意外と慎重な主人公
「ナフタリ家の花嫁に選ばれるのは、魔神の肉親だった少女だ。その子供は、魔神の花嫁になる確率が高い。―――伝説の魔神と結ばれ、そして裏切り、最後には倒した、魔神の花嫁に」
「……」
魔神の花嫁……これまでにも度々登場したワードなのだが、どうしてここでそれが出てくるのか。カルバは当然ながら、理解が追いついていない。けれども、ナフタリ伯爵は気にせず続ける。
「尤も、君は違うがね。君は魔神の花嫁を復活させるための鍵―――乙女の一人だ」
そして、今度は乙女。これもキレートが度々口にしていたのだが、魔神の花嫁復活の鍵だったのか。
「君はスチレのイロール公爵家の血筋だ。君の父親はイロール家先代当主の隠し子でね。そしてイロール家は代々星乙女を輩出してきた。―――星乙女は魔神の花嫁復活の鍵であると同時に、スチレを守護する星精霊の巫女でもある。それを手に入れるということは、それ即ちスチレを手にするということ。……そしてスチレは、かの巫女の活動拠点だ。かの巫女を確保するためにも、是非ともスチレの実権を握らせてもらおう」
更には、スチレを支配するとまで言い出した。そうして、カルバの頬へと手を伸ばして、軽く撫でた。
「っ……!」
「安心するといい。君に手を出すのは、式が終わってからだ。これでも形式を重んじる貴族なものでね」
ナフタリ伯爵は手を離すと、踵を返して部屋から出て行った。
「……ふー」
ナフタリ伯爵がいなくなって、カルバは体の力を抜いて安堵の息を漏らした。……口枷の構造上、声は出せないが呼吸は出来るので、その点だけはありがたかった。
(……行った、みたい)
ナフタリ伯爵との対峙は、彼女の体力や気力を、かなり消耗させていた。……突然こんなところまで攫われて、体を拘束されていたのだ。その状態で先程のような話を聞かされれば、さすがに平然としてはいられない。
(……どうして、こうなったのかな?)
余裕が出来て、カルバはバラバラになった思考を纏めようとした。だが―――グラに相談して、縁談を断ると決めた直後にこれだ。無論、この状況を彼のせい、などとは思っていない。けれど、結局自分には自由なんてなかったのではないか、くらいには思ってしまう。
(最初から縁談を断ろうだなんて思わなければ、こんなことにはならなかったのかな……?)
しかしそれは、この特殊な状況によって、精神的に疲弊しているために生じるネガティブな思考だ。実際のところ、素直に受けていたとしても何かしら酷い目には遭わされていたのだろうが、今の彼女にはそれに気づけるほどの気力はない。
(グラ君……助けて)
ただ、そんな状況にあっても、彼女は一つだけ信じていた。グラが必ず助けてくれると。いや、そう思うしかなかった、というべきか。
(都合のいい話だって分かってる。前に助けてくれたのは偶然だし、毎回助けてくれだなんて、虫が良すぎるって。でも……他に、頼れる人がいないの)
自らの醜さを、誰かを頼ることしか出来ない無力さを自覚しながらも、彼女はただ、彼に助けを求めるのだった。
「……それで、どうだった?」
「ちょっと分かんないわ……」
一方、ナフタリ邸を出たグラたちは。屋敷の中を観察していたエーテルに、進入経路を割り出せたか尋ねたのだが、反応は芳しくない。
「分からない?」
「ええ。……防犯用の索敵魔法を掛けるギアはあったんだけど、魔法の気配がしてないのよ」
「……それって、魔法が機能していないってことか?」
「そんなわけないでしょ」
グラの言葉に、エーテルは首を捻りながらそう答える。
「魔法が機能してないんじゃないわ。……例えギアが故障していたとしても、ギアから属性石の気配がするはずよ。ううん、ギアだけじゃない。全てのものには属性の気配があるのに、屋敷内に属性の気配が全くなかったのよ。普通ならありえないことだわ」
「あ……た、確かに、おかしな感じはしました」
「でしょ? あの屋敷、多分何かしらの仕掛けがあるんだわ。普通の方法で忍び込めるかどうか……」
不気味なナフタリ家に、エーテルは珍しく弱気になる。……魔法の知識に長けた彼女でも分からないこととなると、侵入を躊躇してしまうのも無理ないだろう。
「魔法属性がない、か……」
「グラたん、どうかしたの?」
「いや……俺が近づいても反応しないならいいんだがな。その理屈だと、魔神の俺でもセキュリティに引っ掛かる可能性がある」
魔神であるグラは、索敵魔法によって探知されない。だがそれは、魔神の特性により、魔法属性を打ち消しているからだ。しかし、もしもナフタリ邸のセキュリティが魔法属性を発しないタイプなのであれば、グラであってもセキュリティに引っ掛かる可能性がある。
「そうなったら、強行突破しかないんだけど……でも、肝心のカルバがどこにいるのか分からないと、助けようがないわ」
「もう少し、情報収集をするべきか」
「はい……カルバ様、もう暫しお待ちを」
事態の深刻さを改めて実感したグラたちは、一度北東地区に戻った。……カルバとナフタリ伯爵の婚約が発表されたのは、その日の夜であった。
◇
「どういうことよ……!?」
ナフタリ家からの通知に、声を荒げたのはエーテルだった。この強引とも言える仕打ちに、彼女は我が事のように憤慨する。カルバが自身の意思とは無関係に婚約させられている現状は、ギブアンドテイクを信条とするエーテルには受け入れられないのだ。
「このまま、カルバが部外者と接触する前に隔離するつもりなんだろうな」
「そんな……!」
「だが、逆にチャンスかもしれない」
焦るエーテルたちとは対照的に、グラはこれを好機と捉えていた。
「どういうこと?」
「ほら、これを良く見ろ」
グラが示したのは、先程読んだビラだ。ナフタリ家はこのビラを町中に配って、カルバとの婚約を知らせてきたのだ。
「このビラには、二日後に婚約パーティを開催するって書いてある。仕掛けるなら、そこしかないだろうな」
「確かに……これなら、カルバも姿を現すだろうし、やりやすいわね」
「ああ。それに万が一、本当にカルバが自分の意思でナフタリ家に嫁ぐつもりだったとしたらまずい。本人の顔を見てから行動を起こせるのもでかいからな。じゃなきゃ、こっちの勝手な決め付けだと言われかねない」
幸いなことに、ナフタリ伯爵とカルバの婚約パーティが催されるとあって、グラたちはそこに賭けることにした。カルバが確実に姿を現すであろうそのタイミングで、彼女を奪還するのだ。




