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ワールドエンド・レメゲトン  作者: 五十鈴 りく


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29/45

*28

「つらかっただろう? ……すまない。本当にすまなかった」


 熱く、感情に揺れる声だった。


「護ってやれなくて、すまない……」


 リュディガーの体が軋むほど強く抱き締めていた父は、その長い抱擁の後にそっと体を離した。そうして、リュディガーの肩に添えた手を滑らせる。


「と――」


 剣を握り続けた父の硬い手の平が、リュディガーのまだ柔らかく細い首を包み込んだ。グッ、と指先に力が込もり、そのまま後ろに体重がかけられる。

 強い力に息が詰まった。声が出ない。ただ、霞む視界で見上げた父の顔からは止め処ない涙が溢れていた。


「私の大切な子……。お前はもう苦しまなくていい。お前の罪は私が受け取る」


 ポタリ、ポタリ、と涙がリュディガーの顔にかかる。呼吸のできない苦しさよりも、父の苦悶の表情に痛みを感じた。


「この子は、親に、命を奪われた、憐れな魂。その罪をどうか、減じてくださいますように。その罪は、子殺しの我が身に、降り注ぎますよう、に」


 切れ切れの、祈るような言葉が耳に届く。

 父は、リュディガーを手ずから殺すことで救うつもりなのだ。

 お前など息子ではないと拒絶するのではない。すべてを受け入れてくれたからこそ、愛情が深いからこそ、この方法を選んでくれた。要らない子だと打ち捨てるのではない。リュディガーの罪を肩代わりするつもりで――。


 そんな父を責める気持ちにはなれなかった。むしろ、その心に感謝した。

 この命は幼い頃に散るはずであったのだ。父の手にかかるならそれは悲しいことでない。

 父の愛を感じながら逝けるのならば――。


「女神ロレよ、どうかこの子に、慈悲を垂れて――」


 父の祈りの声はキィン、と甲高く鳴った音で遮られた。それが何であったのか、リュディガーにはわからなかった。ただ、喉に食い込んでいた父の指から突如力が抜け、その指は氷のように冷たく感じられる。

 急に空気が通り出した喉では上手く呼吸ができず、ひたすらにむせて涙が零れた。ゴホゴホと咳き込んでいると、冷ややかなフルーエティの声が割り込む。


「お前はすぐに自分の命を諦める。その癖はいつになったら直るのだ?」


 どうやら、またしてもフルーエティに助けられてしまったらしい。ゆるんだ父の指が首から外れる。その途端、父の体はそのまま寝台へと倒れた。


「っ!!」


 とっさに声もでなかった。倒れ込んだ父の体は分厚い氷に覆われていた。リュディガーから離れた瞬間に、指先までもが凍りつく。氷に閉ざされた父は、最後に見た苦悶の表情のままである。


「父様!!」


 凍った父の肩に手を添える。けれど、リュディガーの持つ熱では少しも溶けることがなかった。氷というよりもまるで水晶のようでもあった。これはただの氷ではない。これはフルーエティの魔力の結晶なのだ。


「エティ! なんてことをするんだ!!」


 リュディガーが半狂乱で振り返った先にいたフルーエティは、いつもと変わらず平然と腕を組む。


(あるじ)の生命の危機だ。仕方がないだろう? まあ、殺したわけではない。仮死状態で眠っているようなものだ」

「それなら解け。今すぐにだ!!」


 ふらつきながらもリュディガーは立ち上がってフルーエティに詰め寄った。キッとフルーエティを睨みつけるけれど、彼が怯むことなどない。リュディガーの首に残った生々しい指の跡を一瞥して嘆息する。


