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【第二幕 井の中の蛙、大海で出会う】

「和樹さん、この村を出て下さい」

 小学校の卒業式を終え、家に帰り着いた和樹を待っていたのは、母親である(かげ)(もり)()()のそんな短い宣告だった。

「貴方の従姉である()()()さんが今、大場菜市という所に住んでいます。そこのアパートを用意しましたので、中学からはそちらで暮らして下さい」

「はい」

 事前の確認もなく、淡々と決定事項のように告げる母親の言葉に、和樹は逆らう事なく頷いた。

 まだ十二歳の子供なのに、実家を追い出されて一人暮らしをしろという、あまりにも冷たく惨い仕打ち。

 けれど、それが本当は我が子を愛する故に下した、苦渋の選択である事は、幼い和樹にも分かっていたから。

「僕も、この村には居たくなかったから、丁度良かったです」

「そうですか」

 畳敷きの居間で正座して向き合い、他人行儀に敬語で話す親子は、決定的な亀裂が入っているようにしか見えなかっただろう。

 だが、膝の上に載せられた母の手が、血が滲むほど強く握り締められているのを見た和樹は、彼女を責める言葉を決して口にしない。

 何故なら、全ては自分が悪いから。

 退魔師の頂点、影森家の跡取り息子として生まれながら、退魔師に必須の霊力を持って生まれなかった、出来損ないの自分が。

 霊力は訓練で高める事が出来る。けれど、ゼロに何をかけようともゼロ。

 だから、霊力が全くのゼロという、退魔師や一般人はおろか、そこらの動植物にも劣る身の和樹は、生まれた時から退魔師になる道が閉ざされていたのだ。

 それでも、彼は努力した。

 従妹に鼓舞され、母の教えを受けて、持って生まれた体を鍛え、技を磨き、知識を蓄え、若干十二歳の身でありながら、大人の格闘家と互角に渡り合えるほど強くなった。

 おそらく、この村に居る若い退魔師達の中で、彼に勝てる者は一人くらいしか居まい。

 だが、どれほど強くなろうとも、彼らは決して和樹を退魔師と認めない。

 霊力がない。ただその一点だけで、頑迷に、蛇よりもしつこく、受け入れようとしない。

 それが何百年という歴史の中で、世界の裏で異能を振るい、妖怪という超常の存在を駆逐し続ける事で、自分達こそが霊長の頂点だと思いこんだ、退魔師という名の化け物達だった。

 無論、全ての退魔師がそんな狭量な訳ではない。

 だが、この狭い村で生まれ、外の広い世界を知らず、歪んだ思想を常識として植え込まれた者達は、そういった人でなしに育ってしまった。

 そんな者達が占めるこの村において、退魔師と認められない和樹は、絶対的に悪なのだ。

 悪だから、罵ろうと、傷付けようとも、それは正義。

「友達なんて一人も居ないから、何処に行く事になろうと、悲しくなんてありません」

「そうですか」

 能面のように感情のない顔で息子の言葉に頷きながら、千枝の握り締めた拳から赤い液体が滲み出る。

 息子がクラスメートはおろか、村の大人達からも虐め蔑まれている事は、彼女だって知っていたのだ。

 その度に彼女や、遊びに来ていた姉の娘が、睨みをきかせて黙らせきた。

 けれどそれは、迫害を表面に出ない陰湿なものにしただけで、消す事は出来なかった。

 他者を貶める事で、自らの高みを確認し愉悦に浸る。

 そんな人間の醜い業を祓う事は、例え歴代最強の当主とうたわれる影森千枝であろうとも、不可能に決まっていた。

 それを分かっていながら、彼女は息子をこの村から出す事を、自分の手元から放す事を、今の今まで出来ずにいた。

 本当ならもっと早く自由な外の世界に、姉である桃花の元にでも送るべきだったのだ。

 そうしたら、息子は従姉妹達と仲良く暮らし、霊力の有無なんかで差別されない、普通の世界で過ごせたのだろう。

 けれど、千枝にはそれが出来なかった。

 凶悪な妖怪の退治に一人で向かい、行方知れずとなり、世間的にも法律的にも死者にされてしまった最愛の夫、宋馬の忘れ形見である和樹を手放す事が。

 そして、夫は生きているという希望と、彼の帰るべき場所であるこの家を捨て、村を去るような事も。

 だが、和樹が成長し、小学校の卒業という節目を向かえた今だからこそ、彼女は血を吐く思いで私情を殺し、彼を退魔師という呪縛から解き放つ。

「次の日曜日に、火乃華さんが車で向かえに来てくれます。それまでに荷物をまとめておいて下さい」

「はい」

 淡々とした母の言葉を、和樹は無感情に受け入れ続ける。

 一度でも感情を爆発させてしまえば、きっと互いを傷付けるだけの、醜い言葉を吐き出してしまうと分かっていたから。

 僕より、仕事の方が大事なの?

