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【第三幕 憎まれ大人世に蔓延る】

「――はぁ~、緊張する話やったわ~」

 一段落してまた話を切った所で、熱心に聞き入っていた小杜子は、ホッと胸を撫で下ろした。

「メリーちゃんが現れた所とか、ホンマに怖かったわ。影森君が殺されるんやないかとヒヤヒヤやったよ」

「僕が今ここに居るっていう、最大のネタバレがあるけどね」

 カップが空になっていたので、紅茶のお代わりを注いであげながら和樹がそう言うと、小杜子は「そんな事ないで」と手を横に振る。

「本物の影森和樹は三年前に死んどって、目の前に居る影森君が偽物って可能性もあるやん」

「叙述トリックにしても酷くない?」

 深読みしすぎ――とツッコム和樹を見て、横に座った亜璃沙が急に目を潤め、真剣な面持ちで口を開いた。

「……私は、貴方が好き。お兄ちゃんじゃなくても、お姉ちゃんじゃなくても、影森和樹じゃなくても大好き」

「感動の台詞を改変しないでよ!」

 色々と酷かったユニコーン事件において、数少ない綺麗な思い出をセルフパロディされて、和樹は憤慨して叫ぶ。

 すると、対面でそれを聞いていたヒカリが、静かに霊力の鎖の取りだした。

「あんた、実の妹にそんな事を言われて喜んでたの?(ブンブン)」

「いや、それは誤解――」

「……お兄ちゃん、私と結婚してくれるって、言ったよね?」

「そこまでは言ってないよ!」

 従妹に怖い顔で迫られ、言い訳しようとした和樹を見て、実妹がしれっとした顔で嘘を吐く。

 そんな兄妹のやりとりを見て、ヒカリはさらに目を凶悪に吊り上げた。

「そこまでは、って何よ。そこまでじゃない事は言ったの?」

「いや、だからね、別にそういう事じゃなくて……」

「そういえばあんた最近、妹に迫られても『兄妹だから駄目だよ』って言わなくなったわよね?」

「き、気のせいだよ、兄妹なんだから、そんなやましい事はしないよ、うん!」

 頭は残念なくせに、妙な所で感の鋭いヒカリに、和樹は背筋の凍る思いをしながら咄嗟に嘘を吐いた。

(これは影森の血なのかな……)

 夫の生存と浮気を、神仙の如き洞察力で推理してみせた影森千枝。

 その姉の子供であるだけに、ヒカリにも同様の直感が備わっていそうで、実に空恐ろしかった。

「……今のお兄ちゃん、パパに似てた」

「ちっとも似てないよ!」

 兄の取り乱した姿を見て、嬉しそうに告げた亜璃沙の台詞を、和樹は全力で否定する。

 自覚があっただけに、あの父親と同じようにはなるまいと、強い覚悟を持って。

「あははっ、それで影森君とメリーちゃんは、あの後どうなったん?」

 和樹が困った様子なのを見て、小杜子が笑いながら助け船を出す。

 それを受け、彼は胸の内で感謝しながら話を過去の方へ戻す。

「まずはともかく、火乃華姉さんに相談してね――」


               ◇


「和君、何時でも相談してとはいったけど、これは……」

 電話で「ともかく来て」と懇願されて、訝しみつつも和樹のアパートへ向かった火乃華は、居間のソファーに座る従弟と、その背後で体育座りしている金髪碧眼の少女を見て、思わず言葉を失った。

