黒幕のご登場
◇
「へへっ、びびって抵抗も出来ないか?」
「……」
裏通りを抜け、人気のない路地を進み、早三十分。エーテルが連れてこられたのは、セルロの隅にある倉庫区画。セルロで取引される商品が保管されているのだが、一部の時間帯を除いて、あまり人がいない。移動距離があるため、一度に必要分を取りに来るのが基本となっている。そのせいで、時間帯によってはほぼ無人となる。
「ほら、入りな」
そして、ある倉庫の前まで来て、中へと促される。……倉庫の内部はがらんとしていて、埃っぽく、暫く使われていないことが容易に分かった。そして、その中心に男が一人立っている。
「ほらよ、連れて来たぜ」
一緒に入ってきた不良たちが、エーテルの背中を押して、彼女を男のほうへやる。すると、男は顔を上げて、エーテルを見やった。……男は中肉中背で、短い黒髪と眼鏡が特徴的だった。身に纏うのはスーツだが、この埃っぽい倉庫にはあまり似合っていない。彼はエーテルを一瞥した後、徐に口を開いた。
「……私は、ハイドラ・エタール・セルロ嬢の拉致を依頼したはずだが」
「はぁ? だから、こうしてちゃんと攫ってきただろうが!?」
「あら、ばれちゃった?」
男の言葉に不良が声を荒げるが、当のエーテルはあっさりとそう白状した。
「え……?」
「んもぅ、縛り方がなってないわよね。ちゃんと拘束するときの縛り方じゃないわ」
彼女は手を縛り上げられ、猿轡もされていたのだが、いつの間にか解かれていた。いつの間にか、縄抜けをしたようだな。
「それにしても、よく見破ったじゃない。結構良い線いってると思うんだけど? 髪型合わせるのも苦労したし、服だってハイドラのものなのに。おまけに胸のところが緩々だったから、詰め物してまで合わせたのに」
言いながら、エーテルはウィッグを取り外して髪を解いた。小さく纏めていた髪がばらされ、普段とは違うストレートヘアとなったエーテルは、髪を結い直しながら男に目線を向ける。
「さすがに、その辺の小娘が貴族令嬢に化けるのは無理がある。歩き方一つにも差が出るからな」
「なるほどねー。やっぱ、見る人が見れば分かるものなのね」
髪を結び直しながら、エーテルは感心したようにそう呟く。……そもそも、彼女とハイドラは顔の造詣からして違うからな。看破されるのは想定のうちだから、それほど驚くことでもない。故に彼女も冷静なのだろう。
「それで、本物のハイドラ嬢はまだ屋敷か?」
「すぐに分かるわよ。―――グラたんっ!」
「どうにか、うまくいったみたいだな」
エーテルの声に、倉庫の中へグラが入ってきた。その隣には、ハイドラの姿もある。ハイドラは既にウィッグを外しており、彼女のことは誰もが見間違えようがない。
「全く……ハイドラは屋敷で大人しくしてないと駄目でしょ?」
「も、申し訳ありません……」
グラについてここまで来てしまったハイドラを、エーテルが窘める。彼女がここに来てしまっては、エーテルが囮になった意味が半減してしまう。無論、本人が囮になるよりは安全なので、無駄ではないのだが。
「そちらがハイドラ嬢か……態々連れて来てくれたのはご苦労だったが、素直に引き渡してくれる雰囲気ではないな」
「当然よ! 魔神の花嫁だかなんだか知らないけど、あんたたちにハイドラを好きにさせないんだから!」
「……ほう」
男へと指を突きつけるエーテルに、男は不適な笑みを浮かべる。……彼こそが、十中八九キレートだろう。それ故の発言なのだが、男のほうはそれで何かに気づいた様子。
「同感だ。……王都での件、ここで片をつけさせてもらうぞ、キレート」
「ふふ、なるほど。王都で大暴れしたのは君たちだったか。しかも、魔神の花嫁についても知っているとはな」
木刀を抜き放つグラに、男―――キレートは愉快そうに呟く。
「―――おいっ! 何訳分かんねぇ話してるんだっ……!?」
すると、今まで蚊帳の外だった不良が声を上げた。……拉致対象は囮で、その本命が後からやって来て、更には自分たちの知らない話を始めてしまったのだ。ここまで蔑ろにされれば、誰だって不満に思うだろう。
「おっと、そうだな。では、君たちにも仕事をやろう。―――そこの少年と少女たちを取り押さえろ。元はと言えば、君たちがしくじった仕事なのだからな。やればちゃんと報酬も払う」
「ちっ……おい、お前ら、やるぞ!」
キレートの言葉に、不良たちは舌打ちしながらもグラたちを取り囲もうとする。……そもそも彼らは、キレートから支払われる大金目的でハイドラを攫おうとしていたのだ。この状況で襲って来ない理由がない。
「ったく……」
だが、グラは全く動じず、溜息混じりに木刀を振るうだけだ。不良たちが反応を見せるよりも早く、彼らの腹に木刀を叩き込んでいく。
「てめぇ……!」
無論、不良たちも無抵抗なわけではなかった。だが、最小の動きで迎撃するグラにはなす術がなかった。
「……どうやら、雇う連中を間違えたようだな。この程度では話にならん」
そして、グラたちの周りには屍の山―――もとい、不良たちの山が出来上がっていた。彼が言うように、グラを止めるには少々頼りないな。
「ふむ……やはり、ハイドラ嬢の護衛に就くだけあって、腕が立つようだな」
「次はお前だ。王都での件もそうだが、今回の件についても色々と聞かせてもらうぞ。―――セルロの観光客を攫っていたのはお前なんだろ? ホルム家やネレート家が男爵令嬢を拉致した疑いがあるが、そっちにも関与してるんだろ」
「しかも、そこまで分かっているのか。……これは、ハイドラ嬢共々、生きては帰せないな」
雇った手下をのされても、キレートは平然としていた。そして彼は、懐から何かを取り出すと、こう言った。
「故に、君たちにはここで諦めてもらおうか―――スペルコマンド」
何か―――魔製機構を掴んだ右手を突き出すと、キレートは魔法を発動させた。
「なっ……!」
「……!」
その魔法に、真っ先に反応したのはエーテルだった。続けてグラも反応する。……先程グラが倒した不良たちが立ち上がったのだ。だが、彼らの目は開いていない。小さく呻き声を上げるだけで、意識があるようには見えなかった。
「グラたんっ……!」
「ったく、面倒なことになったな……」
復活した敵に、グラは木刀を構え直すのだった。




