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【第四幕 知らぬ仏】

「――そうなんか、しかし犯人はホンマに酷い奴やな」

 また話が一段落した所で、小杜子は憤慨してそう感想を述べた。

「子供を轢いてそのまま逃げるなんて最低や。両手足をトラックに括り付けて、四裂きの刑にしてもまだ足りんわ!」

「それ、何時の処刑方法?」

 物騒な事を言いつつも、メリーさんの事を思って本気で怒ってくれた小杜子に、和樹は嬉しくなって微笑む。

「ホンマに許せんわ。なぁヒカリちゃん」

 まだ怒りが収まらない小杜子は、隣の親友に同意を求める。

 するとヒカリは頷き、立ち上がって怒声を上げた。

「えぇ、絶対に許せない……何であんたは金持ちの娘なんて選んでんのよ!」

「そこ怒る所じゃないよねっ!?」

 本筋とは全く関係ない、与太話の部分で怒られ、和樹は驚きながらもツッコム。

 しかし、ヒカリにとってこれは譲れない話なのだ。

「何でお転婆な幼馴染みを選ばないのよ! 大切な子供の頃の思い出を捨ててまで、そんなにお金が欲しいの!? この金の亡者が!」

「ゲームの事でここまで罵られたの、生まれて初めてだよ……」

 自分とゲームのキャラを重ねて、嘆き悲しむヒカリの気持ちなど、和樹に分かる筈もない。

 そんな溜息を吐く兄に、今度は妹が怒りのオーラを背負って迫る。

「……私も、許せない事があった」

「今度は何さ」

 また変な事で怒られるのだろうと覚悟する和樹に、亜璃沙は期待通り斜め上の台詞をぶつける。

「……私も、お兄ちゃんのベッドで、全裸で寝る」

「そこっ!? 変な対抗意識を燃やさないでよ!」

「……まだ、負けた訳ではない」

「ちょっと、何処に行く気!?」

 ロリッ子に遅れをとってはならないと、亜璃沙は兄の叫びを背に、彼の部屋へと突撃した。

 慌てて和樹達が追いかけると、妹は服こそ脱いではいなかったが、兄の枕に顔を埋めて悶えていた。

「……お兄ちゃんの、香り(クンクン)」

「亜璃沙ちゃん、変態やな……」

 呆れる小杜子に、他の三人が一斉に「お前が言うな」と心の中でツッコミを入れたのは、言うまでもない。

「しかし、影森君の部屋は綺麗やね」

 男の部屋とは思えない、掃除と整理整頓が徹底された部屋を眺めて、小杜子は感心する。

「母さんに子供の頃から厳しく躾られてきたからね」

「そうなん? でもホンマに感心や」

 照れながら説明する和樹に、小杜子は頷き返しながらしゃがみ込む。

 そして、絨毯に残っていた髪の毛を摘みながら呟いた。

「ヒカリちゃんの毛も、落ちとらんしな……」

「何を探してるのっ!?」

 従妹の特徴的なピンク髪が落ちていたら、彼女を部屋に連れ込んだ形跡があったら、自分はいったいどんな目に遭わされていたのか。

 想像するだけで震えが止まらない和樹を余所に、ヒカリはまだ兄の香りを堪能していた変態妹を、ベッドの上から引きずり下ろしていた。

「あんたも何時までやってんの、サッサと退きなさい」

「……ケチ」

 腕を引っ張られ、渋々といった顔でベッドから降りる亜璃沙。

 そうして空いた、和樹が何時も寝ている場所を、ヒカリはつい凝視してしまう。

