*37
狂った信奉者たちの間を抜け、フルーエティはリュディガーを人気のない木々の裏まで連れていってくれた。あの熱気に胸が悪くなる。
リュディガーがへたり込むようにして座ると、その項垂れた首にフルーエティが問う。
「この国を出るか?」
具合の悪そうなリュディガーを案じてのことだろう。けれど、リュディガーはゆるくかぶりを振った。
「まだだ。まだ、何もわかっていない」
あの少女は何者なのか。この戦は何故起こったのか――。
青い顔をして発する言葉にフルーエティを従わせる力はないかもしれない。しかし、このまま帰っても解決の糸口はないと思うのだ。
フルーエティは嘆息した。その仕草は少し悲しげに見えた。
「いや、色々とわかった。アレと対峙するのは相当なことだ」
「え?」
「アレは――」
その先をフルーエティが言いかけた刹那、彼の言葉を遮るものがあった。ぶわん、と耳鳴りのような音がしたかと思うと、リュディガーの眼前には彼女がいた。美しい、母に瓜ふたつの顔を持つ少女が。
あまりのことにリュディガーが瞠目すると、彼女――ルイーズは先ほど見せた神聖な微笑とは質の違う、朗らかな笑顔をリュディガーに向けた。
「見つけた。あなたは大事なお客様だもの。私のところへご招待するわ」
耳朶をくすぐる甘い声だった。彼女は驚きから固まったリュディガーの手を取る。理由まではわからずとも、今にも頬ずりしそうなほどの感情の昂りを彼女から感じた。
「ようやく、会えたわね」
そのつぶやきに、すべての謎が収束する。リュディガーの体はゾクリと震えた。
ぶわん、とまた耳鳴りのような音がして、リュディガーは思わず目を閉じた。滑らかな彼女の手の感覚だけが、現実として意識を繋ぎ止めている。
「さあ、着いたわよ」
それは一瞬のことだった。フルーエティと共に移動する時と同じほどの。
恐る恐る目を開けると、そこは天国かと錯覚するような美しさを誇る庭園の、大規模な噴水の前であった。
神の光臨を表現しているのか、仰々しい噴水は細かな水飛沫を上げてルイーズを輝かせる。うっすらと浮かび上がる虹――その中で、リュディガーは彼女と向き合った。
リュディガーも母親似である。二人の容姿はよく似ていた。
「ずっと、あなたに会いたかったの」
にこり、とルイーズは笑った。それは先ほど見せた妖しさのない、無邪気な笑みである。
「あなたは誰だ? 私を知っているのか?」
やっとの思いでリュディガーはそれだけを口にした。そんなリュディガーを、ルイーズは慈しむようにして眺めていた。
「ええ、もちろんよ。あなたは私の弟だもの」
「弟……?」
彼女の言葉がすぐには理解できなかった。彼女は今の自分よりも幼い。けれど、リュディガーは魔界で、地上とは違う時間の中で過ごした。普通にこの地上にいたのなら、自分はまだ幼子である。
彼女の容姿からして、母が産み落とした子であると考えるべきだろうか。
すると、ルイーズはクスリと笑った。
「そうよ。あの女は私を産んで、そうして捨てたの。その後、何食わぬ顔をして嫁いで、あなたを産んだ。だからあなたは私の弟なの」
目の前が眩んだ。それと同時に、妙に納得している自分もいる。
そうか、だからあの時自分は捨てられたのだと。あれが初めてではないのだ。過去に捨てた子がいるからこそ、母はまた同じことをしたのだ。
「あの女は他人を愛せないの。それがおなかを痛めて産んだ我が子であってもね」
「……捨てられたと。その容姿なら、あなたが私の姉であることは間違いないように思う。でも、どうして宗主国の中枢に?」
リュディガーが姉だと認めたことが嬉しかったのか、ルイーズは上機嫌だった。歌うようにして答えてくれた。
「それは運命かしらね。陛下が私を見初めてくださったのよ。貧しい暮らしをしていた私を。そうして、過ごすうちに使いが来たの。力の使い方もすぐに学んだわ」
クスクスクス、とルイーズの笑い声が耳を撫でる。噴水の音などどこか遠くに感じた。
「それで、弟という存在を見つけた時、私はすごく嬉しかったわ」
「それは……」
「あの女のそばに、周りから大切にされている子供が一人。フフ、私、どうしてもあなたと遊びたくなってしまったのよ」
「っ……」
まさかとは思う。けれど、たくさんの人死にを引き起こした戦の理由がこれなのか。
そんなことがあっていいのだろうか。
すると、ルイーズは拗ねたように唇を尖らせた。
「あの女があなたを捨てた後、私のところへあなたが素直に運ばれてくればよかったのに。それがこんなにもややこしいことになってしまうだなんて。本当に、余計なことをする悪魔ね」
フルーエティがいなければ、リュディガーは幼いままにこのルイーズと対面していたのだ。ルイーズは、母に捨てられ、満たされなかった心をリュディガーにぶつけることで憂さを晴らしたかったのだろうか。
ルイーズはコロコロと、口元に手を当てて笑った。
「嫌だ、憂さ晴らしだなんて。あなたは大切な弟だもの。私はあなたがほしかったのよ、リュディガー」
彼女の繊手がリュディガーの首筋に触れた。そうして、頬に、唇に触れる。その瞳は妖しく、捕らえた者を虜にするような輝きがある。あれは化物だと、フルーエティは言った。
ルイーズの唇がリュディガーに触れる寸前に、リュディガーはつぶやいた。
「……あなたは私の心を読んでいる。そうだな?」
何か、違和感を覚えた。会話は、フルーエティと話す時のように進んでいた。
彼女はリュディガーの心を読み取り、そうして的確な言葉を返していた。
何故、そんなことができるのだ。これではまるで――。
「あら、ごめんなさい? つい」
悪戯がばれたように、ルイーズは可愛らしく首をすくめた。
呆然とするリュディガーからルイーズは少しだけ離れた。そうして、唐突に法衣の前を開いた。黒子ひとつない白い肌。程よく薔薇色に染まった艶やかな肌を惜しげもなくさらす。
そうして、彼女は着用しているビスチェの胸元をずらすと、自分の心臓の辺りをリュディガーに見せた。
「これが何か、今のあなたにならわかるかしら?」
柔肌に刻まれたそれは――。
リュディガーは自らの手を握り締めながら震える声でつぶやいた。
「契約の……印」
ルイーズは満足げに微笑んだ。
「私は特別なの」
その胸の紋様は血のように赤く、けれど確かにリュディガーのものとは違うと感じた。その差がなんなのかはわからない。書かれている文字など読めぬのだ。
正解は、ルイーズがくれた。
「これはね、私が生まれ持ったものよ」
「何を……」
言っている意味がわからなかった。
「私は最初から力を持って生まれた。契約によって力を得たあなたとは違うのよ」
フフフ、と薄い笑い声が耳に張りつく。リュディガーはゾクリと身を震わせた。
「でも、半分は同じ血が流れていることは事実よ。だからあなたも悪魔を引き寄せたのではないの? ファールンは悪魔みたいなあの女と、その血を分けたあなたが暮らす国だもの。大陸にとって大きな禍よね」
悪びれもせずにそんなことを言う。大陸を蝕むのはルイーズだと主張したところで、正義は力によって覆る。リュディガーにルイーズを抑える力はない。
「さあ、可愛いリュディガー。私と遊びましょう?」
噴水の水が、ザアッと大きく立ち昇る。彼女は、魔性が持つ美しさで微笑んだ。




