据え膳を食わない勇気
◇
……やがて日が落ち、夜となる。
「じゃあ、おやすみー」
「ああ」
就寝時間になり、エーテルとグラも布団に入る。とはいえ、エーテルはベッドだが、グラは毛布に包まって壁にもたれかかっている。自分は泊めてもらっている身な上に、(ビッチだが一応は)女の子であるエーテルを床には寝かせられないと、グラが固持したのだ。
「……ねぇ、グラたん」
「ん?」
照明が落とされ、真っ暗になった部屋の中。エーテルは、弱々しい声でグラに話しかけた。
「グラたん、王様が獲物って言ってたけど……やっぱり、お城に行くの?」
「……ああ」
エーテルの問いに、グラはそう答えた。
「ナッタの件は抜きにしても、さすがに放置はしておけないからな。それに、国王を懲らしめれば、インパクトもでかい。そもそもの目的から言っても、目立つほうがいい」
グラの目的は、妹との再会。故に、魔神が悪人を懲らしめているという噂を流させ、再会できる確率を少しでも上げようとしているのだ。手間の割に効果が薄いようにも思えるが、居場所が分からない以上、これくらいしなくてはならないのだ。
「ついでに、住民票も確認しておきたい。まあ、そっちは余裕があればでいいが。王都の住民全員を調べるのは無理だろうが、出来ることはやっておくさ」
「……そう」
呟くエーテルの声には、どこか罪悪感のようなものが含まれていた。自分が住民票について教えたのが原因で、グラは城を目指すようになったのではないか。本人から否定されても、そんな考えが頭から離れないのだろう。
「……」
それから、部屋の中に沈黙が流れ出す。そろそろ二人とも寝付いたのか。
「……ねぇ、グラたん」
と思ったが、エーテルはまだ起きていた。またもやグラに話し掛けるが、彼からの応答はない。
「グラたん、私がどういう女か忘れてない……?」
なおも続けるエーテルは、どこか深刻そうな様子。不安を押し殺したような、必死な声色だった。
「同じ部屋に、親戚でもないイケメンが寝てるなんて、考えただけで……襲いたくなっちゃうじゃない!」
遂に我慢が限界に達して、エーテルはグラがいるはずの壁際に飛び掛った。……どうやら、今まで性欲を抑えていただけのようだ。
「ぐへっ……!」
だが、彼女がグラを襲うことは出来なかった。壁に頭から突っ込み、呻き声を上げてしまう。
「うぅ……あれ? グラたんは?」
何せ、そこにはグラのなかったのだから。いつの間にか、彼の姿が忽然と消えていたのだ。
「……逃げられた」
事実を認識し、エーテルは沸き上がる怒りを抑えるのに苦労した。何せ、数多くの男を手玉に取ってきた彼女が、何もする間もなく男に逃げられたのだ。これは彼女の、ビッチとしての沽券に関わる事態だった。
「いいわ、そっちがその気なら……こっちだって、やってやるんだから」
この由々しき事態に、エーテルは不気味な笑みを浮かべるのだった。
……その頃、グラは。
「……ふぅ。どうにか抜け出せたか」
宿屋を出て。グラはそっと溜息を吐いていた。……彼は最初から、夜になったらこっそり抜け出して、一人で城に向かうつもりだった。窓から出るのは困難だったし、家人や他の宿泊客に見つからないかと不安だったものの、何とか無事に外へ出られた。
「まあ、関係ない奴を巻き込むのもあれだしな」
自分から巻き込まれにいったとはいえ、本来無関係の人間を自分の事情に巻き込むのは気が引けた。その割に色々と喋ってしまったが、妹に似た少女との会話は思いの他楽しく、ついつい余計なことまで漏らしてしまったのだ。
「ともあれ……行くか」
夜の王都は、普段ならば活気があった。深夜になっても酒場が営業を続け、表通りは人々で賑わっているのが常だった。だが、今はどこの店も閉まっている。……魔神が現れ、王を害すると予告したため、王都全体に夜間外出禁止令が敷かれたのだ。
「……」
城へ向かう道には、当然ながら兵士が配備されていた。故にグラは、目立たない裏道を使い、兵士たちの目を掻い潜って城へと近づく。
「……ここが王城か」
そうして、城が見える場所までやって来た。……高く立ちはだかる城壁と、それに囲まれた広大な土地。そしてその中心に聳え立つ、巨大な王城。これこそ、この国の象徴たるオガーニ城だ。
「さてと……さすがに警備が厳重だな」
城の周りには、数多くの兵士が配備されていた。街中だけでなく城周辺にまで兵士を置けるとは、王国の兵士たちがどれだけの規模なのか分かるというものだな。
「こういうとき、あいつの魔法は便利だろうが……まあ、ないものねだりなんてしても仕方ないか」
先程別れた少女のことを思い出し、溜息を漏らすグラ。……エーテルが使う隠形の魔法は、自身の姿や気配を消せる。不法侵入にはもってこいだ。
「とにかく、侵入できそうな場所を探すか」
ぼやいていても始まらないと、グラは城壁を見渡した。警備が薄い場所を見つければ、よじ登って侵入できるかもしれない。壁は高いが、登れないほどではない。無論、登っている間に兵士たちに見つかれば侵入は困難なので、そうならないように、慎重に行動しなくてはならないが。
「……っと。随分怠けてる奴がいるじゃないか」
果たして、侵入できるポイントはすぐに見つかった。見張りの兵士が一人、居眠りをしていたのだ。……恐らくは昼勤の兵士なのだろうが、この非常時で強引に駆り出されたみたいだな。お陰で眠くて、立ったまま寝息を立てている。器用な奴だ。
「お疲れさん。ゆっくり眠っててくれ」
グラは兵士に近づき、そう声を掛けて目覚めないのを確認すると、傍の壁に手を掛けた。意外と突起物が多く、登るのには支障なさそうだ。
「木登りなんて、一体いつ以来だろうな」
そんなことを言いながらも、グラはすいすいと城壁を登っていった。その間、居眠り兵士は目を覚ますことがなく、彼の侵入をあっさりと許してしまった。
「ちょろいな。ちょろすぎて、この国の行く末が心配になってくるぜ」
侵入者に王国の未来を案じられるとは、侵入を許したことといい、相当の失態だ。……あの兵士、居眠りがばれたらかなり重く処罰されそうだが、大丈夫だろうか?
「まあ、俺に同情する義理はないか。……よ、っと」
そうして、グラは城壁を登りきった。内部にも兵士は沢山いるが、まだ彼に気づいたものはいないようだ。
「さあ、悪行退治の時間だぜ」