「その子から妖怪の気配がするのは、お姉ちゃんの勘違いかな?」

「だったら良かったんだけどね……」

 残念ながら彼女の推測通りである事を、和樹は溜息を吐きながら説明した。

「――という訳で、ぬいぐるみを拾ったら、この子が現れたんだ」

「ふ~ん、『メリーさんの電話』ね~」

 経緯を聞いた火乃華は、恥ずかしそうに隠れた金髪幼女を見ながら目を細める。

「それで、自分を殺した犯人を探して欲しいって言われたんだけど……」

 仮に和樹が手助けをし、犯人を見つけ出せたとしたら、電話口の少女はそいつを殺すのだろう。

 それは即ち殺人幇助。立派な犯罪である。

「勿論、そんな事は出来ないし、かといって放ってもおけなくて……」

「そうね~、これは放っておけないわ~」

 和樹の話を聞き終えた火乃華は、深刻な顔で頷く。

「このままだと~、和君は命の危険に晒され続けちゃうしね~」

「えっ、何で?」

 まるで気付いていない和樹に、火乃華は呆れもせず説明した。

「原因は良く分からないけど~、今その子と『縁』が繋がっているは和君なのよね~」

「はぁ?」

「つまり、和君が振り返ってその子の姿を見たら、殺されちゃうって事」

 不意に真面目な声でそう断言され、和樹は全身に鳥肌を浮かべた。

「な、何でっ!? 僕は彼女を轢き殺した犯人じゃないんだよ!」

「だから~、私にも良く分からないんだって~」

 自分は関係ないと必死に訴える和樹に、火乃華は申し訳なさそうな顔を向ける。

「そもそもね~、その子――メリーちゃんが犯人を知らないって言うのがおかしいのよ~」

 言いながら、火乃華は和樹を見習って携帯電話を取り出す。

 そして、ソファーの影に隠れた少女に目で合図を送ると、望み通り電話が掛かってきた。

「複数同時に電話を掛けられるなんて便利ね~。これ通話料金もかかってないのかな~?」

『私、メリーさん。そういう能力だから、お金も電気も必要ないの』

「いいな~、私も修行してその能力を覚えようかな~」

「霊力を悪用しない」

 所帯じみた感想を述べた火乃華は、和樹にツッコまれながら質問を始めた。

「メリーちゃんは~、そもそも車に轢かれて死んじゃったのよね~?」

『……そうだと思うの』

「よく覚えてないのかな~?」

『ずっとずっと昔の事だから、ぼやけてハッキリと思い出せないの』

「昔ってどのくらい~?」

『十年以上は前だと思うの』

 そう言って、彼女は和樹の背後に現れるまでの事を語り出した。

 十数年前のある日、彼女は車に轢かれて死亡した。

 その瞬間の事はまだ思い出せない。

 ただ、気が付いた時にはもう、彼女は肉体を失い、空気のように透明な存在に成っていた。

 その後は、夢とも現とも分からない、微睡んでいる時のようなぼんやりとした意識で、ただこの世界を眺めていたという。

「その時はまだ妖怪じゃなく浮遊霊だったんでしょうね~」

『少しずつ意識が薄れていって、消えちゃうのかなって思った時、誰かに名前を呼ばれたの』

 それは生前の名前と少し似ていたが違う、外国人風な少女の名前。

 メリーさん――彼女の事を欠片も知らない大勢の人々が、勝手にその名で彼女を呼び始めた。

『みんながメリーさんって呼ぶうちに、気がついたら私はメリーさんになってたの』

「二年前からかな~、学生の間で『メリーさんの電話』の噂話が流行ってたから~、その影響なんでしょうね~」

 おそらく、事故当時は小学校低学年くらいだった子供達が、成長し都市伝説を知った時に、「そういえば昔、近所で交通事故にあって亡くなった子がいたな」と思い出して、噂と事故を結びつけて語り始めたのだろう。

 事故で死んだあの子はメリーさんになった――その話が広まり、噂は力となって彼女に集まり、その存在を本当に都市伝説の妖怪へと変貌させていった。

『最初は風船みたいな感じで、メリーさんって呼ばれる前と大差なかったの』

 風に揺れて漂い、幽霊のように街を彷徨い続けていた金髪の幼女。

「車で来る時、火乃華姉さんが言ってた金髪の幽霊って……」

「あれメリーちゃんだったのね~」

 まだ不完全で半透明の姿が、幽霊のように見えたのだろう。

 そして、あるスイッチが入った事で、彼女は妖怪として完成した。

『和樹が私のぬいぐるみを拾った時、遠くに居たのに直ぐ分かったの。それと一緒に意識がハッキリして、物にも触れるようになっていたの』

 ウサギのぬいぐるみ――多分、生前の彼女が最も愛した品だったのだろう。

 それを和樹が拾う事で、彼女と『縁』が繋がり、『メリーさんの電話』となるために唯一欠けていた『標的』として認識されてしまったのだろう。

「それで、僕が殺されるっていうの……?」

「振り返ってその姿を見たら多分ね~。一種の()()かな~」

 怯える和樹に、火乃華は慰めもせずそう告げた。

 車に轢かれた直後に、彼女が妖怪になっていたのなら、こんなややこしい事態にはならなかったのだろう。

 だが、事故があった十数年前、大場菜市では都市伝説『メリーさんの電話』が流行っておらず、彼女が妖怪になれる下地が出来ていなかった。

 ただ、あまりにも唐突かつ理不尽に命を奪われた彼女は、自分の死を認められず、浮遊霊として彷徨っていた。

 それが十数年の時を経て、都市伝説と混じって語られる事で、妖怪として形を得たのはいいものの、長い年月が経っていたせいで犯人が分からなくなっていた。

 しかし、彼女が『メリーさんの電話』である以上、誰かに電話を掛けながら、背後に忍び寄る存在でなければならない。

 でなければ、己の存在理由を保てないから。

 そこで白羽の矢を立てられたのが、ウサギのぬいぐるみを拾ってしまった和樹という訳だ。

「全部お姉ちゃんの推測にすぎないけどね~」

 火乃華は断言こそしなかったが、大筋は間違っていないだろうという表情を浮かべる。

 そして、暗い顔をした従弟に、明るい声で改めて念を押す。

「ともかくそんな訳で~、本人に危害を加えるつもりはなくても~、見たらあっさり首チョンパだと思うから気を付けてね~」

『私、メリーさん。ウサギのぬいぐるみでクリティカルヒットなの♪』

「ネタが古くて分かりづらいよ」

 払間の叔父さんに貰った、古いダンジョンRPGを思い出しながら、和樹は頭を抱えた。

(振り返らないようにするのは、決して無理でもないけれど……)

 長年、格闘技の修行をしてきた和樹は、忍耐力には自信があった。

 それに格闘技とは、生まれついての条件反射を殺して、自在に肉体を操縦する技術だ。

 だから少し練習すれば、彼は振り向くという動作を排除して、普通の生活を続ける事も不可能ではないだろう。

 とはいえ、不測の事態が起きた時に、つい背後を見てしまう可能性は捨てきれない。

「火乃華姉さん、どうにかならないの?」

 決して幸福とは言い切れない人生を送ってきたし、この先にも不幸は待っているのだろう。

 けれど、まだ死にたくもなくて、そう助けを求めた和樹に、火乃華は呑気な顔で尋ね返した。

「どうにかって~、どうしたい訳~?」

「いや、だから――」

「手っ取り早くて安全なのは、メリーちゃんを消しちゃう事だけど?」

「――っ!?」

 急に冷たい声で言い捨てられ、和樹は絶句して凍り付く。

 その背後で、金髪の幼女が肩を震わせるのを見ながら、火乃華は淡々と問う。

「和君、気付いてないの? 噂から生まれたって事は、メリーちゃんは始祖なのよ」

「始祖……」

 その単語が持つ意味の重さは、和樹とて分かっている。

 人々の想念から生まれた原型とも言える妖怪、始祖。

 それは、妖怪の親から生まれた子孫と呼ばれる者達とは、別次元の力を有している。

「『メリーさんの電話』自体が、近年になって生まれたもので、都市伝説としては有名な方でも、一般的な知名度は高くないから、そこまで強力ではないと思うわ。それでも、『条件さえ整えば確実に対象を殺害出来る』って程度の能力は持っているんじゃないかな?」

