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異界を斬る  作者:
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この物語はフィクションです。

更新は不定期になります。

 人気(ひとけ)のない山道を駆け抜ける。

もうどれくらい走っただろうか、月の光も届かない山の中を、荒い息を吐きながらも唯ひたすらに走り続ける。

 追っ手の姿は見えないが、油断は出来ない。

 坂本に教えてもらった“抜け道”は、確かに誰にも出会わなかった。坂本がこの道を駆けたのは数年前との事だが、このまま行けば上手く抜けられるだろう。

 国抜けは重大な犯罪であり、捕まれば命は無い。

 当然彼にも捕まるつもりはない。このまま駆け抜けて松山へ、以後は大阪、そして京へ。

 坂本は今時分なら既に江戸を出て、京に向かっている筈だ。充分に京で合流出来るだろう。

 先年、兵五郎と共に剣術修行していた江戸の桶町千葉道場で、塾頭である坂本に連れられて勝という幕府の要人に出会ってから彼の考え方は大きく変わった。

 三男である彼は、元々は江戸留学当初“修行が終われば故郷(くに)に戻って城下で剣術道場でも開ければいい”と考えていた。

 修行先の桶町千葉道場は、江戸三大道場の一つである名門“玄武館”の分室として創設されたが、創設者である千葉定吉の腕は“技の千葉”と称された玄武館創始者の兄周作をも上回ると言われており、わざわざ修行先に玄武館ではなく桶町千葉道場を選ぶ者も多かった。

 そして全国から集まる多くの門弟の中に坂本も居た。自分と同じ癖毛の総髪で妙に人懐っこい坂本は、隣の土佐藩出身と言う事もありすぐに仲良くなった。いや、既に塾頭を務めていた坂本に可愛がってもらったと言うべきか。

 彼は修行を始めるとめきめきと頭角を現し、留学期間を一年以上残して坂本以来と言われる速さで皆伝を得た。

 その頃から坂本に連れられては色々な場所に行き、様々な人物に出会った。

 中でも勝は異色だった。勝は幕臣でありながら、佐幕だ攘夷だと騒ぎ立てる周囲を余所に、日本という国が如何に小さく世界はどれだけ広いのかと言う事。その小さな日本で何を言っても、所詮井の中の蛙に過ぎないと言う事を滔々と語った。

 坂本は勝の所に行く度に目を輝かせてこう言った。

「世界はまっこと広い、わしは色んな国を見てみたい。知っちゅうかよ海は世界に繋がっちゅう、これからは船ぜよ。おんしゃも船に乗って世界を見るべきぜよ、そうは思わんがか」

 今まで“国”どころか“藩”という限られた世界でしか物事を考えていなかった自分が、とても小さく感じられた。

 瞳をきらきらさせながら世界を語り、冒険を夢見る坂本がとても眩しく見えた。

 勝の薫陶と坂本の影響を受け、広い世界を考えるようになるまでそれほど時間は掛からなかった。

 それまでの自分が如何に小さく、如何に古い考え方をしていたのか、気付いた時にはもう自分を止められなかった。

「広い世界を見てみたい、今まで見た事のない新しい世界に旅立ちたい」

 坂本にそう打ち明けた時、坂本は人懐っこいその笑みを満面に浮かべて一緒に行こうと誘ってくれた。

 留学期限が迫り江戸を去る事が決まった日、既に出奔していた坂本は自分が国抜けした経路を教えてくれた。

「来年には神戸に海軍操練所が出来る。そこで待っちゅうぜよ」

 坂本の言葉を受け、希望を胸に抱いて故郷(くに)に帰ったが、それからが大変だった。

 まず父に相談して正式に国抜けを藩に手続きしてもらおうとしたが、激怒した父にいきなり殴りつけられた。

 江戸の一流道場で免許皆伝を得て故郷に錦を飾ったはずの三男坊が、突然国抜けをしたいと言い出したのだから父の気持ちも分からなくはない。

 だが彼の決意は固く、父をはじめとして二人の兄、果ては親戚一同から説得され翻意を促されたが、彼の気持ちは変わらなかった。

 業を煮やした父に謹慎を言い渡され、大小を取り上げられると一月(ひとつき)の間離れに軟禁された。

 その間外出は勿論の事、庭に出る事さえ許されず、漸く謹慎が解けた時には城下に剣術道場を開く準備が勝手に進められていた。

 そんな中で、唯一彼の事を理解してくれたのが母だった。

 小さな頃から末の息子である彼を甚く可愛がり、何かにつけて世話を焼いてくれていた母は、先年体を壊して療養の日々を送っていた。

 彼が留学から戻った時には既に活発だった頃の面影はなかったが、それでも免許皆伝を得たことを我が事の様に喜んでくれ、痩せ細った腕で彼を抱きしめてくれた。

 離れに軟禁されていた時も、病魔に侵された体で厭いもせずに色々と世話をしてくれていたのは母だった。

「家の事は心配せずとも、お前は自分のやりたい事をやれば良い。出来れば私も広い世界を見てみたかったが、それはもう叶わない。私の分まで世界を見てきておくれ」

 母はそう言って微笑むと、一振りの刀を渡してくれた。

「備前長船兼光、これはお前が生まれた時に今は亡きお爺様が下さったものです」

 彼は驚き目を剥くと、そのような名刀は家宝にこそすれ、これから家を出ていく自分が貰える様な物ではないと頭を振った。

「良いのです、元々お前の為にお爺様が下さった物。それに優れた使い手が持ってこその名刀です。私の代わりに連れて行っておくれ」

 母の言葉に、彼は刀を押し頂くと涙を流して感謝を述べた。

 謹慎が解けた翌月、母は眠る様に息を引き取った。

 彼は、母の葬儀で涙する事はなく、備前長船兼光を握り締め母の想いを旅の道連れにする事を誓った。

 そして母の葬儀が終わったその夜、旅装を整えた彼は母の霊前に書置きを残すと夜の闇へと消えた。


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