 何で、こんな村を捨ててくれなかったの?

 どうして――僕をこんな、出来損ないに産んだの?

「……カリ」

「はい?」

「ヒカリちゃんは、どうしていますか」

 込み上げてきた黒い塊を吐き出さないように、和樹は別の問いを絞り出す。

 それを聞いた千枝は、一瞬だけ痛ましそうに眉を動かしてから、静かに答えた。

「ヒカリさんは、全寮制の退魔師学校へ行くそうです」

「そうですか……」

 和樹にとって、従妹であり幼馴染みであり、唯一の親友である払間ヒカリ。

 彼女はその溢れる才能を生かすために、退魔師への道を歩き出したのだ。

 彼には決して至れない、その道を。

 嫉妬は湧く。けれど、それ以上の羨望が、暗い感情を焼き払う。

「会ったら『頑張ってね』って、伝えて下さい」

 その言葉には、もう二度と会えないという、別れの悲しみが込められていた。

 今より二年前、時期影森家の当主と目されていた払間火乃華が、退魔師の仕事から一線を退いた事で、その妹であり莫大な霊力を持つ払間ヒカリが、時期当主と噂されるようになった。

 事実、能力的にも血統的にも、このままいけば彼女が当主になる事は間違いない。

 そんな退魔師の頂点に立つべきヒカリが、退魔師の底辺である和樹と友好を深める事は、マイナスにしかならないだろう。

 だから彼は、どんなに悲しくても、親友との別れを受け入れるしかなかったのだ。

「……分かりました、伝えておきます」

 幼い息子の、歳に似合わぬ気遣いを悟り、千枝はむしろ悲しくなって、さらに拳を握り締めた。

 それを見て、和樹は母にこれ以上自傷して欲しくなくて、静かに腰を上げた。

「じゃあ、荷造りをしてきます」

「はい」

 母に背を向け、和樹は居間を出る。

 襖を閉める一瞬、母の頬を水滴が伝っていたように見えたが、彼は気付かないふりをした。

 あれを涙だと認めてしまったら、一欠片の残った矜持を投げ捨てて、彼も泣き崩れてしまいそうだったから。



「――って、今の暗い子、誰なん?」

 話が一区切りついた所で、小杜子が訝しんで尋ねる。

「いや、だから僕だって」

 自分語りはやっぱり恥ずかしという顔で、自分を指差す和樹を見て、小杜子は信じられないと絶叫した。

「えええぇぇぇ―――っ! 『何時も心に笑いとツッコミを』がモットーの影森君が、あんな根暗少年やったのっ!?」

「不幸自慢をしてるみたいで、恥ずかしいけどね」

 メリーさんとの出会いを語る上で、当時の心理状態は欠かせない要素なので話したのだが、やはり照れ臭くて和樹は苦笑する。

 そんな彼の前で、話にも出ていた従妹は、呆然とした顔で座り込んでいた。

「あんた、あの頃って、そんな事を思ってたの……」

 自分が次の当主候補だなんて、全く知らなかった事実も驚きだが、彼女を一番驚愕させたのはそこではない。

「もしも、もしもよ? あの時、私が大場菜市に来たら、あんたどう思った?」

 震える声で尋ねたヒカリに、和樹は逆に問い返す。

「それは、退魔師学校に行かず、退魔師になる道を諦めてって事?」

「うん……」

 呆然とした顔の従妹に促され、和樹は少し考えてから答えた。

「そうだね、残念な気持ちも湧いたと思うけど、やっぱり嬉しかったんじゃないかな」

 自分の憧れ、ヒーローであるヒカリが、その道を諦めてしまう事は、応援していたプロレスラーが引退してしまうような、言いようのない寂しさを覚えた事だろう。

 それでも、一番の親友が、一番落ち込んでいた時、側に居てくれたなら、何よりも心強くて、泣けるほど嬉しかったに違いない。

「もしそうなっていたら、今とは全然違う生活を送っていたんだろうね」

 例えば、ラスボスことストーカー幼女に、先制点を許す事がなかったり。

 例えば、次期当主だの霊力ゼロだなんて、そんな退魔師の柵から解放されて、普通の少年少女として、幼馴染みと恋をしたり――

