ヒロインが処女なのは大前提です(大真面目
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「だからね、私が本を読んでると「なんで字が読めるんだ?」みたいなことを言われるけど、心外なのよ。そもそも宿屋の娘なんだから、読み書き計算は基本中の基本よ」
数時間後。その後もグラはエーテルと会話を続けていた。会話の内容は殆どエーテルの愚痴になっていたが。彼女が男から言われた心無い言葉の数々を、グラに漏らしている。
「そりゃあ、初等教育を受けてるのは殆ど男よ? でも、そもそも初等教育は国民全員が受けられることになってるのよ? 実際、女だってそれなりに学校に通ってるし。偏見もいいところだわ」
オガーニ王国には読み書き計算を教える初等教育があり、建前上は国民全員に受ける権利がある。辺境の村ではそもそも実施されていないが、王都にはいくつかの初等教育機関―――つまり学校がある。だが、学校に通うのは大半が男子だ。女子は大抵、花嫁修業を兼ねて家事を仕込まれるか、家業を手伝う。そして読み書きが要らない職に就いた後、男を見つけて結婚、という流れが主流だ。けれども、家が宿屋だったエーテルは、最低限の勉学を身につけるため、初等教育を受けていたのだ。
「お陰で同性の友達はできないし、男友達ばかりできるし、体目当てで寄って来る男はいても恋愛はちょっと……って言われるし。ビッチの何がいけないのよ!? 処女がそんなに偉いって言うの!? 女が勉強できたらそんなに悪いか!?」
「そんなに興奮するなよ。俺がいた村では、男も女も読み書きくらいできたぞ。まあ、辺鄙すぎて何もないところだから、読書くらいしか娯楽がないせいなんだが」
「ふーん。っていうことは、グラたんも字が読めるんだ」
「当然だ」
魔神が隔離されるような辺境の村には初等教育機関がない。魔神は国民としても扱われないし、そもそも辺境の村のことを考えられるほどオガーニの規模は小さくないため、放置されているのだ。故にエーテルも、辺境における識字率は低いと思っていたのだが、実際は王都よりも高いのだった。
「でも、ギアとかないんでしょ?」
「ああ。使えない奴が殆どだからな」
「それが一番のネックよね……技師志望の私としては、ギアのないところへお嫁に行くのは嫌だし」
「誰も嫁になんかしないぞ?」
「冗談に決まってるじゃない。何本気にしてんのよ?」
エーテルの冗談に、グラは笑えなかった。何せ、彼自身、村を出るまで誰が嫁に来るだのと、結婚について色々言われ続けていたのだ。冗談と分かっていても、軽く流すことは出来なかった。
「あ、もしかしてグラたん、ようやくその気になってくれたの? んもぅ、そう言ってくれればいいのに。私も嫁の貰い手がなくて困ってたんだから」
「要らんっての」
王都の女性は結婚するのが割と早く、早い場合は十六、遅くとも二十前半には嫁ぐ。エーテルと同じ十八にもなれば、結婚しているか婚約している女性が半数になる。故に彼女も、色々と焦っているのだろう。
「それはそうと、そんな辺鄙なところに本なんてあるの?」
「……村に行商人が来て、持ってきてくれるんだ。村に金はないから、農作物との物々交換になるが、日用品はそうやって手に入れてる」
話が行ったり来たりするエーテルに呆れながらも、グラはそう答えた。……村には通貨がなく、食料は自給自足、その他の物は物々交換で入手するしかない。
「だけど、行商人だって出入りできないんじゃないの?」
「村の入り口に行商人を迎える市場があって、そこでなら取引できるんだ。無論、監視はされているがな」
「その辺はちゃんと考えられてるのね」
いくら魔神を隔離しているからといって、物資の供給まで禁止しているわけではないし、完全に拒絶されているわけでもない。行商人のほうも、半ばボランティアのように村までやって来るのだった。
「じゃあ、あの木刀も村で手に入れたの?」
「いや、これは村の外で貰ったんだ」
エーテルに尋ねられて、グラは木刀を取り出し、そう答えた。……彼の木刀は古びているものの、破損しそうな雰囲気はない。相当丈夫な物のようだ。
「旅の途中で立ち寄ったバイオって町に、武器商人がいてな。そいつが融通してくれたんだ」
「バイオって、軍事都市バイオのこと? じゃあ、そんなに遠くじゃないのね」
軍事都市バイオは、王都の西、大陸の南西に位置する旧バイオ公国だ。オガーニ王国に併合された後は、兵士たちの訓練と、西の海から攻めてくる隣国の警戒を主眼に置いた軍事都市として発展した。王都のみならず、王国中の兵士たちが研修や訓練のために訪れるため、町としての機能も充実していったのだ。
「んで、そいつに「妹を探している」って言ったら、人が多い王都に行くといいって言われたんだが……今、俺は少し後悔している」
「何で?」
「お前みたいなクソビッチに捕まったからだよ」
武器商人から貰ったアドバイス自体は間違っていないのだが、この宿屋を選んだのが運の尽き。こればっかりは自己責任だろう。
「いいじゃない。ちゃんと妹探しにも協力したでしょ? 結果は芳しくないかもだけど」
「それはそうなんだがな……」
「それに、普通ならこんなタナボタ展開に遭遇したら喜ぶところよ? 据え膳食わぬは男の恥って言うじゃない」
「さすがに腐った飯は食えないだろ」
「あっ、ひっどーい! 私はまだぴちぴちなんだから! っていうか、どうしてそんなに嫌がるのよ? そんなに処女がいいって言うの!? グラたんも他の男と同じってこと!?」
グラの毅然とした態度に、エーテルは不満げにそう叫んだ。過去の体験がかなり尾を引いているみたいだな……。
「……言うかどうかで迷ってたんだがな。お前、似てるんだよ」
「似てるって、誰に?」
「ナッタ―――妹に、だ」
グラの口から出たのは、意外な名前。これにはエーテルもきょとんとしていた。
「さすがにナッタはこんなクソビッチじゃなかったが、喋り方とか、俺への接し方がそっくりだ。だから余計に、な」
「……グラたん。やっぱり、お兄ちゃんって呼んであげよっか?」
「そろそろ木刀でぶん殴るぞ?」
「ごめん嘘嘘冗談だってば……!」
「ったく……」
未だにしつこく言い寄ってくるエーテルに辟易しながら、グラは妹の顔を思い出し、そしてまた溜息を吐くのだった。……妹の顔を思い浮かべながらことに及べるような奴は、変態呼ばわりされても仕方ないからな。こればっかりはどうしようもないか。




