13 今川館の主
飛車丸たちが帰ってきた。
とりあえず、駿河の豪族達と会談して安堵状を発給したり、不穏な動きをしていた奴等に武威を見せ付けてきたらしい。戦闘らしい戦闘はほとんど起こっていない。
「で、状況はどうよ」
自室に横になって聞く飛車丸。名門の当主の姿でも、来客中の対応でもない。まあ、この部屋にいるのはオレだけだがな。
「お前のバアちゃんとジイちゃんに挨拶したけど、駿府は物の怪の住処か?アレに師匠が加わったら百鬼夜行の完成だぞ」
「ああ、あの二人に会ったんだ。まあ、婆ちゃんは師匠と一緒に親父を盛り立てていたし、祖父ちゃんにいたっては、信玄の親父だぞ」
「一応、両方の協力は取り付けた」
「やるじゃん」
「どう協力するかの保障はないぞ」
オレの言葉に、横になった体をゴロンと仰向けにして天井を見る。
「三河は?」
「独立に動く。近いうち挨拶に来るだろう。手土産片手に嫁と子供を返せってさ」
「まったく、言えば返してやるのに」
「しかたないだろ。利用できるものは利用しなければな」
「名門だ。武士だ。と豪語するわりに、やっている事は女子供を盾に交渉か」
「勇敢さだけが本質じゃないさ。で、ソッチは?」
オレの言葉に、体を起こす。そしてため息と共に肩を落とした。
「想定通り。亀の頭をつついたようなモノだ」
「時間がたてばまた顔を出すか…」
つまるところ、今回の出陣程度では桶狭間の混乱は終わらないという事だ。
「こういう時の、反乱を抑止する為の王道ってなんだ?」
オレの言葉に、いぶかしむようにコッチを見た後、言いたくなさそうにそっぽを向いてボソッと口を開く。
「……人質」
「いらんな」
「……」
オレの返事に、飛車丸は黙って肩をすくめる。
人質を送ったから裏切れない。なんて奴は、そもそも裏切らない。裏切るつもりなら、殺されても問題ない奴を送るだろう。
タケピー本人の例もあるが、あの場合は人質とは別の意味がある。つまりは、龍王丸と同年代という点だ。
学友という縁を作り、疎遠な豪族との個人的なつながりを作るという意味で、人質を要求することで双方にメリットがある。
コネ作りや血統(正当性)の確保という意味での人質と、裏切らない保障の人質とは大きく違う。
そして今、人質を要求するのは後者。文字通り裏切らない為の保証だ。
今川家が三河遠江の離反を想定している為、この場合の人質の命運はほぼ確実に尽きる。
ここで問題は、裏切った場合に人質は殺さなければならないという事だ。こちらにも面子があるし、正当性もある。そうなったら、相手とは完全に手切れだ。
裏切ったけど、身内を殺されているから、お互い被害者で遺恨ナシとはいかない。「三者一両損でめでたし めでたし」になるのはもっと後の時代だ。
つまりは、地道にやっていくしかないだろう。新しい今川家当主の統治でもやっていけるというところを見せるしかない。
「明日は内向きか?」
「そうだ。北条への対応をとる。話は早いほうがいい」
領地を安定させる事。それが国内平定の王道だ。即効性こそ薄いものの、繁栄をもたらす地道な手段。そして、そのための布石はすでに打ってある。
「準備は大丈夫なのか?」
「すでに尾張には話をつけた」
「早いな」
「遅くする理由はないからな」
飛車丸は、起き上がって文机に向かうと硯をすって筆を取る。
さらさらと和紙に筆を走らせながら、明るい声で聞いてくる。
「尾張のウツケはどうだった?」
「お前よりマシだ。向こうのバカ殿は仮名目録を持っていかなかったよ」
織田信長に見せた仮名目録追加は、今川家の分国法。尾張の大名にとってみれば、敵国であった他国の統治の手段。それを信長は持っていかなかった。つまり、織田信長は仮名目録を必要としない。その内容を知っているということだ。
なぜ?と聞くのは野暮な話だろう。
今川義元を討った相手は、東海一の弓取りを相手に、侮ることなく、絶望する事なく、情報を集めていたという事だ。その結果に至る道は幸運と呼ばれるものであったとしても、そこに至った道は偶然ではない。そういう相手なのだという事だ。
「……そうか、友達になれそうだな」
「父親の仇だろ。なんて言って、友誼を結ぶ?」
「親父の左文字を返して」
「子供かお前は」
あきれた声のオレの言葉に、飛車丸は軽く笑う。
お互いそれ以上の会話もなく黙っていると、書き物を終えて飛車丸は筆を置いた。
そのまま、書きあがったばかりの紙を受け取ると、乾くのを待ちつつ内容を確認する。
今川家の花押も入っている事も確かめ、用事は終わりと懐にそれを入れて席を立つ。
「さて、じゃオレは行くわ。まだやる事があるからな」
「がんばれよ。オレは嫁さんといちゃいちゃするから」
「地獄に落ちろ!!」
悟りから離れつつ(哲学)、今川家当主の部屋からも離れる(物理)。