「あ、あああああぁぁぁぁぁ―――――っ!!」

 有り得た可能性が頭を過ぎり、ヒカリは耐えきれず絶叫した。

 彼女が退魔師を目指したのは、全て和樹のためだった。

 彼を見下していた村の連中を見返して、もう二度と馬鹿に出来ないようにしてやりたかった。

 立派な功績を成し遂げて、霊力の有無なんて関係ない、誰かの幸せを守りたいって思う、その優しい心こそが一番大切なのだと知らしめてやりたかった。

 そのサポートをしたくて、それを行えるだけの実力を付けたくて、退魔師学校へ行くと決めたのだ。

 行けば少なくとも中学の三年間、和樹とろくに会えなくなるのは分かっていた。

 だから逆に、三年間は会わないと願をかけて、修練を重ねてきたのだ。

 その結果、座学や探査系の能力こそ赤点だったが、破壊力という一点においては、一流の退魔師以上のモノを身に付けるに至ったのだ。

 それもこれも、全ては和樹と、彼に対する秘めた想いのため。

 幸せになった彼に、ほんの少しでもいいから、自分の方を振り返って微笑んで欲しかった。

 そのためだけに選んだ、退魔師という茨の道。

 だが、その方法を選んだ事が、二人が幸せな恋人になるという目的から、一番遠ざかる結果をもたらしていたのだ。

「失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した私は失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗したオッパイ死ね失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した――」

「ヒカリちゃん、巨乳に対する恨みも混じっとるで!」

 小杜子のツッコミも聞こえぬ様子で、ヒカリは頭を抱え、運命の皮肉を呪い続ける。

 その鬼気迫る姿に、和樹は訳が分からず怯え、妹の方を窺うしかなかった。

「僕、何か悪い事を言ったかな?」

「……気にしないで、話を進めて」

 亜璃沙は珍しくライバルに同情し、目尻を拭いながらも先を促す。

 それを受け、和樹は蹲るヒカリを気にしつつも、再び三年前の出来事に思いを馳せた。


               ◇


 ろくに舗装もされていない田舎道を、赤い乗用車が揺れながら走り抜ける。

「二年半ぶりかしら~、和君もすっかり大きくなったわね~」

 シートベルトを大きな胸の谷間に挟め、運転席に座ってハンドルを握っているのは、和樹の従姉である払間火乃華。

 親元を離れて一人暮らしをする事になった寂しさを押し隠すように、助手席で黙り続ける従弟に、彼女は陽気に喋り続ける。

「これから行く大場菜市だけど~、地脈の真上にあるから霊子が濃くてね~、妖怪がそこそこ集まってきて大変なのよ~。足が超速いお婆ちゃんとか~、最近は金髪の幽霊が出るって噂もあってね~」

「…………」

「知ってると思うけど~、私はもう仕事の取り次ぎをしているだけで~、現場には出ていないのよ~。それで代わりに妖怪退治をしてくれてた子が~、今年は就職活動と卒業論文で忙しくて暇がないのよ~」

「…………」

「だから和君、その子の代わりに妖怪退治を――」

「やりません」

 沈黙を守り続けていた和樹も、その誘いだけは即座に拒否した。

「霊力のない僕が仕事に関わっても、火乃華姉さんの手を煩わせるだけです。だから、やりません」

「……そっか」

 頑なな拒絶を受けて、火乃華は真面目な声でただそう呟いた。

 あの閉鎖的な村とは違い、自由な外の世界で生まれ育ち、実際に退魔師として活躍してきた彼女にしてみれば、血統だの霊力だのを自慢するしか脳のない者達より、鍛え抜かれた体術しか持たず、だからこそ慎重に動くだろう和樹の方が、余程退魔師に向いていると思う。

