11 駿府の妖怪館 その1
さて、オレは先日までニートだった。
いや、仕事はしていたからニートではない。在宅作業者。いや、自営業者?まあ、いい。要するに、オレは寺から出た事のない一般人の坊主であったわけだ。
当たり前だが、外の人間に縁はない。いるのは学友くらいだけど、社会人(元服)になってしまっている。学生時代の友人って社会人になると疎遠になる事もある。
そして現在、飛車丸は桶狭間後の混乱を収める為に出払っているので、オレには最初に紹介された人くらいしか知り合いがいないし、その人たちも飛車丸と一緒に出払っている。
オレ自身も、紹介された後すぐに国外に出ている。入社してすぐに社外研修に放り出され帰ってきたら、教育係が出張で帰ってきていないような状況だ。
社会人なら判ると思うが、新しい環境でまず必要な事。それは古今東西変わらない。
挨拶回りである。
まず、顔を売る。認識されないと仕事にならないからな。
そんなわけで、留守番役に相談して、挨拶伺いをさせてもらった。
さて、社会人をやればわかることだが、年功序列、縦社会。最初に挨拶をするのは誰か。当然偉い人からだ。
で、やってきたのが今川家の妖怪館。館の主である妖怪の名を寿桂尼という。
誰?って思うかもしれないけど、要するに今川義元の母親。飛車丸の祖母。そして、今川家の影のボスである。
先々々代の当主だった今川義元の父親が死んだ後、まだ幼かった義元の兄(先々代)の変わりに今川家を切り盛りしていた女傑です。
「お初にお目にかかります」
「ええ、十英殿。一度、そなたと話をしてみたいと思っていたところです」
WHY?なぜ、当代の祖母であり、今川家ロイヤルファミリーの大御所が、オレみたいな坊主の名前を知っているんだ?あれか?飛車丸が話しでもしていたか。
顔を上げると、思った以上におばあちゃん。そして、一目見て思ったね。
ヤベェ。好々婆みたいな顔しているけど、纏っている雰囲気が洒落にならない。なんというか、往年の超大物女優が、気合入った超大作の配役の雰囲気そのままでコッチを見ている感じだ。
「私なぞ寿桂尼様が気になさるほどの者ではないと思いましたが」
「ほほほ。なにをおっしゃる。龍王丸が重い腰を上げたのは、そなたが来たからという話じゃぞ」
「さて、今川家当主として、それは当然の事では?」
「さよう」
そういうと、好々婆の顔から笑みが消えた。
「その当然の事を、させたのはそなたじゃ」
それだけで体感温度が2度は下がった。まあ、この程度でブルっていたら、師匠とのやり取りで胃袋が消失していただろう。
もっとも、だからといってダメージがないわけではない。帰りに厠を借りよう。そうしよう。
「龍王丸の目に生気がある。家督を譲られた時にも、芳菊丸(今川義元)の葬儀の時にもなかった光がある。おぬし、な に を 吹 き 込 ん だ?」
「……」
当主がやる気になったら、奸臣扱いでプレッシャーをかけられたでゴザル。
不真面目なのが正常って、あのバカ殿はどれだけ普段の仕事サボっていたんだよ。学校(臨済寺)と同じノリで社会人(今川家)やっていたのか?月曜の一時限目はサボるのがデフォルトか。働くサラリーマンをなめるなよ。
そういえば結構な頻度でオレのところに遊びに来ていたな。あの野郎、こんなところまでオレに迷惑をかけるのか!?
一度目をつぶり、ゆっくりと開く。心の余裕の為に口元に笑みを浮かべて、正面からその視線を見返す。
「なにも。ただ、手を貸すと告げただけでございます」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
長い沈黙が続く。その間も視線ははずさない。長い時間視線を一点に集中したせいか、頭がクラクラしてきた。プレッシャーの重さに比例して疲労するんだが、このおばあちゃん只者じゃないな。判っていたけど。
「崇孚殿には感謝しなければなりませんね」
再び笑みを見せる寿桂尼様。とたんにプレッシャーが消える。
そして、納得するよう何度も頷く。
「駿府は古い町じゃ。そこには多くの者がいる」
「はい。それゆえに、こうして拙僧が出向いております」
「なるほど。身内以外でおぬしを知るのはそう多くない。今ならまだ、若輩者とみられよう」
「新参者ではありますが、当主様の信任は厚いと自負しておりますゆえ」
そして、頭を少し下げて笑う。目を細め、ほほを上げ、見上げるように、ただただいやらしく。
それを見て、寿桂尼様はおかしそうに口元を袖口で覆った。
「ホホホ。情と欲を使い分けるか。崇孚様とて、そこまではせなんだぞ」
「拙僧は若輩ゆえ。まだまだ未熟でございます」
「よい。十英殿。龍王丸をよろしくお願いしますね」
「ハハッ」
そういって頭を下げた。なんとか、最初の関門は抜けたらしい。
次回も妖怪館 父さん事件です。




