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ワールドエンド・レメゲトン  作者: 五十鈴 りく


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34/45

*33

 リュディガーはフルーエティだけを連れてプリーメル公国の森の中に出た。マルティとリゴールも供をすると言ってくれたのだが、今回ばかりは断った。

 この獲物は誰にも譲れない。


 プリーメル公国は、宗主国に隣接する。

 比較的穏やかな国だと、フルーエティはティルデの隠れ家にあの森を選んだのだ。

 そのことが間違いだったとは言わない。フルーエティは真実を見通すふうではあるけれど、すべての未来を予知するわけではない。だから、この悲劇はフルーエティのせいではないのだ。


 要するに、どれだけ穏やかな国に見えたところで、人は悪意を隠し持つ。そうして、それが時折牙を剥く。人がいる場所には必ず危険が潜む。

 大切に思えた自国でさえ、そうした人間は少なからずいるのだろう。キルステンもそうであったのだから。本当の意味での平穏を望むなら、いつかは民を淘汰することも考えるべきであろうか。


 地上へやってきた時間は、ティルデが殺害された日、もしくは翌日のようだ。辺りはひどく暗い。梟の声がこだまする。


「なあ、エティ」


 リュディガーはフルーエティを呼ぶ。


「……なんだ」


 その静かな声に、リュディガーは顔を向けた。


「エティはティルデを殺した人間がどういった者なのか、すでにわかっているんだろう?」


 初めて会った時から、フルーエティはそうだった。幼いリュディガーに、真実を見てきたようにして語った。


「ああ」


 短い返答。リュディガーは拳を強く握り締めた。


「どんな……相手だった?」


 声が震える。これを先に訊ねなかったのは、知ればすぐにでも斬り刻みたい衝動に駆られるからだ。


 脱走兵だろうか。ファールンで敗走した、あるいは戦に嫌気が差して逃走したナハト軍の兵士が隣国のプリーメルまで逃れてきたとも考えられる。

 戦は人間の野生をかき立て、脱走兵が殺人や陵辱を平然と行うという知識は、大陸史を学んだリュディガーにもある。


 フルーエティは小さく嘆息した。


「ただの人間の男だ。善良でも、取り分け非道でもない、平凡と言える範疇のな」


 その言葉が、リュディガーには呑み下せなかった。


「なんだ、それは……っ」

「ただの平凡な男だが、酔った勢いで仲間たちと森へやってきた。肝試しのつもりであったようだが、その途中であの娘に出くわした」


 淡々と、フルーエティは語る。


「娘の方はこの森の地形など知りもしないで闇雲に歩いていた。日も暮れ、出くわした相手が獣ではなく人であったことに初めは安堵したようだ」


 だが、と言葉を切る。


「そうして近づいてみれば、酒の臭いがする男たちだ。関わらずやり過ごすべきかとそばをすり抜けた。その背を、男たちは追った。逃げる獲物を追いかけるのは、人も獣もそう変わりはないな」

「その男たちは――」

「こんな時間に森の中にいる娘だ。普通の娘ではないと感じたようだ。そうして、逃げる娘を追って、捕らえた。嬲られると怯えた娘は半狂乱になって抵抗し、男たちは酒の力もあって見境がなかった。首を絞めたのは、殺すつもりというよりも頭に血が上った結果だった」

「そんな……」


 声がかすれた。

 あまりにもくだらない。

 大切な彼女が、夢を追うひた向きな心に少しもそぐわない、無価値な死を与えられたというのだ。

 真実はいつも残酷だ。

 フルーエティは小さく嘆息する。


「まあ、死体を弄ぶような真似はしなかったことだけが救いか。自分たちのしたことに怯えて町まで逃げたのだから、小心なただの人間だ」


 スルスルと体から力が抜け、リュディガーはその場に座り込んだ。

 そうして、ぽつりと言う。


「それでも、復讐は果たす。罪に見合った罰を、私が与えてやる」


 人を裁く者は人ではないと、昔の自分なら言った。けれど今は、人だからこそ裁くべきなのだと思う。

 愛する心を持つ人が、その対象を奪った相手を裁く。それが最も正当な罰なのだ。


「……お前の気が済むのならそうしろ。私はそれを支える」


 今となっては、フルーエティがリュディガーの一番の支えであった。


「ありがとう、エティ」


 リュディガーは立ち上がると、力強く大地を踏み締めた。獣の遠吠えが、どこかでした。




 ティルデを殺した男がいるのは、最寄の町だと言う。

 共にその場にいた友人たちもここに住む。けれど、目的は首を絞めた男ただ一人でいい。もし、気持ちに収まりがつかなければ、その時は他の男たちのことも同じように裁けばいい。

 フルーエティによると、その男は両親と妹と共に暮らしているらしい。

 そこでふと、リュディガーの頭をかすめた考えをフルーエティが読み取った。


「まあ、そうだな。自分が殺されるよりも嫌なことがお前たち人にはあるだろう」


 楽に殺すのではない。

 男にとって大切な家族を目の前で殺したならば、死に勝る苦痛を与えることができるのではないかと。


 ただ、あんなにも憎しみに身を焦がしたというのに、その決断だけはできぬのだ。

 それができるようになるのなら、あの時、父の手にかかってリュディガーは死ぬべきであった。そこはどんなに憎しみに身を焦がそうとも越えてはならぬ一線である。人である以上――人であろうと思うならば。


「……いや、それはしない。私の標的はその家族ではない。無益な命を奪いたいとは思わない」


 かぶりを振ると、フルーエティは嘆息した。


「ならば言うが、あの男は普段はぞんざいな態度で接しつつも、妹の誕生日には花を買うような性質も持ち合わせていた。殺せば、少なくとも嘆く人間はいるだろうよ」


 そんなことは知りたくもない。

 だったら、どうしろと言うのだ。ティルデの無念を忘れろとでも言うのか。

 悲しみを飲み込んで、耐えて、咎人を赦せと。


「誰が嘆こうと、自分の行いが自分に返るというだけのことだ。これ以上惑わせるようなことを言わないでくれ」


 リュディガーがそうくくると、フルーエティはそれ以上何も言わなかった。無言のままにリュディガーを町まで運んでくれたのだった。



 同じ大陸で戦争が起こっているなどとは思えない、穏やかな町。静かな夜。

 ファールンやナハト公国よりは少しだけあたたかな空気が肌をかすめる。春はすぐそこに――。

 その気温差のせいかフルーエティはかすかに眉を顰めたけれど、気が逸るリュディガーには大した問題ではなかった。


 寝静まった町の中、闇に慣れたリュディガーはフルーエティを従えて殺人者のもとへと向かう。

 あまりの静けさに、リュディガーの心も研ぎ澄まされるようだった。


 人を殺す。

 殺されたのがか弱い少女であったからこそ、この怒りも復讐も正当なもののように言えるけれど、奪った命の多さではリュディガーの方がよほど多いのだ。けれどそれは戦という大義名分があってのこと。

 そうは思いつつも、それならば何故あの指揮官の男はアケローン川を渡されたのか。

 相手が少女であろうと兵士であろうと、命は命だと。その大義名分は人が(こしら)えたものに過ぎないからこそ、彼に天門は開かれなかったのではないだろうか。


 人は罪深い。

 天門を潜る人間など、どれだけいるのだろうか。

 人は人を虐げ、押しのけて生を全うする。罪を犯さずに生きようとすれば、奪われるばかりである。

 非道を尽くせば人の(みち)に外れ、善良であろうとすれば生きることが難しくなる。


 人として生きるということは、危うい均衡を必要とする。難儀なものだとリュディガーは虚しく思った。

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