 それ故、身内贔屓ではなく、純粋に実力を評価して誘ったのだが。

「勇猛なライオンよりも~、臆病なウサギの方が長生き出来るのにね~」

「何それ?」

「超A級スナイパーの台詞~、コミック全巻持ってるから~」

「火乃華姉さんを含め、払間の人ってみんなオタクだよね」

 父親がゲーム、長女が漫画やアニメ、次女が特撮を特に愛しており、唯一際だった趣味のない母親は、彼らのコレクションで家の中が狭いと何時も愚痴っていた。

「え~、ただのファンでオタクを名乗れるほど詳しくないよ~?」

「オタクはみんなそう言うんだよ」

 漫画とDVDと玩具で埋まったコレクションルームが有るくらいだから、どう考えてもオタク一家である。

 そうツッコム和樹を見て、火乃華は僅かに頬を緩める。

「その様子ならまだ取り返しは付きそうね~」

「何の事?」

 訳が分からず問い掛けてくる従弟に、火乃華は口笛を吹いて誤魔化した。

 前に会った時とは違い、日本の退魔師達は野蛮だと毛嫌いして使わない、大陸の技術――気功術を修めた今だからこそ、彼女は気付いていた。

 霊力がないという、一見欠点としか思われないそれが持つ、恐ろしい可能性を。

 仙気――己を『無』にする事で、大気に満ちた霊子を吸収し、無限の力へと変える術。

 本来なら長い修行を必要とするそれを、和樹は天性の才能として扱える筈なのだ。

 それを手中に収めた時、彼は自分を見下してきた者達など足下にも及ばない、絶大な力を手に入れる事だろう。

 だが、だからこそ、火乃華は和樹にその才能が秘められている事を伝えない。

 今の暗く淀んだ彼が、圧倒的な暴力を手に入れ、生来の優しさを忘れて、破壊と蹂躙に酔いしれる鬼と化したなら。

 天地と一体となる仙人は堕ち、闇を喰らって全てを滅ぼす修羅となる。

 ふざけた理由で――実の妹と知らずにキスをしてしまったとか、変態角馬に告白されたとか、その程度であるならば、戻ってくる事も可能だろう。

 けれど、本気で世界の全てを憎み、真の修羅に成り果ててしまったなら。

 その時、彼の命を絶って止められるのは、最強の退魔師である影森千枝しか居ないのだ。

「バッド・エンドと最低の結末はまた別物だからね~」

「だから、何の話?」

 また首を傾げる和樹に、火乃華はやはり口笛を吹いて誤魔化した。

 母と子が殺し合う、そんな未来がこないように、彼女が出来る事はただ一つ。

 彼が下らない劣等感から解放されて、素直に笑えるようにしてあげる事だろう。

 けれど、どんなに天才的な退魔師だって、簡単に人の心を救う術など持ち合わせていない。

「ん~、いっそお姉ちゃんとエッチな事して自信を付けてみる~? 本番なしならアレも消えないと思うし~」

「い、いきなり何を言ってるの!」

「やっぱり今のなし~、和君が調子に乗って『君が僕に敵う訳ないだろ!』とか言い出したら~、お姉ちゃんが千枝叔母さんに殺されちゃうわ~」

「だから何の話なの!?」

 真っ赤になって叫び続ける和樹を、火乃華はやはり適当に誤魔化しながら考え続ける。

 何処かに誰か、彼の心を救える人物は居ないのだろうか――と都合の良い事を。



 四時間以上もかけて大場菜市に着き、駅前から少し離れた所にある、新築アパートの前まで来て、火乃華はようやく車を停めた。

「これが部屋の鍵ね~、何か困った事があったら何時でもお姉ちゃんに相談していいよ~」

 車を降りた和樹にそう言い残し、火乃華は再びアクセルを踏んだ。

「火乃華姉さん、会わない内にパワーアップしてたな……」

 好き放題自分を弄り倒してくれた従姉が去り、和樹は深い溜息を吐く。

 それが、少しでも彼を元気づけるためであった事は知る由もなく、和樹はスポーツバッグを片手に、シュトロハイツという変な名前の、これから長くお世話になるアパートに足を踏み入れた。