「…………(ゴクリ)」

「……寝たら、私と同じ変態」

「し、しないわよ、する訳ないでしょ!」

 思わず唾を飲み込んだヒカリは、亜璃沙に肩を掴まれて、断腸の思いで叫び返した。

「……変態の汚名も被れないなんて、所詮はチキン」

「ほら、馬鹿やってないで戻るよ」

 勝ち誇る妹に呆れながら、和樹は少女三人の背を押して自分の部屋から追い出す。

 そして、これ以上変な所を探られないためにも、続きを話し始めた。


               ◇


 警察署で借りた捜査資料を、和樹は半日かけて熟読した。

 しかし、その結果分かったのは、犯人について何も分からないという事だけだった。

 白鳥が言っていたように、目撃情報が一つもなく、唯一の証拠は現場に残ったブレーキ痕だけ。

 それとて、当時ならいざ知らず、十四年も経った今では何の手掛かりにもならない。

「タイヤどころか、車さえ処分しているだろうし……」

 最早、物的な証拠から犯人を追い求めるのは不可能だ。

 残された手段はやはり、唯一にして最大の目撃者から、証言を引き出すしかない。

「あの、ちょっといいかな」

『私、メリーさん。何の用なの?』

 次の日、昼食を食べ終えた後、再び捜査資料に目を落としていた和樹は、背後で携帯ゲームをしていた電話口の少女に、遠慮がちに切り出す。

「この後、事故の現場に行ってみない? そうしたら、君の記憶も戻るかもしれないって思ったんだけど……」

 捜査を進展させるためには、これが最善策なのは間違いない。

 だが、それに伴う痛みの大きさを思うと、和樹の声はどうしても小さくなってしまう。

「忘れていた方がいい、思い出したくもない事なんだろうけど」

 自分が殺された場所で、死んだ瞬間の事を思い出す。

 それは、もう一度殺されるくらい辛い事に違いあるまい。

「でも、これ以外の方法が思いつかなくて……ごめん」

 申し訳なくて、謝りながらも頼み込むと、電話口から不満そうな声が返ってくる。

『和樹、その直ぐに謝る癖、良くないと思うの』

「えっ?」

 想像していたのとは違う点を怒られ、和樹は戸惑いの声を漏らす。

 自信がなくて、非もないのに謝罪する悪習が染み付いてしまった少年に、電話口の少女は溜息を吐いてから、優しい声で告げた

『犯人を探してって頼んだのは、私の方なんだから、そんな事を気にする必要はないの』

 考えれば当たり前の事。和樹は彼女の都合に巻き込まれただけの被害者で、本来なら犯人を探す必要などない。

 それを、彼の善意で手伝って貰っているのだ。

 どんな捜査方針を取ろうと、彼女の方に不満などある筈もない。

『私、メリーさん。だから和樹は、好きなように命令してくれればいいの』

「だけど――」

『でも、パンツを見せて欲しいとか、エッチな命令は困るの』

「言わないよ! そもそも、見たら殺されるでしょうが!」

 いきなりボケてきた電話口の少女に、和樹は盛大にツッコミを入れながら、喉元まで出かかっていた遠慮の言葉を呑み込んだ。

(だけど、君に傷付いて欲しくないなんて、そんなのは僕のワガママだ。本当にメリーさんの事を思うなら、どんな事をしても犯人も見付けてあげないと)

