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ワールドエンド・レメゲトン  作者: 五十鈴 りく


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*26

 うつ伏せに倒れた指揮官の亡骸を、皆が呆然と眺めていた。城館を取り戻した喜びよりも、彼が遺した言葉の痛烈さから動けずにいる。その死は(のろ)いのようで、あまりに不穏だった。


 自ら命を絶たれては何かを訊き出すこともできない。ナハト公国がファールン公国を悪魔の国として攻めたことは、結局のところどういう意味を持つのか――。

 皆と一緒に放心していたリュディガーに、一人冷静なフルーエティがつぶやいた。


「あの男を問い詰めたいのであれば、アケローン川へ行けばいい。あれは軍人だ。殺戮を生業とした以上、天門など潜らぬことだろう」


 その言葉にリュディガーはハッとした。

 死がその身に訪れたとしても、蓄積された罪は償いもしないのに消えるものではない。


「アケローン川! そうだ、あそこなら……」


 罪を犯した魂が通る場所。あそこで指揮官の男を捕まえれば、あるいは――。

 けれど、リュディガーは父のことも心配だった。あの男の言葉が心に棘となって刺さっている。


 悪魔の手を借りたとして、それは生きるための選択だ。生きるために選び取った選択を悔いるのなら、後は死ぬしかない。

 父には後悔などしてほしくなかった。


 あの男を追うために一度魔界へ行きたいけれど、どうしたものか。そう思っていると、いつの間にやら三将がリュディガーたちの背後に控えていた。リュディガーは父と家臣を刺激しないようにそっと下がった。

 そうして言う。


「すまないが、アケローン川であの指揮官の男の魂を捕らえてもらえないか? 訊ねたいことがあるんだ。私も落ち着いたら向かうから、先に行ってほしいんだ」


 リゴールには騎竜のライムントがいる。アケローン川までもすぐに向かうことができるのだ。


「わかりました」


 と、リゴールは恭しく答えた。マルティは勝利にそぐわない重苦しい書斎に堂々と踏み入ると、血溜まりの中の指揮官の頭髪を鷲づかみにし、その顔を上げさせた。あまりの軽快さに家臣たちからざわりと声が上がるけれど、マルティはまるで意に介さない。


「うん、顔を見ておいた方が確実ですからね。じゃあ、お任せを」


 朗らかに微笑んで、マルティは手を振る。


「マルティとリゴールがいればいいだろう? 俺はこっちにいる」


 ピュルサーは二人に向けてそう言った。彼なりにリュディガーを心配してくれているようだ。


「そうだな、では二人に頼む」


 フルーエティは軽くうなずくと魔法円を描いて魔界への門を開き、二人の将を魔界へと戻した。彼らも自力で戻ることはできるものの、フルーエティの力を使った方が的確に早く戻れる。

 その様子を目の当たりにした家臣たちの顔は青ざめて見えた。フルーエティは門を閉じると嘆息する。


「このままにしておいても仕方がないだろう。戦の後処理をせねばな」


 いつまでも呆けている人間に、悪魔が痺れを切らしたようだ。フルーエティは魔性を強く感じさせる紫色の瞳を父に向けた。


「公都奪還を城下に宣言するがいい。少なくとも、この町の人間はそれを待ち望んでいたはずだ」

「あ、ああ、そうだな。ありがとう、君たちのおかげだ」


 父はそう答えてくれたけれど、その顔は未だに蒼白だった。

 念願であった公都の奪還が叶ったというのに、あの指揮官の言葉が耳から離れぬのだろう。

 リュディガーはそんな父の背を不安げに見つめたけれど、それでも父はこの地の正当な領主である。自らの心を隠して、それでもしっかりと二本の足で立った。


 城館のバルコニーに父が立つと、程なくして城下から人が集まってきた。戦の終わりは雪解けの後に訪れた春のようである。

 まだ戦の跡の残る城下を民たちは歩く。骸も血痕も、何もかもが目に入らず、ただ待ちわびた解放に浮かれている。

 ざわめく民衆に、父は高らかに宣言した。


「私は領主でありながらもこの地を奪われ、私の留守の間、皆にはつらい思いをさせてしまった。そのことをどうか赦してほしい。けれど二度と、何人たりともこの地を蹂躙させはしない。我が命を賭して護り抜く。今、確かにそう誓おう」


 陽の光がバルコニーの父を照らす。リュディガーはそのそばには立てなかった。フルーエティと後方で待つ。ピュルサーも近くに控えていた。

 けれど、父を見上げる民衆の反応は懐疑的であったように思う。民衆も、突然の侵略に事態を受け入れられないままに巻き込まれたのだ。そうして、謂われない支配を受け、不当な扱いをされただろう。

 あの指揮官が言ったように、父を悪魔だと謗って聞かせたのかもしれない。


 父は悪魔などではない。それはリュディガーが一番よく知っている。ファールン公国は悪魔の国などではない。

 民衆にもじきに父の心が伝わった。ファールン公国万歳、とまばらに声が上がり、それは次第に広がっていく。最後には熱狂的な歓声となって父を包んだ。そうした時、父の両肩が大きく揺れた。安堵のため息をついたのだろう。


 皆、父を信じたいのだ。父は善き領主で守護者であった。

 その事実を皆が忘れるはずがない。侵略者の言葉など信じて、父を憎むわけがないのだ。

 リュディガーはその光景を離れて眺めながら、そんなことを思った。リュディガーの心を読んだのか、フルーエティは失笑した。


「善き領主、か。お前はどこまでも甘いな」

「……何?」


 顔をしかめたリュディガーに、フルーエティは涼しい顔をして言う。


「善いか悪いか、そんなことは民衆には関わりがない。自分たちを護ってくれる者が()()領主だ。例えそれがどんな手段であろうともな」


 正義は、立場によって形を変える。そう、人は皆、自分たちこそが正義なのだ。

 リュディガーが複雑な心境でいたとしても、フルーエティが語るのは真実だ。人は浅ましい。けれど自分も人である以上、それを非難することはできぬのだ。

 リュディガーは嘆息してから言った。


「ナハト公国は多くの兵を失って、最早戦など仕掛けるゆとりはないだろう。けれど、今度はナハト公国に代わって別の国が攻めてくることも考えられなくはない。だから、それぞれの砦とこの公都の護りはある程度持続させてほしいんだ」

「まあそうだな。……それで、公都を奪還したのだから、お前の父は今度こそ妻と息子を取り戻すつもりだろう」


 と、フルーエティはリュディガーに目を向ける。リュディガーはそっとうなずいた。


「今晩にでも話すつもりだ。私なりに覚悟を決めたから」

「そうか」


 きっと驚くだろう。それとも、あり得ないと信じないことも考えられる。

 信じた上で拒絶される恐れもある。

 けれど、拒絶されたとしてもいい。父を救うことができたのだから。


 公子という身分に未練はない。落ち着けば父のもとを去る。

 ティルデとひっそりこの地の片隅にいて、時折陰ながら父に手を貸す程度で十分だ。父が新しい家庭を持っても見守っていられる。


「アケローン川の川辺にはその話が終わってから向かうか?」

「ああ、そうしよう」


 今はあの男を問い詰めることよりも、どう父に話せばより父を傷つけずに済むのか――リュディガーの脳裏を占めるのは父のことばかりであった。

 

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