それは舞台の裏側で
◇
「―――それでは、失礼致します」
ホルム侯爵家にて。ハイドラは先程と同じく、結婚相手について宣言していた。そしてその宣言を終え、ハイドラはホルム邸を後にした。
「……ふむ。これは少々厄介なことになったな」
一人呟くのは、残されたペンタルー・ホルム・セルロ侯爵。ハイドラの宣言を受けて、溜息混じりにそう漏らした。
「ハイドラ嬢の心がこちらに傾けばそれで良し、ネレート家のほうであればそれはそれで対処のしようがあるが……これは面倒だ」
ハイドラの宣言は、実際のところ、あまり効力はない。貴族同士の縁談というのは家同士の取り決めであって、本人の意思は二の次だ。しかし、今回は違う。エタール家当主のフタレイ子爵は、娘のことを第一に考える男だ。故に、ネレート家もホルム家も、今回の縁談はかなり慎重になった。当の本人がただでさえ乗り気でないのだから、この調子では断られかねない。そのため、本人の意思を聞き、縁談そのものを存続させつつ、ライバルとなるネレート家を牽制しようとしたのだ。幸いにも、ハイドラは貴族としての責任を果たそうとしているため、乗り気でないとはいえ縁談を断ることはなかった。故に少々強引に聞き出そうとしたのだが、その結果がこれだ。
「こうなれば、最終手段に出る必要があるな……」
しかし、彼女の宣言を受けたからといって、真面目に事件を捜査することなどありえない。となれば適当な犯人をでっち上げるのが基本なのだが、それはネレート家も考えることだろう。その場合、全く違う犯人が二人もいることになりかねない。それに、それで異変が収まらなければ、犯人と信じてもらえないだろう。……彼女をその気にさせる方法は他にもいくつかあるのだが、今まで以上に強引過ぎるし、彼女は大抵のことでは意志を曲げないだろう。今まではぐらかし続けていたように、彼女は自分の気持ちを表明するのが苦手だ。というよりは、貴族としての責任があるため、本心を曝け出せない。そんな彼女があの宣言をしたのだから、余程の覚悟があったのは想像に難くない。
「向こうも既に動いている頃か……急がねば」
ペンタルー侯爵は、ある男と連絡を取ることにした。彼がネレート家からも依頼を受けているであろうことは明白と言っていいが、ダメ元で頼むしかない。一応、爵位はこちらのほうが上なので、こちらに従う可能性もある。
「ヴァレンタイン」
「はっ、お呼びでしょうか?」
ペンタルー侯爵が呼びつけると、筆頭執事のヴァレンタインが即座に姿を現す。……本来、筆頭執事である彼は、主がいる部屋にノックせず入ることはない。しかしノックがないということは、そもそも最初からこの部屋にいたのだ。エーテルと同じく、隠形の魔法で主の傍に侍っていたのである。
「―――キレートと、連絡を取れ。用件は、分かるな?」
「はっ、直ちに」
ヴァレンタインは恭しく一礼すると、部屋から出て行った。
「……全く、もっと早くこうするべきだったか」
自分の慎重さを後悔するペンタルー侯爵。……だが、本来悔いるべきはそこではなく、今後より強い後悔をすることになることを、彼は露ほどにも思わなかった。
◇
……エタール邸にて。
「……はぁ」
ハイドラの自室にて。この部屋の主は、着替えの途中で溜息を漏らしていた。
「どうしたのでしょうか……? あんなことをしてしまうだなんて」
ハイドラが漏らしているのは、自分がした宣言についてだ。……二つの貴族に対して、彼女は条件を出したのだ。父に事前の相談もなく事後承諾になってしまったし、勝手にしでかしたことの重みは彼女自身を追い詰めていた。
「それに、私、エーテル様に……嫉妬を」
そして、ハイドラの自己嫌悪を増幅させるものは他にもある。……ネレート家からホルム家へ向かう途中、グラとエーテルが口論しているのを見て、羨ましいと思ってしまった。それは、間違えようのない嫉妬の感情だったのだ。いや、それ以前から、彼女には少なからず嫉妬していたのだが、今日のは特に大きかったという話だ。
「いいえ、これくらい、最初から―――」
だが、こんな黒い感情は最初から―――グラたちと出会ったときから抱いていたものだ。嫉妬など、それに比べれば寧ろ可愛いものだろう。
「―――最初から、あの方たちを利用しようとしていたのですから」
それは打算だった。グラたちに助けられたこと自体は全く偶然だったが、そんな彼らを利用しようとしていたのは紛れもない事実だ。命の恩人と言ってもいい存在なのに、どうしてそんなことを思いついてしまったのか。そして、どうしてそれを実行してしまったのか。それこそ、自分の内に醜いものがあるという証明ではないか。我が身可愛さに他人を利用するという、彼女が特に忌み嫌っていた行為を、平然と行ってしまえたのだから。
「……ですが、今更止めるわけにもいきません」
着替えを終え、ハイドラはドアの前に立つ。……グラたちは客室で待っている。部屋を出たらいつもの自分に戻って、二人の元へ向かわなければ。夕食までにはまだ時間があるし、それまでは二人を薔薇園に案内しよう。そう考えながら、ハイドラはドアを開けるのだった。
……その頃、別の場所では。
「……なるほど。彼女はそうきたか」
ここはセルロの隅、大量の商品を保管する倉庫が立ち並んだ一画。その中でも古くて使われていない倉庫の中で、一人の男が笑っていた。手元にあるのは魔法式の通信機。仲間とのやり取りに使う簡易のものだが、これ自体が既に最新の装置だ。今ではまだ、工業都市スチレで試験運用されている程度のもので、セルロにあるはずがない。だが彼らは、その程度は容易に入手できる。
「となると、こちらも考えなくてはな。貴族様には悪いが、あれは渡せない」
彼が受けたのは、二つの依頼。それはどちらも同じものだが、彼は自分たちの都合で、そのどちらも放り出すつもりだった。というか、それを遂行しようものならば、自分たちの存在意義がなくなってしまう。
「花嫁の確保も出来ていない今、月乙女を手放すなどありえない。せめて儀式が終わっていれば、それでも良かったのだが」
さすがに、虱潰しは効率が悪い。だが、詳細に調べるのもそれはそれで骨が折れる。王都ではそれが原因で目をつけられたみたいだし、いい加減方法を変えるべきか。だが、目的の者たちは居場所を変えてしまったし、今のオガーニ王国ではその行き先を調べるのはほぼ不可能だ。となれば、当たる可能性に賭けてみるしかない。
「まあ、乙女が誰か分かっているだけマシだな」
そう自分を納得させて、男は倉庫を出て行った。




