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ワールドエンド・レメゲトン  作者: 五十鈴 りく


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30/45

*29

 フルーエティがリュディガーを運んでくれる。ティルデのもとまで。

 それは暗い森の中。梟の声が耳に残る。

 視界は閉ざされていた。しかし、魔界の薄暗さに慣れたリュディガーが見えぬほどではなかった。フルーエティと共に少しばかり歩く。フルーエティがそう仕向けたのだ。

 すぐにティルデのもとへたどり着けないのは、歩きながら頭を整理しろということか。


 リュディガーは、目まぐるしく起こった出来事で混乱している頭を落ち着けようと努めた。草を踏み締める二人の足音が新月の夜にある。

 最後にティルデと交わした言葉はなんだっただろうか。その言葉は、彼女の心を支えるに足るものではなかったのだろうか。

 あの時の情熱も、すでに冷えきってしまったと――。

 だから、ティルデはあの家でリュディガーを待つのをやめてしまったのか。


 リュディガーは体中がギリギリと痛むような、そんな苦しさを味わっていた。けれど、フルーエティは淡白な調子で言う。


「……人というのは孤独に弱いな」

「え?」

「あの娘は、迎えに来るというお前の言葉を信じて待つことができなかった」


 そのひと言がリュディガーを苛む。心臓に(くさび)が打ち込まれたようだった。


「私が……不安にさせてしまったのか」


 心が通じたと思った。お互いが求め合った。

 それでもまだ尚、何が足りなかったというのだろう。

 リュディガーにはわからなかった。

 両親もあれだけ仲睦まじく過ごしていたのに、母は父を裏切った。その変心もリュディガーには理解できぬことである。


 一人で待つ部屋は広かった。一人で待つ時は長かった。そういうことなのだ。

 不安と戦いながらティルデはそこにいた。これが限界であったのだ。

 孤独は人を懐疑的にする。それをわかってやれなかったのは、リュディガー自身が孤独を忘れて、父やフルーエティたちと共にいたからである。


 そのことに気づいて愕然とした。

 どうしたらもう一度そばにいてくれるのだろう。追いかけて抱き締め、望む言葉を口にすれば彼女は赦してくれるだろうか。顧みなかったことを心から謝りたい。


「……お前は不器用だからな。護りたいものがふたつあっては護りきれぬ」


 フルーエティがそんなことを言った。その声はリュディガーを労わるように穏やかであった。

 しかし、そんな言葉が慰めにもならない現実がそこにあった。


「え……?」


 思わず声を漏らしたのは、見間違いだと思ったからだ。ここはあまりに暗い。暗いから、見間違えても仕方がないと。

 そんな心さえ、フルーエティは読み取ったのだ。手元に炎を浮かべると、それを上空へ放ってランタンのように辺りを照らした。


「そんな――」


 首を真横に向け、冷たい草むらの中に仰向けで横たわる彼女。見開いた眼に光はない。髪やスカートの裾が乱れ、脚が投げ出されている。ほっそりとした首にはリュディガーの首に残る跡と同じものがあった。

 リュディガーよりもさらに細く華奢な首は、さぞ呆気なかったことだろう。


 ガクリ、と膝が地面に突いた。開いた口から精気のすべてが抜けていくようだった。

 自分が犯した罪への代償がこれなのか。なんの罪もない彼女に罪を背負わせたような気分になる。

 呆然とするリュディガーに、フルーエティはそれでも残酷に告げる。


「お前にとっての最優先は父だと言っただろう?」

「それは……っ」


 父は大事だ。けれど、だからといってティルデがそれに劣るなどと考えたわけではない。

 そこでリュディガーはハッと気づいた。


「……エティ、あの時それを私に訊ねたのは、ティルデが外へ出たと使い魔が知らせたからなのか? ティルデに危機が迫っていたなら、どうして見過ごしたんだ!?」


 結局のところ、フルーエティにとって特別なのは(あるじ)であるリュディガーだけなのだ。リュディガーに関わる人間でさえ、情を持って接してはくれない。こうして心を痛めることを理解してくれないのは、やはりフルーエティが悪魔であるからなのか。

 すると、フルーエティは嘆息した。そんな仕草にも今は憤りを感じた。


「お前が自分の命を諦めて殺されかかるからだろう?」

「何を……」

「この娘に構ってもいられなかったのだ」


 フルーエティはリュディガーから顔を背けた。その様子に、リュディガーの中で何かが弾けた。

 リュディガーが父の手によって絞め殺されようとしていた時、ティルデも同じように殺された。

 どうして、と運命というものに問いたい。どうして、自分に関わる者は不幸になるのかと。


「この地上で過ごす時はやり直すことができない。俺もお前もこの娘が殺された瞬間は地上にいたのだ。この娘を救う手立てはない」


 そんなことは改めて言われなくともわかっている。リュディガーは獣のように吼えると、契約の印のある右手の拳をフルーエティの頬に叩きつけた。

 簡単に避けるだろうと思っていたフルーエティは微動だにしなかった。リュディガーの手に人を殴った衝撃が伝わる。けれど、その痛みとは別の苦しみを感じた。


 ティルデはもっと苦しかっただろう。首を絞められた時のあの苦痛を思い出し、涙が止め処なく溢れる。

 リュディガーはさらにフルーエティを殴りつけた。何故、フルーエティが避けないのかがわからなかった。ただ、リュディガーは感情をぶつける何かがほしかった。ひたすらに、ありったけの力を込めて殴りつけた。

 それでも、フルーエティの端整な顔には傷らしきものもつかなかった。殴ったリュディガーの手だけが痛む。


 叫び、息を切らしながら殴り続けるリュディガーの手を、フルーエティがようやく止めた。涙に濡れた頬が夜気にさらされて冷たく感じる。キッと睨みつけるリュディガーに向け、フルーエティはかすかに眉根を寄せた。


「それくらいにしておけ。手が傷む」


 フルーエティの手を振り払うと、リュディガーはティルデの亡骸に駆け寄り、見開いた眼を閉じてやった。痛々しい首筋に触れると、ほんのりと熱を残していた。

 天上の歌声だと思った。あの歌は二度と聴けない。

 追い続けた夢は叶わず、ひた向きな彼女に用意された結末はこんなにも無残だ。


「歌い手にとって大切な喉なのに……」


 ひく、としゃくり上げながらつぶやいた。そうして、変わり果てた恋人の亡骸を胸にかき抱き、リュディガーは声を嗄らして泣いた。

 あの微笑みも歌声も、もう蘇らない。


 なんの罪も穢れもない彼女の魂は天門を潜り、神々に愛されることだろう。罪深い自分の魂は魔界へ落ちるのだから、後を追って死したところで巡り合うことはできない。


 それでも、次の生こそは幸せにその歌声を響かせることができたなら。

 生まれ変わった彼女をきっと探し出してみせよう。

 この無情な地に留まることでしか邂逅は果たせぬのだから惨いものだ。


 ただ生きるということが、どうしてこんなにも難しいのだろうか――。

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