「解けば、お前の父はまたお前を殺そうとするだろう。この部屋はしばらく封印しておく。お前は今、ここで腑抜けている場合ではないはずだ」


 アケローン川のほとりで、死んだ指揮官の男を問い詰め、この戦を終わりへと導かなければならない。まだやるべきことは多く残されているというのか。

 すると、フルーエティは呆れた様子だった。


「そうではない。あの男のことなど、お前にとってさほど重要ではない。お前が父のことが最優先だと言うからしばらく待ったのだ」


 フルーエティが心を読む。リュディガーは奥歯を噛み締めて唸るように言った。


「では他になんだ?」


 心が、喜びと悲しみの波にさらされて鈍くなった。重要なことなど、今この場所で父以外には考えられない。そんなリュディガーを、現実は嘲笑うかのようだった。


()()()が敷地の外へ出た。止めに向かった方がよいのではないか?」


 キュッと心臓をつかまれたような痛みが走る。瞠目したリュディガーを気遣うどころか、フルーエティは傷口に塩を塗り込むようなことを言い放つのだ。


「もうあの娘のことなど忘れたというのなら、このまま打ち捨てておけばよい。けれど、そうでないのなら――」

「忘れてなどいない! ティルデは私にとって掛け替えのない女性(ひと)だ!」


 そう想う心に偽りはない。なのに、それを誇れない。

 フルーエティはそんなリュディガーの心を見透かすのだった。


「お前は先ほど死んでもいいと思ったのだろう? それはあの娘への裏切りではないのか?」


 共に過ごせる時を、場所を手に入れると口にした。

 けれど、怒涛のように押し寄せる戦いの中で、彼女のことをどれだけ想っただろうか。

 目の前で繰り広げられる現実に向き合うことで精一杯だった。父を助け、国を救うことしか頭になかった。たくさんの安らぎをくれた彼女を気に留めるゆとりがなかった。

 あの寂しい場所で独り、彼女は不安と戦っていたかもしれないのに。そのことに気づいてやれなかった。


 父の手にかかるなら死んでもいいと、それはひどく身勝手な決断だ。待っていてほしいと言っておきながら、迎えに行くことをしないのなら、それは嘘と変わりない。大事な彼女には誠実であるつもりが、実際はどうだ。

 リュディガーは自分の不甲斐なさに愕然とした。

 色の抜けた唇を震わせながらつぶやく。


「エティ、連れていってくれ。ティルデのところへ……」


 長く来られなくてすまなかったと謝らなければならない。ティルデは赦してくれるだろうか。

 非難されてもそれは仕方のないことだ。赦してもらえるまで謝り続けよう。

 リュディガーはチラリと寝台に横たわる父を見た。胸が痛むけれど、今はこのままで待っていてもらうしかない。ティルデを連れて身を潜めたらフルーエティに頼んで解放してもらおう。


 そうして、もう二度と会わない。

 残りの人生はティルデに捧げよう。

 リュディガーはそう決心した。


「――ピュルサー」


 突然フルーエティはピュルサーを呼んだ。リゴールとマルティはアケローン川に向かってもらっているので、地上に残っている配下の中で一番信頼の置ける相手がピュルサーではある。


「はっ」


 ピュルサーはどこからともなく現れると二人の前にひざまずいた。そんな彼にフルーエティは抑揚のない声で命じる。


「少しこの地を離れる。この部屋は封印しておいたが、念のためここで見張っていろ」

「御意のままに」


 ピュルサーがそう答える。フルーエティはこれでいいだろう、と目で語るようだった。

 リュディガーは力なくうなずいた。


「頼むよ、ピュルサー……」

「お任せください」


 重苦しい心を抱えたまま、リュディガーはフルーエティに顔を向けた。フルーエティは魔法円を描き出す。

 ティルデに会うというのに、気持ちは晴れないままだった。


 いつか、疲弊した心を癒してくれた時のように、すべての苦しみを吹き飛ばすほどの笑顔を彼女に望むのは、本当にどうしようもなく勝手なことだ。けれど、それが見られたらもう他には何も望まない。

 今のリュディガーにはそれだけが救いだった。

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