 即ち、背後を振り返ってその姿を見てしまったら、和樹を救う術はないという事。

 だが今なら、条件が整う前ならば、まだ手の打ちようがある。

「強力な能力には対価がつきものだからね。見ない限りは殺されないし、対象以外は視認しても問題ないみたい」

 事実、火乃華は先程からずっと、その可愛らしい顔を眺めているが、能力が発動する気配は感じられない。

「私なら、和君に危害が及ぶ前に、メリーちゃんを消してしまえるけど?」

 二年前に退魔師としての活動を辞めた火乃華だが、だからといってその実力まで失った訳ではない。

 かつて当主候補筆頭であった彼女ならば、手間取る事はあっても、確実にメリーさんを排除して、和樹を命の危険から救う事が出来る。

 だがそれは、彼の背後で震えている、電話口の少女を殺すという事だ。

「待って、そんなの乱暴だよ! もっと平和的な……例えば、妖力だけ封じるとかさ」

 退魔師の作った霊具という特殊な道具を使い、妖怪としての能力を抑え込めば、彼女を殺す事なく、見たら和樹を殺すという呪縛を封じ込める事が出来るのではないか。

 そう告げると、火乃華は途端に難しい顔をする。

「可能性は否定しないけど、無理だと思うわ。おそらく、メリーちゃんが消滅するもの」

「何で!?」

「う~ん、ちょっと事情が込み入っているんだけどね~」

 普段の口調に戻って前置きしてから、火乃華は説明を始めた。

「生まれたてだからか、今のメリーちゃんって霊子の塊そのものなのよ」

 霊子――未だ科学の手で解明されていない、謎の粒子。

 それは人の精神に反応し、莫大なエネルギーを生んだり、物理法則を無視するような現象を起こすという、摩訶不思議な特性を持っていた。

 霊力や気功、魔術などと呼ばれ、一部の人間に超常の力を与えてきた、霊子という物質。

 大気中に微量しか存在しないそれが、幾千幾万という人々の想念に反応し、湿気取り機よろしく掻き集められ、形を成したのが始祖と呼ばれる妖怪。

「ここから長い年月を経て、存在を安定させるために、肉の体を獲得していくらしいんだけど、その辺のメカニズムはよく分かってないのよね」

 長い歴史を誇る退魔師といえども、妖怪が生まれる瞬間に立ち会った例など、ごく僅かしかない。

 なので、どうしても曖昧な説明になりながらも、火乃華は語り続けた。

「ともかく、今のメリーちゃんは肉体がない霊子の塊で、高密度の幽霊というか、半分実体化した精霊というか、不安定な状態なのよ。そんな彼女から、妖力=霊子を操る力を奪ったら、どうなるかは分かるわよね?」