 そして、正当な罰を与える事で、轢き殺された無念を晴らす事こそを、彼女は一番望んでいるのだから。

「分かった、じゃあ行こうか」

『私、メリーさん。じゃあ行きましょうなの』

 心を決めて立ち上がった和樹に続き、電話口の少女も携帯ゲームの電源を切って後に続く。

 そうして二人は、人間だった頃の彼女が最期を向かえた場所へ向かった。


               ◇


 アパートから徒歩で十分程度と、そう遠くもない所にある住宅街の一角。

 細いが長く真っ直ぐで、ついスピードを出してしまいそうな、そんな道路の途中にある十字路。

 そこが、捜査資料に書かれていた、事故の現場だった。

「…………」

 事故の形跡も、鎮魂の花も残っていないその場所を、和樹は無言で見回した。

 彼の背後についてきた少女も、暫し黙ってそこを見詰める。

 そして、胸の内から湧いてきた記憶の泡を吐き出すように、静かに語り出した。

『――学校から帰る時、ここを通るのが好きだったの』

 小学校で指定された順路から外れているし、近道になる訳でもない。

 けれど彼女は――交通事故で亡くなった小学生の少女は、何時もこの道を通っていた。

『右の道をもう少し行った所に、青い屋根のお家に住んでいるお爺ちゃんとお婆ちゃんが居て、猫を沢山飼っていたの。そこへ寄り道して、だっこさせて貰うのが好きだったの』

 和樹は言われて右の方を見てみたが、それらしき家は見当たらなかった。

 十四年の間にそのご老人達が亡くなり、家も取りつぶされてしまったのだろう。

 残酷な時の流れを実感する少年に、電話口の少女はただ淡々と語り続ける。

『その日は朝から雨が降っていたけど、だからこそ余計に、私はそこのお家へ遊びに行きたかったの』

 飼い猫といえども、日中は好き勝手に歩き回っており、何時でも家に居る訳ではない。

 けれど、雨が降っている日なら、猫はあまり出歩かない。

 なので、飼い猫が勢揃いしている所が見たくて、彼女は水溜まりを蹴ってそこへ急いだ。

『そうして、この十字路まで来たら、大好きな白猫が向かえに来てくれていたの』

 本当に彼女が来るのを察したのか、気まぐれで雨の中を散歩していただけなのか、真実はその白猫しか知らない。

 ただ、その猫は彼女を見付けると走り寄ってきて、彼女の方も嬉しくて歩み寄ろうとした。

 その瞬間、悲劇は起きた。

『車が走ってきて、猫を避けようとして、こっちに来て、それで――』

 その先は言葉にならなかった。和樹も決して、聞きだそうとも思わなかった。

 右の道から飛び出てきた猫を避けようとし、車はブレーキを掛けながら左にハンドルを切った。

 けれどそこには、傘を差した小学生の少女が居たのだ。

 少女は車に跳ねられ、民家の塀に激突し、そのまま崩れ落ちた。

 この先は、捜査資料に書かれていた。

 小さな体が車に跳ね飛ばされた音は、雨音に掻き消されて、思いのほか響かなかったのだろう。

 現場付近の住人が、耳の遠いご老人ばかりだった事も災いし、事故だと気付き、急いで駆け付ける者は居なかった。

 それでも、一番近くの民家で暮らしていた老人が、車のブレーキ音を不審に思い、降りしきる雨を鬱陶しく思いながら、重い腰を上げて外を窺い、力無く横たわった少女を発見した。

