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ワールドエンド・レメゲトン  作者: 五十鈴 りく


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35/45

*34

 仇討ちに――。

 ティルデが死んだ日の深夜に時を合わせてやってきた。

 その家は、白い柵に囲まれた木造の平屋だった。くたびれ具合が夜の物悲しさを倍増させる。


「エティ」


 短く呼ぶと、フルーエティは手をかざし、木の薄い壁に穴を穿った。木がそこだけ燃え落ちて、二人に入口を開く。

 中は暗く、乱雑で、脱ぎ捨てた服や靴が散らばっていた。そんな部屋のベッドの上に大きなシーツの塊がある。小刻みに震えるそれを、リュディガーは憎しみを込めて払った。


 ヒッと、かすれた声がした。

 シーツの下で頭を抱えていた男は、体だけが大きく、それでいて情けない風貌をしていた。小さな目が、驚きと恐怖に満ちる。


「彼女を殺したのはお前だな?」


 リュディガーは押し殺した声でそう問うた。

 男の、野太く吠え猛る声が轟く。けれど、家からも町からも誰一人駆けつけては来ない。この部屋はすでにフルーエティが支配する空間なのだ。

 冷え冷えとした心境で、リュディガーは笑いが込み上げてきた。


「そうか。ではその命で償ってもらおう」


 感情に呼応するように、手の平に火が灯る。その火は衣のようにしてリュディガーを中心に炎の渦となった。

 フルーエティはその様子を無言で眺めている。


「お、おれは、殺すつもりじゃ……っ!」


 そのひと言は火薬にも等しかった。リュディガーの感情にも火をつける。


「では何故、彼女は死んだ!?」


 荒らげた声と共に燃え盛る炎が男を取り囲む。じわりじわりとその輪が男を追い詰める。


「お前が殺したからだ」

「う、あ、あ……」


 炎が、男の肌を舐めるようにしていたぶる。その苦悶の表情と涙を、リュディガーは憎しみを込めて眺めていた。


「苦しいか?」


 その問いに答えるゆとりなどない。我を忘れ、男は幼児のように首を振り続ける。


「死はお前の救いにはならない。魔界へ落ちたお前の魂も、向こうで相応の責め苦を与えてやろう」


 肉体の苦痛には限りがある。そんなものでは物足らぬのだ。もっともっと苦しめて、自分がどれだけのことをしたのかをわからせてやりたい。

 髪に火が移り、男は叫んでのた打ち回った。髪の焦げる臭いはひと際不快で、リュディガーは顔を歪めた。

 フルーエティはポツリと言う。


「気分はどうだ? 少しは楽になったか?」


 男の苦しみを前に、リュディガーの復讐心は満たされているのかと。


「……まだだ。まだ、足りない」


 それが正直な気持ちだった。

 リュディガーの炎は、ベッドのシーツも焦がさず、男だけを焼いた。

 焼け焦げて、不気味に硬直した男の骸。

 煙から魂が滲み出すような、そんな無残な有様を前に、リュディガーは満足しきれなかった。


 では、何が足りないのか。

 共にいた男の友人たちを屠れば気が晴れるのか。

 そうしたことではない。それでは虚しさが込み上げるだけだ。

 そうではない。そうではなく、この渇きにも似た感情を埋めてくれるものは――。


「なあ、エティ」

「なんだ?」

「戦がなければ、ティルデは好きな歌を歌い、成功して幸せに生きていたかもしれない」


 それを赦さなかった現実。世界。

 くだらない戦争が彼女から夢を奪い、結果として命までも奪った。

 戦争がなければファールンの民であることを隠して逃れることもなかった。こんな悲劇に見舞われることもなかったのだ。


 そう思うと、この戦争が今まで以上に憎らしくて仕方がなかった。

 それを引き起こしたであろう宗主国のことも。

 宗主国は侵すべきではない神域だ、神の国だという崇敬はもう湧かなかった。


 この無残な世界に神などいないに等しい。いるのは悪魔だ。悪魔は手を差し伸べ、苦しみに喘ぐ心を救ってくれる。傍観するだけの神よりもよほど人に近く在る。

 恐れるものは何もない。

 宗主国の支配の形こそが間違っている。


「……エティ、一度ファールンの城へ戻りたい。夜が明ければ、父様が姿を現さぬことを不審に思う臣も出てくるだろう。それでは混乱のもとになってしまうから、なんとか収めなければな」

「ああ、それはどうにでもできる」


 フルーエティはそう言ったかと思うと、一度言葉を切ってから続けた。


「それはそうと、この男の魂をアケローン川まで追っていくのか?」


 その問いに、リュディガーはああ、と素っ気なくつぶやいた。


「それはもういいんだ」


 本当にそう思った。くだらない、と。

 フツフツと湧き上がる復讐心は、最早死者になど向かっていない。


「ティルデを殺したのはこの戦争も同じだ。彼女の夢を砕いたんだ。私はこの戦争を早く終わらせることで彼女に報いたい……」


 フルーエティは静かに、そうかとだけつぶやいた。


「そのために、ファールンの方を落ち着けたら一度宗主国へ行きたい。あそここそ魔窟だ。人の痛みを知らない魔物が潜む。私は場合によってはそれを滅ぼしたい」


 それを告げた時、フルーエティはひどく驚いたふうだった。フルーエティが感情をあらわにするのは珍しい限りである。


「……お前は、そうして怒らぬ性質(たち)かと思っていた」

「え?」

「母の裏切りにも、お前は怒らなかった。父を裏切った家臣にも、憤りつつも憐れみも感じていた。自分を殺そうとした父のことも恨まなかったからな」


 リュディガーはどう答えたものか、少し困惑した。そうして、つぶやく。


「大事な人が殺されて、それでも怒らないと思ったか? 私は聖人じゃない。すべてを(ゆる)すことが正しいとは思わない。あの男を赦せば、ティルデを裏切るように思えた。何もしてやれなかった……だから、せめて仇くらいは……」


 仇を取って、それでどうなるものでもない。

 ティルデはそんなリュディガーに感謝などしないだろう。

 それでも、殺人者を赦すことで悲しませる、そんなふうにも思えた。

 死して天門を潜った魂は、世俗の憂さを忘れ、すでに何も思わないかもしれないけれど。


 執着は人を変える。

 愛しいと思う心が、リュディガーを復讐へと駆り立てた。


「エティは、何も憎まず、あるがままに流される私だから手を差し伸べてくれたのか。憎しみに身を焦がし、人を殺すようになった私は、お前の(あるじ)には相応しくないか?」


 そんなことを口走ってしまった。

 母に捨てられ、父に殺されかけ、愛する人を(うしな)った。

 自分のそばには誰も――いないのだ。


 そんな自分に寄り添っていてくれるのは、結局のところフルーエティだけである。そのフルーエティも、この契約は失敗であったと思っているのかもしれない。契約に縛られて従ってくれているけれど、本心ではリュディガーの脆弱な心に呆れているのではないだろうか。


 フルーエティは小さく嘆息した。


「お前は俺自身が選んだ主だ。どんな結末だろうと最後までつき従うつもりでいる」


 ――どうしてだか、涙が滲んだ。

 人を殺めることに慣れ、人道に背いていく自分を感じながらも、まだどこかで不安に怯えている。孤独を恐れている。そんな人間臭さを感じて、リュディガーはえも言われぬ心持ちになった。

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