「あっ……」

 和樹もようやく理解して、絶望の息を漏らす。

「氷の人形を火であぶるようなものかしらね。人の形に保っていた結合力を失い、ただの霊子となって大気に拡散するんじゃないかな?」

 それは、死と同義語だ。

 だから、和樹が殺されず、彼女も殺さないよう、妖力だけ封じるなんて都合の良い解決方法は存在しない。

「せめて年を経て、肉体を得た妖怪だったらね……」

 そうであれば、多少の不快感は付きまとうにせよ、妖力を封じただけで消滅する事もないのだが。

「それまで和君を危険に晒す訳にもいかないし~、絶対の保証がある話でもないし~」

 気楽な口調に戻りながらも、火乃華の目には真剣な光が宿ったままだった。

 その圧力に耐えかねたように俯く和樹に、彼女は重ねて尋ねる。

「それで~、和君はどうしたいのかな~?」

「僕は……」

 和樹は一度言い淀み、携帯電話に耳を澄ませる。

 電話口からは少女の静かな呼吸音が響くだけで、嘆願も罵声も響いては来なかった。

 彼女も分かっているのだ。自分が和樹に多大な迷惑を掛けている事を。

 そして、自分が妖怪という、世間から外れた歪で不自然な存在である事も。

「僕は彼女を――メリーさんを犠牲にするのは嫌だ」

 死の危険が恐ろしくとも、それだけは譲れない。

 自然とそう答えた和樹を見て、火乃華は優しく目を細めた。

「そっか……和君ってば妖怪嫌いだから~、てっきり一思いに殺っちゃえとか言うのかと思ってたわ~」

 表情とは真逆に過激な事を言う従姉に、和樹は思わず苦笑する。

 とそこで、今まで黙っていた電話口の少女が怖ず怖ずと口を開いた。

『私、メリーさん。和樹、妖怪が嫌いなの?』

「……色々とあったからね」

 また苦い笑いを漏らす和樹が、実際に妖怪と会ったのは彼女が初めてだ。

 けれど、その人生は怪異によって大きく翻弄されてきたのだ。

「父さんがね、凶悪な妖怪の手で殺されているんだ」

 正確には行方不明のまま十年以上帰ってこず、法律的には死亡とされたのであり、実際には生きていて、腹違いの妹を作っていた浮気野郎だった訳だが。

 勿論、当時の和樹はそんな事を知らず、人々が言うままに、本当に死んだのだと信じていた。

「僕が生まれる前の事だったから、顔も声も知らない父親が殺されても、憎いとは思わなかったけれど――」

 それでも、寂しいとは思ったのだ。

 父親が生きていてくれたなら、母親が今ほど仕事で忙しく外出する事もなく、独りきりの時間はずっと減ったのだろうから。

「それに、妖怪なんかが居るから、退魔師なんて仕事があって――」

 これは八つ当たりだったが、それでも思わずにはいられなかった。

 妖怪が居なければ、退魔師は必要なく、霊力の有無で差別されるような村も存在しなくて、彼はもっと平穏に暮らせたのだろう。

「だから、僕は妖怪が嫌いだった」

 その恨みもあって、彼は今まで修練を重ねてきたのだ。

 退魔師の道を諦めた今も、その黒い炎まだ燻っている。

「でも、君を犠牲にするとか、そんなのは嫌だ」

 復讐として、誰かを殺そうとしている妖怪だとしても。

 今の彼女は間違いなく、交通事故によって命を奪われた、哀れな被害者にすぎないのだから。

 理不尽に虐げられた痛みを知る者だからこそ、和樹は自分の命に危険があっても、彼女を見捨てる事だけは出来なかった。

『……和樹、ありがとうなの』

 少年の想いが胸に響き、電話口の向こうから涙混じりのお礼が響く。

 それを聞き、つい頬を染める和樹を見て、火乃華は口に指を入れて吹き鳴らした。

「ヒューヒュー、和君の女ったらし~!」

「ちょ、やめてよ、そんなんじゃないってば!」

 照れて否定する従弟を見て、火乃華は暫しニヤニヤと笑った後、急に真面目な顔になって話を戻した。

「それで、メリーちゃんを退治しないのは構わないけど、何もしない訳にもいかないわよね。どうするつもり?」

「それは……」

 当然の質問だが、和樹は良い案が浮かばず答えられない。

 そこへ、電話口から涙を拭った声が響く。

『私、メリーさん。やっぱり、犯人を見付けて欲しいの』

「でも、それは――」

 犯人を見付けて、それを殺すなんて事は、やはり許せる筈がない。

 そう言おうとした和樹を遮るように、電話口の少女は静かに告げる。

『殺したりとか、酷い事はしないの。けど、犯人がちゃんと反省してるのか、それは確認したいの』

 誰かも分からない彼女を轢き殺した犯人が、既に捕まって司法の罰を受けているならばそれで良い。

 けれど、もしも逃げて罰を受けていないのだとしたら、それは死にきれないほど悔しい。

『だから、犯人を見付けて欲しいの。そうしたら、納得して和樹から離れられると思うの』

 そもそも、和樹を標的と認識してしまった事自体が、数々の偶然が積み重なって起きた誤りなのだ。

 真犯人を見付けたのなら、それも正されるのだろう。

 確証のある話ではない。だが、和樹はその可能性に賭けた。

「本当に酷い事はしないって、反省したら許してあげるって、約束してくれる?」

『私、メリーさん。ちゃんと約束するの』

 改めて確認する少年に、女に二言はないと、電話口の少女は断言する。

「分かった。じゃあ一緒に犯人を見付けよう」

 和樹はその言葉を信じ、深く頷き返した。

 犯人を見付けたら、今度はその人物が彼女に取り憑かれ、後ろを振り向けなくなるのだろうかとか、幾つか問題も浮かんだが、それらの解決策も少しずつ探していけばいい。

 まずは自分の安全確保と、彼女の未練を晴らすために、交通事故の犯人を見付け出す。

 そう決意を固めた和樹を、火乃華は難しい表情で見詰めていた。

「…………」

「火乃華姉さん、どうかしたの?」

 訝しんで和樹が尋ねると、従姉は自分の表情に気付いて、直ぐに笑顔を作った。

「いや~、もし犯人が逃げてたら見付けるの大変だと思ってね~」

「そうだよね、十年以上も前の事件となると、目撃証言とか集まらないし……」

 警察とて無能ではないのだから、死亡事故ともなれば、綿密な捜査を行っただろう。

 その上で捕まっていない犯人を、小学校を卒業したばかりの少年が今更捜査をした所で、見付けられるとは思えない。

 とはいえ、記憶が不確かな状態だが、最大の目撃者であり被害者でもある少女が、彼にはついているのだ。

「きっと見つけ出してみせるよ。メリーさんのためにも、自分のためにも」

 見ず知らずの、それも妖怪の少女のために、何故これほどやる気が湧いてくるのかは、和樹自身にもよく分からなかったけれど。

「そうね、和君にはそれが必要なのかも」

 火乃華もふと真顔になり、幼い従弟の決断を受け入れた。

 周囲から虐げられ、母親や従妹に守られてばかりだった彼には、誰かを守ったり救った経験がない。

 それ故に自信がなく、出来損ないというレッテルを覆せず、心に暗い影を落とす事になっている。

