14 庵原親子
さて、現在オレは一つ想定外の事態に陥っている。
泊まるところがない。
いや、まったくない訳ではないのだ。
そもそも、オレは飛車丸の家に厄介になるつもりで出てきた。ところがドッコイ。飛車丸が今川家当主の氏真だからさあ大変。
本拠地今川館に衣食住でご厄介。とはなかなかいかないのである。
理由?
オレが部外者で、譜代ではなく、信用も後見人も、責任を負わせる家族も親戚もいないからだ。
事件が起こったら当然怪しい奴探すだろ。そこに住所不定の新参者がいたらどうなると思う。今よりも昔、日本が隋や唐とやり取りしていた頃、嵐になると生贄として海に放り込む人間を用意していたという。つまり、「お前が悪いから死んで詫びろ。弁解は聞かん(断定)」というわけだ。
弁護士呼ぶ権利は、この時代にはない。最悪だな。
そんなわけで、面倒回避の為に、別邸にご来訪。
誰の別邸かって?
庵原 忠胤という人だ。
ちなみに、今川家の重臣の一人で。駿河にある城の城主でもある。今回飛車丸と一緒に治安維持に同行しており、丁度よく駿府にいた為オレを受け入れてくれた。
どうも師匠の太原雪斎の縁戚らしい。
坊主なのに!?って思うけど、別に出家する前に兄弟がいれば、系譜上は立派な親戚だ。
どっちにしろ、オレからすると赤の他人です。
「お世話になります。十英承豊です」
「はじめまして、承豊殿。お噂はかねがね」
オレが挨拶する庵原様。40代くらいのおじさんである。初対面のはずが、中々の好印象で受け入れてもらえた。
というか、何でオレの知名度がこんなに高いんだ。噂の実態調査とかしたほうがいいんじゃないだろうか。
「拙僧の噂ですか?」
「ははは。いや、失敬。以前、息子が雪斎殿に教えを請うていましてな。そのときに、承豊殿の話を何度も耳にしたのですよ」
ああ、臨済寺の学友か。はて、庵原なんて人いたか。
「当時は、富士丸と呼んでいました」
「ああ!」
名前をいわれて思い出す。フジちゃんだ。いたいた。飛車丸とくっついて、いつも槍を振り回していたわ。
「いつだったか、富士丸が裸で帰ってきたので問いただしたら、承豊殿に水をかけられたといわれ、相手を見てケンカを売れと説教しましたわ」
といって、楽しそうに笑う。
あったあった。毎朝、槍振り回して「やあ」とか「とお」とかうるさいから、「別の所でやれ!」って怒鳴り散らしたところ、なぜか勝負をすることになった。
「オレに少しでも当てられたら負けたことにしてやる。フフン」と挑発されたので、桶に水入れてぶっ掛けた事があったわ。
まあ、裸で帰ることになって、流石にやりすぎたと思い、寺に掛け合って鍛錬用に境内の一部を開放してもらったんだよな。
思い出した。そしたら他の奴等もそこで訓練するようになって、槍が弓になって、さらにそのためのスペース確保する為にオレが寺に掛け合ったんだ。
たぶん、オレが寺でハブられている遠因の一つでもあったはずだ。
「はは、あの時は大変失礼な事をしました。今どちらに?」
「……」
オレの言葉に、忠胤様が困ったように笑って、オレから視線をはずす。
「元政は、桶狭間で……」
そこの言葉に、胸に鈍い痛みが走る。
こんな時代だ。友人知人が全員生き残るなんて事はありえない。
歴史に残る敗戦。当然そこには名も知れない死者が積み重ねられているのだ。
改めて、自分がいる世界の惨状に……
「負った傷の療養中に、子宝を授かったようで」
ピンピンしているのかよ?っていうか、何の槍働きがんばってるんだフジちゃん。ピンピンじゃなくてビンビンか!?
「いや、初孫でしてな。ああ、拙者も一刻も早く帰りたい!」
おい。いいのか、今川家譜代の重臣。このお家存亡の緊急時にそんなことを言っていていいのか城主!
身もだえするなよ中年。気持ち悪いわ。
「明日になれば元政が、こちらに来ます。委細息子とお話くだされ」
「お、おう」
コイツが最初から好印象だったのは、初孫フィーバーで機嫌が超良かったからか。
オレの悲壮感を返せ!
「久しぶりだな承豊」
「ああ、久しぶりだな」
次の日、ツヤツヤテカテカの人生の絶頂期って面でやってきたのが、学友だった庵原元政だ。
小さい頃からそうだったが、大柄で太い眉毛の特徴が残っている。元服してからかヒゲをたくわえるようになって、大人になって威厳も出てきた。どこから見ても立派な武士である。
なので、にこやかに近づいてから鳩尾に一発。
ドゴッ!
「ゴハッ」
完璧な不意打ちだ。腹を抱えて頭が下がったところでヘッドロック。
残念だったな。オレが他人の幸せを素直に祝ってやるような聖人君子だと思ったか。地獄に落ちるが良い。
さらば悟りの道よ。オレは今から修羅になる!
そうでなくてもオレの機嫌は悪い。寝不足なのだ。昨晩、庵原忠胤様から「孫につける名前相談」という苦行を夜が更けるまで延々と続けさせられたのだ。
ちなみに、一段落して終わったと思った矢先に「じゃあ、次は姫(女児)だった場合の名前だな」といわれた時のオレの絶望感を知るがいい。
どうでもいい話だが、名前をつける際に寺の坊主に相談するのは、この時代よくある話のようで、古書に通じ縁起のよい固有名詞を知る坊主にはうってつけなのだそうだ。
つまり、オレは最初から手ぐすね引いて待たれていたわけだ。そりゃ、初対面なのに機嫌がいいはずだよ。
とりあえず、オレのヘッドロックをはずした元政が、乱れた衣服を直しつつ館に入る。
「しかし、お前が寺から出てくるとはな」
「飛車丸に騙されたんだ」
「まだ、お前その名で呼んでいるのかよ。やめろよ、外でそう呼ぶの」
「こんな呼び方するのはお前等の前だけだよ」
龍王になれないから飛車なんて呼び方を当主にしたら、重臣から誅殺だろうな。まあ、その程度は臨機応変に対応できる。
居候先の家主への挨拶も終わった事だし、オレはオレで次の用事に出かけるか。
「少しオレは出かける。夕方には戻る」
「おい、どこ行くんだよ?」
「用事だ」
「待て待て。少しは休ませろよ」
「お前はなにを言っているんだ?」
オレの外出に、お前の今日の予定とどんな関係があるんだ?
「さっき父上から、今後の事はお前から聞けって言われたぞ。昨日その辺の事を話していたんじゃないのか?」
昨日話をしたのは最初から最後まで孫につける名前の話だったよ。
クソ、あのオヤジ。今日は朝から馬まで持ち出して館の門の前で待機していると思ったら、そんなに城に帰りたいか。
最低限の仕事くらいはしろよ。一般常識的な最低限の仕事という意味でな。
「とりあえず、殿に報告だけして、その後はなんかあったら承豊に相談してナントカしてもらえって」
「ソレはタダの丸投げだ!!」
最低限すら省略した上に丸投げかよ。完全無欠の職務怠慢だよ。
あいつ、ジジバカな。もうアイツは孫フィーバーのジジバカでいいや。