 血は流れていなかった。だが、打ち所が悪かったのだろう。

 救急車が駆け付けた時にはもう、小さな体から命の灯火は消え去っていた。

 第一発見者が駆け付けた時には、既に犯人は逃亡して姿を眩まし、雨が降っていて人気がなかったため、目撃者は一人も居なかった。

 不幸な偶然で車に轢かれ、不幸にも打ち所が悪く死亡し、不幸にも目撃者が居なく、不幸にも犯人が捕まらなかった。

 ただただ、そんな不幸が積み重なり、彼女は死んで、妖怪と成り果てたのだ。

『……運転してたのは、男の人だったと思うの……車の色は黒で、形は普通の、ワゴン車とか大きいのじゃない、扉が四つある――』

「もういいよ、ありがとう」

 痛々しくて聞いていられず、和樹は無理矢理話を切った。

 本当はお礼なんて言わず、額を地面に擦りつけて謝りたかった。

 けれど、そんな事をして救われるのは、彼の偽善的な良心と罪悪感だけだ。

 交通事故で亡くなった少女の無念を晴らすためには、塵ほども役に立たない。

 だから和樹は、彼女がそうしてくれたように、敢えて明るく振る舞ったのだ。

「用事は済んだし、もう帰ろうか。それとも、何処かに寄っていく?」

『私、メリーさん。情報料として甘い物を所望するの』

「あれだけお昼ご飯を食べて、まだ足りないの?」

『私、メリーさん。魔法《ベツバラ》を唱えたの』

「残念、MPが足りません」

『むむっ、対抗して不思議なダンスを踊るの』

「それ、MPを下げるだけで回復はしないけど?」

 本当に踊り始めたらしく、後ろからステップの音が響いてきて、つい振り向きたくなった気持ちを堪えて和樹は笑った。

 そして、もう二度と来る事はないだろう、事故の現場を後にした。


               ◇


 メリーさんの願いを聞き、甘味を食べられそうな所を探し歩いていた和樹は、公園の入り口に停まった一台のワゴン車に気付く。

「車の移動クレープ屋さんか、都会にはこういうのもあるんだね」

『私、メリーさん。和樹は今までどんな田舎に住んでたの?』

「バスも電車も通っていない所」

『……それ、日本なの?』

 とても気の毒そうな声を出され、和樹はちょっと凹みながらも、物珍しさもあってその移動屋台に近付いた。

 すると、ごつい中年男性の店員が、威勢のいい声で出迎える。

「へい、いらっしゃい! おっと、これはまた可愛らしいアベックだね」

「違います。あと、それはとっくの昔に死語です」

『私、メリーさん。ナウなヤングに馬鹿ウケなの』

「君も本当の年齢が分かるからやめようね」

 電話口の少女が実際には十四歳も年上なのだと改めて思い知り、和樹は微妙な気分になりつつ、クレープ屋のメニューに目を向けた。

「色々あるな……」

『はいはい、バナナチョコクリーム一丁なの!』

「クレープの単位って豆腐と同じ『丁』で良いの? それはともかく、バナナチョコクリーム一つ」

 和樹はツッコミつつ、電話でしか話さない彼女に代わって注文を告げる。

 すると、店員はそんな二人の姿に、一瞬怪訝な顔をしながらも、直ぐに商売人らしい笑顔を浮かべた。

「あいよ、バナナチョコクリームね。最近のカップルは電話でしか話さないなんて、随分とシャイなんだねぇ!」

「いや、だから違――」

「で、兄ちゃんの方は何にするんだい?」

「……塩キャラメルバターで」

 否定しようとした和樹だったが、一般人には妖怪の事を話せないという、退魔師の掟を思い出したのと、単純に説明が面倒だったので、適当に注文して口を噤んだ。

 そうして、出来上がったクレープを後ろ手に渡し、自分の分も受け取った所で、遅まきながら重大な問題に気付く。

「しまった、進めない……」

 前方はワゴン車に阻まれ、背後には妖怪の少女が居て振り返る事が出来ない。

 かといって、右や左に九十度も急転回すると、横目に少女の姿が入ってしまう。

 彼女は瞬間移動が出来るので、一度何処かに行って貰ってから、方向転換するのが楽なのだが、人目があるのでそれも出来ない。

「またエレベーターの時みたいに、ムーンウォークをしないと駄目なの?」

『恥はかきすて世は情けなの……三、二、一、はいなの!』

 電話口の少女は照れを隠すように、大声で合図を告げる。

 それに合わせて和樹は後ろ足で下がり、稼いだ距離を使って緩やかにカーブしながら、クレープ屋の前から歩き去った。

「あははっ、変な遊びだな。また来てくれよ!」

「うぅ、恥ずかしくてもう来られないよ……」

『私、メリーさん。やっぱり何か対策が必要なの』

 店員の笑い声を背に、和樹は恥じらって顔を赤くし、電話口の少女は今後の課題に頭を捻っていた。

 彼らが絶妙のコンビネーションを身に付け、ある程度普通に出歩けるようになるのは、もう少し先の事。

 今はただ、クレープの美味さで恥を忘れる事にし、薄紅色の花が咲き始めた、桜並木の公園を歩いた。

「まだ四分咲きって所か、満開になったらお花見をしてみたいな」

『私、メリーさん。酔っぱらい客がいっぱいで、アルコール臭いけどいいの?』

「……僕の夢が、また一つ失われたよ」

 退魔師の村には桜が植えられていなかったので、静かで優雅な花見を夢見ていた和樹は、そっと目元を拭った。

(けど、騒がしいお花見もいいかな。僕と、火乃華姉さんと、メリーさんで――)

 自然と彼女を数に入れていた事に、和樹は少しだけ驚きを覚える。

 今まで、心を許せる者は肉親だけだったのに、そんな彼の懐に、彼女は三日と経たず入り込んでいたのだ。

 それは気恥ずかしいけれど、決して嫌な感じはしない。

 むしろ、温かくて嬉しい、その感情は――

(好き、なんだろうな……)

 それが友情か、異性に対する特殊なものかと問われたら、和樹もまだ答えようがない。

 ただ、彼女に好意を抱いていて、一緒に居たいという気持ちだけは、疑いようがなかった。

(我ながら惚れっぽいというか、単純だけど……)

 今まで従妹以外に友達が居らず、他者から冷たくされるのが当たり前だったから、彼女が普通に相手をしてくれただけでも、それがとても温かいものに見えてしまい、過剰に好意を抱いてしまっている事は、流石に和樹も自覚してる。