 だからこそ、彼が一歩進むためには、妖怪の少女を救うという成果が必要なのだろう。

 その結末が、どんなに無慈悲なものであろうとも。

「私も少なからず応援するわね~。まずは退魔師のコネを使って~、警察に協力を要請しておくわ~」

 複雑な内心を微塵も見せず、火乃華は笑ってそう告げる。

 和樹は頷き、やる気に満ちた顔で立ち上がった。

「よし、じゃあ捜査開始だ!」

『私、メリーさん。その前にお腹が空いたの』

 電話口から可愛らしい腹の音が響いてきて、和樹も思わず微笑する。

 もう遅い時間だった事もあり、火乃華の奢りでファミレスに行き、携帯電話で話す彼ら三人は店員に変な目を向けられながら夕食を済ませた。

 そうしてアパートに帰った和樹は、色んな事がいっきに起きた一日の疲れが吹き出し、泥のように眠るのだった。


               ◇


 電子音が鼓膜を揺さぶり、和樹は夢を見る余裕もない深い眠りから目を覚ます。

「見知らぬ天井か……」

 居間の真新しい天井を見上げて、ついアニメの台詞を口にしながら、和樹はソファーから身を起こす。

 そして、直ぐ横のテーブルで騒いでいる携帯電話に手を伸ばした。

「ふぁ~……すみません、影森です」

 思わず欠伸がでて、つい謝る彼の耳に、可愛らしい声のモーニングコールが届く。

『私、メリーさん。今、貴方のベッドに全裸で寝てるの』

(マッ)()ッ!?」

 寝床を貸してあげた妖怪少女からの不意打ち発言に、和樹は眠気も吹っ飛んで叫ぶ。

「何で脱いでるの!?  着替えなら僕の服を使っていいって言ったでしょ!?」

 金髪碧眼の美少女が全裸で眠る姿を想像し、つい赤くなりながら叫ぶ和樹に、彼女は変わらぬ楽しそうな声で応える。

『私、メリーさん。眠る時はバファリンの香りしか身に付けないの』

「そこは嘘でもシャネルの五番って言おうよ!」

 半分優しさの臭いをまとったセクシー女優なんて、考えるだけでも嫌である。

 そうツッコミ続ける少年に、電話口の少女は可笑しそうに笑った。

『ふふふっ。ところで和樹、そろそろお腹がペコペコなの』

「はいはい、ちょっと待っててね」

『私、メリーさん。我は骨付き漫画肉を所望なの』

「マンモスでも倒してこいと?」

 不可能な注文をしてくる電話の相手に、和樹は呆れながらも台所へ向かう。

 本人の意思ではないといえ、自分に命の危機を与えている妖怪に、ベッドを貸したり食事を強請られても、彼は別に苛立ちを感じる事もなかった。

 女の子に振り回されるのは、強引な従妹で慣れているし、何よりも、生まれたばかりで帰る場所も持たない少女を、無下に扱う事なんて出来なかったのだ。

「ご飯を炊いてなかったから、トーストとハムエッグにしたけど……これ、どうしよう?」

 手早く二人分の朝食を用意した和樹は、一つしかないテーブルに皿を並べた所で、ある問題に気付く。

 和樹がメリーさんを見られない以上、二人は同じテーブルで食事をする事が出来ないのだ。

 実際、昨夜のレストランでも、彼女だけが一人、別の席に着いて食事をするしかなかった。

『私、メリーさん。和樹から見えない所の床にでも、適当に置いてくれればいい』

「流石にそれは――」

『ベッドまで貸して貰ったのに、これ以上は悪いの』

「……分かった、今度折りたたみの机でも用意するから、それまでは我慢して」

 遠慮する少女の提案を受け入れ、和樹は皿を床に置き、そこに背中を向ける形でテーブルに着く。

 それを察し、彼の背後に気配が現れ、行儀良く礼を告げた。

『私、メリーさん。頂きますなの』

「頂きます」

 和樹も礼を告げ、トーストに手を伸ばした。

 そうして、食事を食べ終えて一息付いた所で、和樹は早速本題に入った。

「メリーさん、犯人の事は何か思い出せた?」

 尋ねると、電話口の少女は申し訳なさそうに首を振った。

『私、メリーさん。残念ながらまだ思い出せないの』

 事故の衝撃がそれほど大きかったのか、十数年という歳月があまりにも長かったのか。

 ともあれ、犯人が直接分かる情報はないという事だ。

「そうなると、まずは事件の特定かな」

 一人の少女が車に轢かれて死亡した以上、それは交通事故として、警察の手で当然捜査されているし、犯人が逮捕された可能性も高い。

 よって、和樹はこの後警察署に向かい、事故の概要や犯人の現状について調べるつもりだった。

 しかし、そのためにはパズルのピースが不足している。

「十年以上前で、被害者が女の子ってだけだとね……」

 今は減少してきたが、昔は交通事故の死者が年間一万人にも及ぶ事があった。

 この大場菜市でも、年に数回は事故が起きている事だろう。

 それを考えると、もう少し範囲を絞る必要がある。

「事故が起きた場所でも分かれば――うん? そもそも、君の人間だった頃の名前って何なの?」

 事件を特定するのに、一番簡単な方法。

 即ち、被害者の名前から検索する方法に気付いて、和樹はそう尋ねた。

「メリーさんと呼ばれるうちに、メリーさんになっていたとか、本名は違うみたいな事を言っていたよね?」

 そう問うと、電話口の少女も頷いて肯定した。

『人間だった頃の名前は、メリーさんではなかったの』

「そうだよね。で、何て名前だったの?」

 和樹は何の含みもなく、率直に尋ねる。

 けれど、聞かれた電話口の少女は口を閉じ、重い沈黙の後に呟いた。

『……知らないの』

「えっ?」

『知らない、思い出せないの……私はもう《メリーさん》だから』

 涙さえ枯れ果てたような、その痛々しい声を聞いて、和樹は自分がどれほど残酷な事を聞いたのか思い知った。

 都市伝説『メリーさんの電話』に呑み込まれる形で、彼女は第二の生を得た。

 けれど、死んだ者は生き返れないのが、この世の定め。

 それは超常の存在だろうと、絶対に覆す事は出来ない。

 だから彼女は、代償として己を支払った。

 名前も、容姿も、人間である事すらも失って、全く別人の妖怪と成り果てる事でしか、自分が死んだ後の世界に立つ事が許されなかったのだ。

『あの子の記憶も、あの子の想いも、全部ここに眠っていると思うの……けれど、私は決して、あの子自身には成れないの』

 かつての自分を『あの子』と他人のように呼ぶ事しか出来ない少女は、胸の内でどれほどの血を流していたのだろうか。

 辛い過去を持つ和樹にも、それは想像する事さえ出来なかった。

「ごめん、僕は何も知らずに……」

『気にしなくていいの。メリーさんって名前も、可愛くて気に入ってるの』

 己の不明を恥じて謝る事しか出来ない和樹に、電話口の少女は虚勢を張るでもなく、元気にそう告げた。

 そして、彼が落ち込む暇を与えないようにと、覚えている限りの事を伝える。

『私、メリーさん。名前はともかく、生きていた年代を――事故があった年を特定出来そうな事は、幾つか思い出せたの』

