*13
フルーエティの屋敷に戻ると、エントランスにはフルーエティの三将が控えていた。
「マルティ、ピュルサー、リゴール」
地上に戻った少しの間会わなかっただけで、リュディガーはとても懐かしく感じた。三将も同じように感じたのか、それぞれに表情を緩めてからかしずいた。
「お帰りなさいませ、リュディガー様、フルーエティ様」
「お帰りが待ち遠しかったですよ」
「そろそろ戦いの時ですね?」
と、ピュルサーがそろりと顔を上げた。リュディガーは小さくうなずく。その様子をフルーエティは静かに見守っていた。
「我が国から敵兵を追い払う。皆、力を貸してくれ」
「はい!!」
リュディガーの決意表明に、三将は力強く返事をした。その瞳はそれぞれに輝き、明らかな喜色が見えた。滾る血は、彼らが戦士であるからなのか、悪魔であるからなのか――。
彼らの様子に、リュディガーが僅かに迷いを感じた時、フルーエティがその背を押した。
「まあいい、まずは食事を取って休め。話はそれからだ」
「うん、ありがとう」
リュディガーはフルーエティの言葉に甘えて、食事をするために食堂へ向かった。急な帰宅に僕たちは戸惑うかと思ったけれど、いつも冷静に淡々と食事を用意してくれた。
いつでも出せるように備えてくれているとしか思えないような早さで料理が並べられる。前菜からしっかりと食したリュディガーは、湯浴みをしてからベッドで睡眠を取った。
目を瞑ると、まぶたの裏にはティルデの笑顔が蘇る。あの美しい歌声を、近いうちにまた聴きたいと願った。
それから目を覚ましたリュディガーは、軽く伸びをするとベッドから抜け出して服を着替えた。黒に着替えると何か落ち着くのは、自分がここに親しんだせいかと考えつつ、リュディガーはブーツのベルトをしっかりと締めた。
「よし」
部屋を出て、応接間に向かった。フルーエティと三将はそこでリュディガーを待っていた。白と黒の床の上、ソファーにふんぞり返っているフルーエティとその背後に控える三将。リュディガーはその向かいのソファーに座った。
フルーエティは満足げにうなずく。
「では、始めるか」
彼がふわりと指先を動かすと、艶やかなテーブルの上に一枚の地図が降ってきた。羽根のように軽やかに地図がテーブルに落ち着く。その地図はリュディガーの故郷、ファールン公国のものであった。
この詳細な図面を誰が用意したのか、訊くのも馬鹿げているのかもしれない。相手はフルーエティなのだから。
「この砦――ここにお前の父親がいる」
と、フルーエティの指先が地図の上に押しつけられた。
それは山を背にした南東の砦である。何故この逃げ場のない砦に逃げ込んだのかと考えたけれど、そこはキルステンの裏切りが関わっているのかもしれない。
そちらへしか逃げられないように根回しがされていた。そう考えるべきだろう。
そこまで追い詰められた父を思うと、リュディガーの胸はキリリと痛んだ。
「この山脈の裏は宗主国になる。ただ、生身の人が越えられる山ではない上、宗主国も味方ではないから、後方に救いはない。状況を打破するためにはまず、前面の敵をどうにかする必要がある」
リュディガーは幼くともすでに兵法を学んでいた。どの公国も宗主国のために兵力を鍛え、それを護るべく日々精進するものであったのだ。
幼いリュディガーの目には、こうも平穏な日々のどこに兵力が必要なのかはわからなかった。それでも、来たる日に備えを怠らぬことが大事なのだと父は言ったものだ。
リュディガーはその地図を食い入るように見ると、それからぽつりとつぶやいた。
「このトゥルム砦は本来、援軍が来ることを想定して、その援軍が敵兵を挟み撃つために設置された、言わば『囮』なんだ。ここに篭城することで、敵兵を細い山道に配置させて力を発揮できなくする。そこへ下から詰めてくる援軍と砦からの兵で挟み撃つ。だから、その援軍なくして閉じこもれば後がない」
「メルクーア公国からの援軍を頼みにしてここを選んだと?」
フルーエティの言葉に、リュディガーはゆるくかぶりを振ってみせた。
「それはわからない。他に道がなかっただけとも言える」
すると、フルーエティはクスリと笑った。
「山道か。俺たちは人とは違い、崖からも攻めることができるからな」
「じゃあ、さっそく蹴散らしに行きましょうか」
マルティが楽しげに赤い髪を揺らす。けれど、リュディガーは静かに言った。
「兵法の基本として、先に兵站線を絶とうと思う」
「へい?」
ピュルサーがきょとんと首をかしげた。その反応に苦笑し、リュディガーはああ、とうなずいた。
「私たち人や馬は食料がなければ戦うことができない。だから、糧秣を運んでこられないように妨害すると、兵は弱って存分に力を発揮することができないんだ。それ以前に長期戦で兵站線に異常があれば、前線の兵もそちらを立て直すために動くしかなくなるから、前線の兵力が落ちる。ナハト公国の兵を押し戻すには有効な手だ」
「なるほど。人とは不便なものですからね」
リゴールも深くうなずいた。
彼ら悪魔にはない感覚である。けれど、マルティは不思議そうに問う。
「でもですね、俺たちの力は人間の比じゃありません。そうまだるっこしい真似をしなくても遅れを取るはずもないですし、そういうの、必要ですか?」
「おい、これはリュディガー様の戦いだ。下手な口出しは慎め」
リゴールがたしなめるも、マルティは邪気のない表情で言った。
「だって、どの道根絶やしにするだけの敵兵じゃないか。あんな程度の戦、今までいくつ平定してきたか数えきれないぞ」
根絶やし。
そのひと言が、リュディガーにはすぐに飲み込めなかった。じわりじわりと滲むようにしてリュディガーの中に浸透した時、喉が張りついて声が出なかった。
戦いとは本来そうしたもので、覚悟が足りないのは自分の方なのか。
けれど、それでも――。
「これはきっと、ナハト公国だけが敵というほど単純な話ではないんだ。だから、いったん兵を退けて父様を包囲網から救う、それが第一の目的だと思ってほしい。次の手はその後だ」
ドクリ、ドクリと鼓動がうるさく感じられた。
人が死ぬ。たくさん死ぬ。
それを抱え込める自分なのか。――答えは否だ。
自分は、誰の死も喜べはしない。体に楔を打たれるように痛いだけだ。
助けたい、ただそれだけのために他人を殺さねばならないこの状況が狂っている。
どこか物足りない顔をするマルティに、ずっと口を閉じていたフルーエティが声をかけた。
「俺の主が望むようにしろ。暴れ足りなくとも、どうせすぐにまた戦は起こる」
マルティははい、と殊勝に答えた。
リュディガーはフルーエティの言葉をぼんやりと考えた。
そう、人の世に争いは尽きない。
悲しいけれど、それが人という生き物が創り出す世界なのだから。