは遅らせたほうがいいか?」
「いや、向こうは無理をしてでも3月中に終わらせるだろう。4月は田植えの時期だ。十万人分の田植えを損なう事は、長尾はともかく他の関東勢は許容できない」
「なるほど」
足軽とは田植えをする人手でもある。十万人の農民が仕事が出来なければ、秋の収穫量にダイレクトに直結する。この時代の国力の目安は米の収穫量。そして、労働力は人だ。
「武田もソレを見越して動くだろうな」
「北条もそこまでは読めるって事か」
連絡いらねぇじゃん。本当に、さっきの評定での話は茶番だな。
「東はこっちで何とかするとして、西はどうなる?」
「こちらが全力で関東との戦いに備える事で、タケピーが動く。三河に軍を出せない理由に、関東の十万は良い目くらましになるだろう」
「動くか」
「動かないなら動かすまで。まあ、優等生のタケピーが師匠の薫陶を忘れるわけがない。この隙を見逃したりはしないだろう」
「と言って、動いたとしても三河が進めるのは人質交換まで、こっちの戦を終えるまで止まるわけだ」
そういって、氏真が笑みを浮かべる。
人質交渉するのに片方がハッチャケたら交渉は御破算だ。どれだけ相手に隙があったとしても交渉が終わるまではおとなしくなるだろう。
「あとは?」
「二つある。今回の詳細を駿河の商家に伝える。篭城するならその準備に。戦が終わればその復興に、物資はいくらでも必要だからな。そして、戦の最中に商いは出来ん」
「荷を止めるのか?」
「向こうは十万なんて数を出してくれたんだ。雲霞の如く小田原に群がり、港から海にまで溢れていると言ってやれば、向こうが勝手に危険を避けてくれるよ」
「荷を”止めてやる”というわけか」
堺から太平洋側を回る交易船は当然”東海”地方を通る。そこで戦火を逃れる為に航海を控えれば、当然その先の流通は滞る。小田原城に篭城する北条家は覚悟の上だが、攻め込んだ関東の海岸線の港がどうなるかは知ったことではない。
交易船が無理に進んで被害が出ても、コチラは何も関知しない。紛争地帯で”どこかの水軍”に襲われたとしても、ソレは危険な海を進んだ船頭の自己責任だ。
「で、二つ目は?」
「フジちゃん。庵原元政を借りる」
「おい。元政はウチの側近だぞ」
「親父の方を使え。初孫で下がったヤニも戻るだろう」
「なにをするんだ?」
「お前が言ったんだろ。武田と連携を密にするって」
「……ああ、そういうことか」
仕込みは流々。活発に動いてくれれば、手を伸ばしやすい。
だからこそ、わざわざ北条家の騒動に首を突っ込んだし、武田も巻き込んだのだ。