 被害者の名前が分からなくとも、十数年前なんて曖昧な範囲ではなく、何年とハッキリ分かれば、特定はかなり容易になる。

 いくら交通事故が多いといっても、小学生くらいの幼い少女が死亡した事件ともなれば、そう数はないのだから。

「分かった、聞かせてくれるかな」

 彼女の意を汲み、話を蒸し返すような真似はせず、和樹は先を促した。

 電話口の少女もそれを受け入れ、訥々と語り出した。

『まず、サターンで遊んだ覚えがあるの』

「一九九四年末の発売だっけ? というか、何でゲーム機基準?」

『でも、ドリキャスはまだなかったの』

「一九九八年発売だから、おそらく一九九五年~一九九七年辺りかな?」

『そして、発売日を暗記しいてた和樹が、SEGA信者だと判明したの』

「いや、払間の叔父さんに教え込まれただけだから」

 というか、信者は君の方だろう――とツッコム和樹に、電話口の少女は変わらぬ真剣な口調で告げる。

『私、メリーさん。幽霊みたいに彷徨うだけで、何も触る事が出来なかった私に、早く最新機種を体験させて欲しいの!』

「その辛さは少し分かるけど……」

『あと、車に轢かれたせいで最後まで見られなかった、美少女戦士のDVDボックスを全部揃えて欲しいの!』

「最大の心残りがそれでいいの?」

 ある意味子供らしい未練を叫ぶ電話口の少女に、和樹は呆れて溜息を吐く。

 そして、ふと微笑を浮かべた。

 こんな風に、対等の関係で楽しく話せたのは、何時以来だろうと思って。

『和樹、どうかしたの?』

 不意に相手が黙ったので、訝しんで尋ねてきたメリーさんに、和樹は頬を緩ませ笑い返した。

「いや、君と話すのは楽しいなって」

 本当に思ったのは、もう少し別の事。

 ――君が人間だったから、よかったのに。

 あまりにも残酷で、決して口にする事は許されないけれど、それでも和樹は思ってしまった。

 退魔師とか妖怪とか、復讐とか向き合えない呪縛とか、そんな一切合切とは無縁の、普通の少年少女として出会えたのなら、どんなに幸せだったろうかと。

「これだけ分かれば何とかなるかな。じゃあ、そろそろ警察署に行ってくるね」

 埒もない妄想を振り払うように、和樹はそう言って腰を上げた。

 それに続いて、背後からも立ち上がる音が響く。

『私、メリーさん。初めて行くからドキドキなの』

「悪い事をしていなくても緊張するよね――って、ちょっと待った」

 同行する気が満々の声が電話口から響いてきて、和樹は慌てて足を止めた。

「悪いけど、留守番しててくれないかな」

『私、メリーさん。何でそんな意地悪を言うの?』

 そんなに警察署の中を見てみたかったのか、不満そうな声を出す電話口の少女に、和樹は苦笑しながらも説明する。

「君の姿は随分と目立つみたいだから、余計な人目を惹いちゃうし、それ以上に、君が背後に居ると歩きづらいから……」

 昨日、ファミレスに辿り着くまでに検証された事だが、振り向かずに歩くというのは、予想以上に困難だったのだ。

 行き止まりにぶつかってしまったら、無理矢理壁を越えて進むか、前を見たまま後ろ歩きで下がるしかないからだ。

 最初、油断してエレベーターに乗ってしまい、振り向く事が出来ずムーンウォークで降りてきた彼と金髪幼女の姿を見て、アパートの住人が浮かべた気の毒そうな顔は、今も和樹の脳裏に焼き付いている。

「だから悪いけど、ここで待っててくれるかな」

 歩き慣れた道ならいざ知らず、引っ越してきたばかりの知らない街を歩くのに、余計な苦労は負いたくない。

 そう和樹に頼まれて、電話口の少女は不満そうに口を尖らせながらも承諾した。

『分かったの。でも、一秒でも長く貴方の後ろに居たいから、早く帰ってきて欲しいの』

「聞きようによっては、男殺しな台詞だよね」

 一瞬、キュンと胸が高まった和樹だが、それが誤解だと気付いて肩を落とす。

 彼女が和樹の背後に居たいのは、特別な好意を抱いているからではなく、妖怪『メリーさんの電話』としての特徴故にだ。

 噂話の中で、背後に現れる少女として語られているため、彼の背後に居ないと落ち着かないのだ。

 特に、彼女は生まれたばかりの妖怪であるため、噂通りの行動をしていないと、その存在が揺らいでしまう。

 一日くらいならともかく、何日も和樹の背後に立てないと、最悪の場合は消滅してしまうかもしれない。

「分かったよ。出来るだけ早く帰ってくるから、待っててね」

 歪な形とはいえ、誰かに自分の存在を求められた事に、和樹は喜びを感じながら玄関へ向かった。

 そんな彼を、電話口の少女はありったけの感謝を込めて送り出す。

 迷惑ばかりを掛けて、ろくに恩も返せない自分に出来るのは、これくらいだからと。

『私、メリーさん。いってらっしゃいなの』

「うん、行ってきます」

 ごくありきたりな、けれど気持ちのこもったその言葉に、和樹は何よりも勇気づけられながらアパートを出る。

 この先に待っているのが、救いのない迷路だとも知らずに。


               ◇


 駅から国道沿いに少し離れた所にある、大場菜市の警察署。

 威圧感をなくすため、普通のビルとあまり大差のないそこの前に和樹は来ていた。

 子供の彼が正面から普通に入っても、まともに相手をされない可能性があるので、火乃華に教えてもらったある番号に電話を掛ける。

『はい、白鳥です』

 数秒して電話が繋がると、年配の男性らしき落ち着いた声が響いてきた。

「すみません、影森和樹と申しますが」

『君が影森君か、はじめまして』

「はじめまして。それで今、警察署の前まで来ているんですが……」

『分かった、向かえに行くから少し待っていてくれるかい』

 火乃華から事前に話を聞いていた相手は、短いやり取りで了解し、一度電話を切る。

 そうして待つ事一分、警察署の中から白髪頭で小太りな年配の男性が姿を現した。

「やあ、よく来てくれたね影森君」

 柔和に笑って出迎えてくれたその老人は、(しら)(とり)(ただ)()といい、大場菜警察署の警部補だった。

 十数年前までは、刑事課で敏腕を振るっていたのだが、今は資料編纂課という閑職で、定年までの残り少ない時間を潰している。

 ――というのは建前で、本当は世を忍ぶ退魔師の協力者として、捜査を手伝ったり、逮捕した妖怪の移送を行ったりと、それなりに忙しい日々を過ごしていた。

「白鳥警部補、今日はよろしくお願い致します」

「いや、君は警官じゃないんだから、警部補はつけなくていいよ」

 孫ほど歳が離れた和樹に、馬鹿丁寧にお辞儀をされて、白鳥は照れた様子でそう言った。

「じゃあついておいで、立ち話もなんだからね」

 そう促され、和樹は白鳥の後について警察署の中に入る。

 古株の警部補が子供を連れて歩く姿に、他の署員達は不思議そうな顔をし、何事かと尋ねてくる者も居たが、そこは白鳥が適当に誤魔化して、彼らは建物の奥にある資料編纂室に辿り着いた。