 けれど、それを無理に否定する気にもならなかった。

(切っ掛けは変だし、今の状況は何とかしたいけどね)

 振り返って姿を見たら殺されるなんて、あまりにスリリングな関係だけは、和樹も勘弁願いたい。

 けれど、本当の標的である犯人を見つけ出せば、電話口の少女が彼の背後に居る必要もなくなる。

 そうすれば、危険もなく正面から向き合って、伝聞ではなく、その愛らしい姿を自分の目で確かめて、この腕で抱き締める事だって――

「あ、あのさ、この件がちゃんと解決したら、みんなでお花見しようか? 勿論、アルコールは駄目だからね!」

 一瞬、不埒な妄想が頭をよぎり、それを誤魔化すように和樹は大声で告げた。

 だが、それに対する反応が、電話口から返ってくる事はなかった。

『…………』

「あの、メリーさん、どうかしたの?」

 何時の間にか足音まで絶えて、彼女が無言で立ち尽くしている事に気付いて、和樹は不審に思って尋ねた。

『…………』

 けれど、返ってきたのはやはり重い沈黙。

 彼女との唯一のコミュニケーション手段である声を封じられては、彼にはもうどうする事も出来ない。

 何か、見惚れて立ち尽くすようなモノでもあったのだろうか?

 そう疑問に思った和樹は、意識を耳から目に移して、ようやく気付いた。

 向かいから、一組の家族が歩いて来ていた。

 五十代くらいか、少し年配の両親と、その子供らしい小学生くらいの少女。

 娘を両親が挟む形で、三人は仲良く手を繋ぎ、楽しそうに桜並木を歩く。

 恥じらいや反抗を覚え始めた年頃の少女が、素直に両親と仲良くしているという意味では珍しく、当たり前と吐き捨てるには尊い、平凡だが幸せそうな家族の姿。

 退魔師という特殊な家に生まれ、父親も亡くした和樹には、羨望を抱かずにはいられない眩しい光景。

 それを見詰め、彼の背後に立った少女は、大事そうに頬張っていたクレープを地面に落とし、こう呟いたのだ。


『――ママ』


 その意味を、和樹は一瞬で理解した。

 同時に、それがどれほど残酷な事なのかも、血を吐きそうなほど分かってしまった。

『…………』

 電話でしか喋れない少女の横を、幸せそうな三人家族は気付きもせず通り過ぎる。

 だって、知る筈がないのだから。

 今そこに立っていた、金髪碧眼の見た事もない少女が、十四年も前に死んだ自分の娘だなどと。

『パパ……ママ……っ!』

 電話口の少女は泣きじゃくり、父と母、そして名前も知らない妹を呼ぶ。

 けれど、その声は決して届かない。届けてはならない。

 父親のポケットには携帯電話が入っていたけれど、それに電話を掛けて、感情のままに叫ぶ事は許されない。

 教えてどうなるというのだ。

 貴方の死んだ娘が、妖怪に成り果てて、自分を殺した犯人を探していますなんて。

 それは、あの家族の幸せを壊すだけだ。

 娘を交通事故で亡くした悲しみを乗り越え、新しく生まれてきた娘を、あの子の分までと必死に育てて、ようやく辿り着いた一家の幸福を。

 だからもう、彼女はあの輪の中に入る事は許されない。

 彼女は都市伝説の妖怪・メリーさんだから。

 どんなに記憶と思いを引き継いでいても、交通事故で亡くなった人間の少女ではないから。

 声も姿も何もかも違う、闇から生まれた化け物にすぎないから。

 大切な人達だからこそ、近寄ってその光を汚す事だけは、決して出来なかった。

『ママ……パパ……っ!』

 だから彼女は、電話口でただ泣きじゃくり続ける。

 そして和樹は、それを黙って聞いている事しか出来なかった。

 叶うならば、震えるその体を抱き締めて、溢れる涙を拭ってあげたかった。

 けれど、その姿を見たら殺されてしまうから、振り返る事は許されないから。

 慰めの言葉すら思いつかない無力な彼は、少女の痛々しい泣き声を受け止めて、血が出るまで拳を握り締める事しか出来なかったのだ。



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