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ワールドエンド・レメゲトン  作者: 五十鈴 りく


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31/45

*30

 抱き締め続ける彼女の体が硬く冷たくなっていく。認めたくはないけれど、死臭というものもするのだろう。

 何故、彼女が死なねばならなかったのか。何故、殺されたのか――。

 そう考えて、リュディガーの涙と嗚咽とがピタリと止んだ。


 殺された。そう、殺されたのだ。

 殺した相手がいる。この細い首を絞めた相手が。


 それに思い至った瞬間、リュディガーの中で何かがカァッと熱く燃え広がるようだった。父のように、殺すことで相手を救おうとしたとは思えない。ただ殺したかったのだ。そこには快楽すら存在したかもしれない。


「リュディガー」


 ずっと押し黙っていたフルーエティが静かに声をかけた。


「その娘は蘇らない。そうしていては骸が傷むだけだ。氷によって永遠に保つか、炎で灰にするか、好きな方を選べ」


 氷で体を保ち続けたところで、魂は戻らない。それを眺めて過ごすのはただの自己満足だ。クルクルとよく動く表情も、歌声も、熱も――欠けたものばかりを追ってしまう。


「……灰にして、やって、ほしい」


 変わり果てた姿をいつまでもさらし続けることは、ティルデにとって苦痛でしかないと思えた。死に顔を留めておかなければ、思い起こす顔は朗らかな笑顔であってくれるだろうか。

 その返答を聞いた時、フルーエティはほっとしたように見えた。


「わかった」


 リュディガーは草の上にティルデを下ろす。最後に髪を撫で、冷たい唇に口づけた。悲しみは、徐々に心を蝕んでいく。

 ティルデから離れると、フルーエティは指先から小さな火をティルデに向けて放った。その火は一瞬で燃え盛り、ティルデの体を巻き上げて火柱となる。

 その熱気にリュディガーは目を細めた。涙はもう枯れたのか、出てこない。熱気に肌がピリピリと乾いた。


 火柱が消えた後、キラキラと舞い散る灰を全身で受け止める。そうすることで、何時(いつ)いかなる時でもティルデと共に在れるような気がした。そばにいてくれる、そう思うことで今はまだ立っていられるのだ。

 リュディガーはフルーエティに背を向けたままでつぶやく。


「アケローン川へ向かおう。その後で、私にはやるべきことが増えたようだ」


 はっきりとした声でそう告げた。握り締めた拳には何も残されていなくとも、やるべきことはまだあるのだ。

 彼女はもういないけれど、それでも生きる。それを選択した。


「……娘を殺した相手に復讐するのか」


 やはり、フルーエティに隠し事はできぬようだ。リュディガーは泣き腫らした目元で、それでも驚くほど晴れやかに笑ってみせた。


「当たり前じゃないか」


 ティルデがどんなに恐ろしい思いをし、苦しんだことか。

 それ以上の目に遭わせてやらなければ帳尻が合わない。善良な人間だけが苦しむなんて、そんなことがあってはならない。


 リュディガーの言葉に、フルーエティはほんの少し顔をしかめた。何故そんな顔をするのか、リュディガーには不可解であった。


「さあ、魔界へ戻ろう」


 フルーエティは小さく息を吐いて、無言のままに魔法円を描き出した。その門を潜り、リュディガーは久方振りに魔界へ赴くのだった。

 色々なことがあった。護りたいものは護りきれなかった。

 そんな自分に何が残されているのか、何ができるのかをリュディガーは自問した。




 門を潜って出た先はフルーエティの屋敷のそばであった。


「リゴールを呼んでくれ。すぐにでもアケローン川に向かうんだ」


 今の自分を突き動かすものがなんなのか、リュディガー自身にもわからなかった。それでも、動いていなければならないような気がするのだ。

 フルーエティは穏やかに言った。


「少し休め。後のことはそれからだ」


 食事も睡眠も十分とは言えない。けれど、父もティルデもそうしたこととは無縁の状態である。自分のためにそれらをすることが、ひどく虚しく思えた。


「いや、私なら大丈夫だ」


 何も要らない。ほしいものがあるとすれば、それは――。


「いいから、休め」


 フルーエティは語調を強めた。そんな彼にリュディガーの方が失笑してしまった。


「どちらが(あるじ)だかわからないな?」


 クスリ、と笑いが零れる。どうして今、自分が笑うのかもわからない。悲しみが心を麻痺させ、笑うことで自分を騙そうとしているのか。

 理由までは考えたくもない。ただ、笑い声が零れる。

 そうしていると、リュディガーを見つめるフルーエティの表情が翳る。


「お前は今、自分が思う以上に疲れている」


 疲れてはいる。

 けれど、だからどうだというのだ。


「……あの娘を殺した相手に報復するというのなら、休め。その様子だと持たない」


 それを言われて初めて、リュディガーはああ、と納得した。


「そうか。そうだね。わかった、休ませてもらうよ」


 急に途絶えたふうに見えた道のりが、ほんの少し先まで見えた。そんな気分だった。

 フルーエティはやはり苦々しい面持ちになった。休むと答えたのに、まだ何かを言いたげである。


 けれど、リュディガーはそれ以上会話を続けなかった。フルーエティに背を向け、そうして魔界の風を受けながら崖の上を歩いた。屋敷までの短い道のりを歩くのに、思うことはたくさんあった。そのひとつひとつを整理するのはまだ無理なことだけれど。


 まずはひとつ。

 あの指揮官の男に話を聞く。そうして、その次にはティルデを殺した相手を捜し出す。

 その後のことをリュディガーはおぼろげに描き始める。

 まだ、やるべきことは多いようだ――。



 フルーエティの屋敷で湯浴みをし、その後、部屋でリュディガーは横になった。感情は昂っていたけれど体は限界だったのか、気づけば眠っていた。夢は見なかった。


 どれくらいの時間眠っていたのかはわからないけれど、リュディガーは目覚めてから食事も取った。要らないと思っていたのに、ひと口食べたらすんなりと食べられた。胃に落ち着いた食物はそのまま戻すこともなかった。


 あれだけの出来事が一度に押し寄せてきたというのに、自分は意外と落ち着いている。そのことをリュディガーは意外に思った。

 現実味がないというわけではない。あれらはすべて本当に起こったこと。

 だからこそ、受け入れるしかないのだ。逃げる場所はどこにもない。どこへ逃げても悲惨な現実は追ってくる。


 その現実に、どう報いていくか。

 そうだ、生きることは奪うこと。奪わなければ生きられない。

 それを理解できていなかったからこそ奪われたのだ。

 ひっそりと慎ましく生きるなどと、そんなものは夢想であり、弱者は現実に蹂躙されるさだめだったのだ。

 

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