「そこに座って、今お茶を煎れるから」

 白鳥に促されてパイプ椅子に座りながら、和樹は資料編纂室の中を見回した。

 壁の全面に棚が置かれ、ズラリと分厚いファイルに取り囲まれた中心に、パソコンの乗った机が二つあるだけの狭い部屋。

 どこか威圧感を覚え、少し落ち着きをなくす少年に、老年の刑事は穏やかな顔で湯飲みを差し出した。

「本当はもう一人、生きのいい若造が居るんだがね、今は退魔庁の方へ行っているんだよ」

 協力者である警官の主な仕事は、退魔師が捕まえた妖怪を、専用の留置所や刑務所に送る事だが、そのさいに妖力で脱走されないよう、特殊な知識や技術が必要となってくる。

 そのため、退魔庁で研修を行う規則になっているのだ。

「私はこの通りの老体なんでね。ヤンチャな妖怪の護送は、若造が帰って来てからにして欲しいな、あははっ」

「いえ、僕は――」

 彼が退魔師なのだと確信して笑う白鳥に、和樹は否定を告げようとしたが、話が長くなるだけなので口を噤んだ。

 そうして、気を取り直して本題に入る。

「妖怪の件で窺わせて頂いたのですが、逮捕の手伝いとかじゃなくて、ある事故の資料を見せて欲しいんです」

「事故の?」

「十年以上前――おそらく一九九五年から一九九七年の間で、小学生くらいの少女が亡くなった、交通事故の資料です」

「それは……」

 和樹の単刀直入な用件を聞いて、白鳥は驚きのあまり目を見開く。

 それは、一見妖怪とは関係なさそうな事を聞かれたからか、それとも――

「……お望みの資料は、おそらくこれだよ」

 老年の刑事は暫し沈黙したあと、静かに机の引き出しを開け、その中から古びたファイルを取り出して和樹に手渡した。

「これ、見ても大丈夫なんですか?」

「じゃなかったら、そもそもこの部屋に入れないよ」

 怖じ気づいた訳でもないが、改めて確認してくる少年に、白鳥は苦笑しながら勧めた。

 和樹は頭を下げて礼を示してから、慎重にファイルを開き、そこに挟まれていたモノを見て確信した。

「これです、間違いありません」

 長々と文字が書かれた捜査資料を読むまでもなかった。

 聞き込みをするさいに使うため、遺族から拝借したのだろう、被害者の写真。

 黒い髪を長く伸ばした、歳の割に小柄で幼い、可愛らしい少女。

 伝え聞く、金髪碧眼の妖怪少女とは似ても似つかない、日本人形のようなその子が、大事そうに抱きかかえていた物。

 それはとても見覚えのある、白いウサギのぬいぐるみだった。

「この子が……」

 捜査資料に書かれた名前は、勿論メリーなんて外国人風の名前ではない。

 十四年前の六月、十二歳で亡くなった、ある平凡な家庭の平凡な女の子。

 それが和樹の背後に現れた、妖怪に成り果てた哀れな少女の正体。

「これ、犯人は――」

「捕まってないよ」

 和樹の縋るような声を、白鳥は目に憐れみを浮かべ、だが冷徹に切り捨てる。

「住宅街の細道で起きた事件なんだがね、その日は雨が降っていて、出歩く人が少なかったせいか、目撃者が一人も居なかったんだ」

 無情な雨音は、事故の音さえも飲み込んでしまったのだろう。

 少女を跳ねた車はそのまま逃げ、必死の捜査にもかかわらず、尻尾を掴む事さえ出来なかった。

「証拠は路面に残った僅かなブレーキ痕だけ。せめて壁に車体でもぶつけていれば、車種や色を特定出来たんだけどね」

 証拠も証言も殆どなく、捜査は直ぐ暗礁に乗り上げ、もはや犯人の自首を待つしかなかった。

 そして結局、少女の命を奪ったその犯人は、名乗り出てはこなかった。

「人を殺しておいて、そんなの……っ!」

 罰も受けず逃げおおせ、今ものうのうと暮らしているのだろう犯人を思うと、和樹は腑が煮えくりかえる思いだった。

「…………」

 そんな少年を無言で見詰める老刑事の顔は、何故か能面のように固くなる。

 和樹はそれに気付く事もなく、決意を新たに燃やした目で、ファイルから顔を上げた。

「この資料、お借り出来ますか」

「構わないよ、退魔師君の頼みとあってはね」

 断られるのを承知で頼んだ和樹に、白鳥は意外にもあっさりと許可を出す。

 妖怪の事を世間に知られぬよう、世界の裏で活動する退魔師及び、それを統括する退魔庁の権限は警察よりも強い。

 政治家や大企業の経営者という、大きな力を持ち、それ故に大勢からの恨みを買っている権力者達。

 彼らを祟りや呪いから守るため、退魔師達が厄払いを行っている事が、その一因である。

「すみません……」

 虎の威を借る狐のように、退魔庁を傘にきて無理強いしてしまったようで、和樹は申し訳なくて頭を下げた。

 それを見て、白鳥はまた苦笑する。

「いいんだよ、データはパソコンに移してあるし、それはもう――必要ないんだから」

 一瞬の間に、どんな思いが込められていたのか、和樹が気付く筈もない。

 ただ、もう一度礼を告げて立ち上がろうとしたその時、ノックの音が響いて、資料編纂室の扉が開かれた。

「白鳥さん、送別会の日取りだが――」

 現れた中年の男は、中に見知らぬ少年が居るのを見て、怪訝な顔をする。

 そして、彼の手に握られた捜査資料に気付き、ハッと目を大きく見開いた後、直ぐに眉をつり上げた。

「部外者が何を見ている!」

「えっ、これは、その……」

 怒声を上げ詰め寄ってきた男に、和樹は困惑して後ずさる。

 そんな二人の間に、白鳥が柔和な笑みを浮かべて割って入った。

「まぁまぁ、そんなに怒る事もないだろう? こちらは(いし)(ばし)(かつ)()警部、会計課の課長さんなんだ」

「ど、どうも」

「こちらは影森和樹君。払間火乃華さんの関係者だよ」

「あぁ、彼女の……」

 オドオドと頭を下げる和樹を、不審な目で睨んでいた中年の警部――石橋も、火乃華の名前が出されると、渋々といった顔で引き下がった。

 彼は退魔師の協力者ではなかったが、警察に長年勤めているため、『人間ではとても不可能な犯行を行う何か』と、その事件を任される『民間人のふりをした異質な者達』の事は知っていた。

 そして、蚊帳の外に居る自分達は、彼らには近付かないでおくのが身のためだとも。

「こんな子供まで使うとは、随分と人手不足らしいな、君達の組織は」

「すみません……」

 皮肉を吐く石橋に、和樹はただ謝るしかない。

 それを見て、定年間近の警部補は、自分より二十歳以上も下でありながら、上の階級に登り詰めたキャリアの後輩を窘めた。

「石橋君、そう意地悪するものじゃないよ」

「……失礼しました」

 石橋は直ぐに謝罪したが、それは先輩に対するもので、和樹に対するものではなかった。

 時に事件を横取りしたり、捜査の妨害をする事さえある、退魔師という得体の知れぬ連中に対する、一般的な警察官の心情を思えば、無理もない反応であったが。

「すみません。じゃあ僕は、この辺で失礼します」

 険悪な視線に耐えかね、和樹はそう言って石橋の横を通り、資料編纂室の出口に向かう。

 最後に一礼し、足早に去った少年を見送ってから、白鳥は苦笑して同僚を見上げた。

「事務職に移って少しは落ち着いたかと思えば、相変わらずピリピリしているね君は。そんなんだから、未だに嫁が見付からないんじゃないかい?」

「余計なお世話ですよ」

 先輩の冗談をバッサリと切り捨てながら、石橋は溜息を吐く。

 そして、少年が走り去った方を見て、目を険しく細めた。

「彼らが何者か知りませんが、捜査資料を渡すのはやりすぎでは?」

「構わないだろう。迷宮入りしてもう誰も捜査していない、十四年も前の資料なんだから」

「ですが――」

 生真面目に言い返そうとした後輩の前に、白鳥は問答無用とばかりに掌をかざす。

 そして、かつて刑事課で数多の犯罪者達と戦っていた時のように、目を鋭く光らせた。

「それに、私達とは違う力を持つ彼らなら、迷宮入りした事件さえ、解決してしまう可能性が有ると思わないかい?」

「…………」

 面白そうに笑って問われても、石橋は答えようもなくて黙るしかない。

 そんな刑事二人は、今去った少年が霊力を持たず、出来損ないと呼ばれていた事を、知る筈もなかった。


               ◇


 ファイルを小脇に抱え、憂鬱な気持ちで和樹がアパートの玄関を開けると、それを待っていたようにポケットから着信音が鳴り響いてきた。

「はい、影森です」

『私、メリーさん。お帰りなさいなの』

 名乗った彼の耳に届いたのは、早くも聞き慣れてきた名乗りと、出迎えの言葉。

「……ただいま」

 それへの返事が一瞬遅れたのは、言い慣れていなかったから。

 母親は忙しく留守がちで、家で彼を待っていてくれた事が殆どなかったから。

「ただいま、メリーさん」

『お帰りなさいなの、和樹』

 噛み締めるようにもう一度告げた少年に、電話口の少女は訝しみもせず、同じ言葉を贈ってくれた。

 それが嬉しかったからこそ、和樹は次の言葉を伝えるのが堪らなく苦しかった。

「犯人、まだ捕まってなかったよ」

 自分を轢き殺した人間が、反省も贖罪もせず、逃げおおせているという事実。

 それはどれほど、彼女の心を傷付けたのだろうか。

「ごめん……」

 彼には何の責もない。けれど、他に言うべき言葉が見付からず、和樹は謝罪を口にする。

 それを聞いた電話口の少女は、変わらぬ口調でこう告げたのだ。

『私、メリーさん。そんな事より、早くお昼ご飯を作って欲しいの』

「そんな事扱いっ!?」

 シリアスモードを一瞬で破壊され、和樹は思わず絶叫した。

「自分から犯人を捜してって言ったのに、その情報が昼飯以下ってどうなのさ!」

『私、メリーさん。それはそうと、和樹の持ってたゲームをやらせて貰ったの』

「少しは僕の話を聞いて!」

『まず、勇者、戦士、僧侶、魔法使いって編成は、テンプレすぎて詰まらないの』

「駄目出しされた!?」

『そのくせ、(ファイブ)では金持ちの娘を嫁に選ぶとか、訳が分からないの』

「どっちを選ぼうと別にいいでしょ!」

 ゲームのセーブデータを勝手に見られて、恥ずかしくなって和樹が怒鳴るのと同時に、彼の背後に気配が生まれる。

『私、メリーさん。何時までも玄関に立っていないで、早くオムライスを作るといいの』

「メニューまで勝手に決められたよ……」

 退路を断たれた和樹は深い溜息を吐き、大人しく台所へと向かった。

(気を使ってくれたんだろな……)

 和樹は冷蔵庫を開けて材料を取り出しながら、彼女の心配りに感謝する。

 犯人が捕まっていなかった事を、彼が気に病まないように、電話口の少女はあえて道化を演じてくれたのだろう。

(まぁ、半分くらいは素だった気もするけど)

 けれども、彼女が何も感じていないという事も、また有り得ない。

 自分の命を理不尽に奪われておいて、それを微塵も恨んでいないのなら、幽霊になって彷徨い、その果てに妖怪と成る事もなかったのだから。

(それでもメリーさんなら、きっと――)

 オムライスの材料を包丁で切りながら、和樹はそう信じる。

 非業の死を遂げながらも、己の不幸を声に出して嘆く事もなく、他人にすぎない自分にまで、こんなにも気を使ってくれる優しい彼女なら、犯人を捕まえて司法の罰を与えれば、約束通り命を奪ったりはしないだろうと。

「よし、出来上がり」

『私、メリーさん。言い忘れてたけど、緑の丸いあんちくしょうを入れてたりしたら、後ろからフォークで刺すの』

「グリンピースの事? そういえば、昨日のレストランでもニンジンを残していたみたいだけど、野菜が嫌いなの?」

『土から生まし彼奴らなど、煉獄の炎に焼かれてこの世から滅びればいいの』

「どこの魔王様だよ……」

 和樹は呆れて苦笑いしながら、彼女の分のオムライスに、ケチャップでウサギの絵を描いた。

 この時、彼は電話口の少女と話すのが楽しくて、一つ大きな誤解をしていた。

 彼女が犯人に対して負の感情をあまり見せないのは、聖人君子だからではない。

 自分を殺した者の顔も名前も知らないから、恨みのぶつけようがなく、そもそも記憶が曖昧で、死んだ瞬間の苦痛や恐怖を覚えていないから、憎しみが湧いてこないだけなのだ。

 犯人を見付けて欲しいと願ったのも、『メリーさんの電話』だから生まれた、義務感による所が大きい。

 だから、彼女が本当の意味で自分の死を――失ったモノの大きさを思い出した時、和樹は自分の浅はかさを痛感する事になる。


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