 エレベーターで四階まで上がり、廊下の端にある四〇四号室の前に立って、貰った鍵を使って扉を開ける。

 玄関から真っ直ぐ廊下が続き、風呂場とトイレの横を通り、正面の扉を開けると、広いダイニングキッチンが現れる。

 おそらく引越業者がやってくれたのだろう、テーブルやソファー、液晶テレビ等の家具が既に梱包を解かれ配置されていた。

 ダイニングにはさらに二つ扉が有り、その先には小部屋が広がっていた。

 片方はがら空きだったが、もう片方にはベッドや勉強机が用意され、私物を詰めたダンボールも運び込まれており、こちらが和樹の部屋という事らしい。

「過保護だな……」

 全て準備しておいてくれた母親に、和樹は感謝しつつも少しだけ反発を覚える。

 そして、改めて2LDKの広い部屋を見回した。

 こんなに良い部屋を用意してくれたのは、彼のためとはいえ、結果的に追い出すような真似になった事へ対する、せめてものお詫びなのだろう。

 だが、家族連れを想定した広い部屋に、一人ぼっちで立ち尽くしていると、余計に孤独が押し寄せてきて胸が痛んだ。

「馬鹿馬鹿しい、自分が招いた事なのに」

 湧き出てきた弱気を掻き消すように、和樹はそう吐き捨てた。

 母親から言い出した事だが、それを拒否しなかったのは彼だし、彼女がそう言い出すしかないほど、周囲と馴染めなかったのも彼なのだから。

 元から忙しくて留守にしがちだった母親の不在を、今更寂しいなどと嘆く権利はないのだ。

「さて、どうしようかな」

 何もせずにいると、思考がどんどん暗い方向へ行ってしまうので、和樹は気持ちを切り替えようと行動に移る。

 といっても、中学校が始まるまでのあと一ヶ月、特にやるべき事はない。

「テレビを見るか、ゲームでもするか……何時もと同じか」

 今まではそれに加えて、体術の修行に多くの時間を割いてきた。

 けれど、退魔師への道を諦めた今、最早それを行う意味はない。

「……まずはご飯かな」

 遊びたい気分でもなかったので、和樹は家事をする事にした。

 昼に村を出たのだが、今はもう夕方。時間的にも夕食の準備をする頃合いだ。

 そう決めると、別れ際に母親から生活費として貰った封筒を開け、ギッシリと詰まった札束に驚愕しつつ、その一枚を財布に入れてアパートを出た。

「知らない街か……」

 スーパーマーケットを求めて歩き出した所で、和樹は今更ながら、ここが右も左も分からぬ新天地である事を自覚した。

 古臭い木造の家と小さな田畑が広がり、小学生から高校生まで一緒に通う校舎が一つと、霊力を鍛える修行場があるだけの、森に囲まれたあの村とはまるで違う。

 高いビルの群が空を塞ぎ、自動車が我が物顔で大地を走り、大気は人の臭いと排気ガスで淀んだ近代的な都市。

 東京などに比べれば、大場菜市など都会とは呼べなかったが、ドが付く田舎生まれで、まだ十二歳の子供にすぎない和樹には、そこは得体の知れない怪物の腑のようにさえ思えた。

「いいや、適当に歩いてみよう」

 胸に湧いた心細さを振り払うように、和樹はそう独り言を呟き歩き出す。

 方向感覚や記憶力には自信が有ったし、携帯電話も持ってきているから、迷子になる事はないだろう。

 そう思い、十分ほど歩いた所で、和樹は目的のスーパーマーケットを見付けて中に入った。

 田舎の村とはまるで違う、商品の豊富さに圧倒されながら、籠に商品を入れていく。

「お米は置いてあったから、野菜と魚と――あぁ、都会は水を買わないと駄目なんだっけ」

 ちょっとしたカルチャー・ギャップを味わいながら、和樹は買い物を済ませてスーパーを出る。

「自転車、買わないとかな」

 ドッサリと買い漁り、重たくなったビニール袋を見てそう思いながら、アパートへの帰り道に付く。

 その途中、ふと道路の脇に置かれたそれが目に入ってきた。

「ぬいぐるみ、か……」

 かなり古い物らしく、少し色あせた白いウサギのぬいぐるみ。

 それがゴミの収集場らしい、道路の脇にポツンと独りで座っていたのだ。

 収集日が違う事を注意するシールが腹に張られており、それでこれだけが取り残されてしまったのだろう。

「…………」

 和樹は無言で見詰めた後、両手に持っていたビニール袋を右手にまとめて、空いた左手でそのぬいぐるみを抱き上げた。

 彼にぬいぐるみを収集する可愛らしい趣味はない。

 だが、この捨てられたウサギのぬいぐるが、ただ哀れに思えて仕方なかったのだ。

「お前と僕、どっちが可哀想なんだろうね」

 愛されるために生まれたのに、飽きて捨てれられたぬいぐるみと、退魔師になる事を望まれて生まれたのに、退魔師になれなかった出来損ない。

 果たして、どちらがマシだったのだろうか。

「僕の方が駄目な奴なのは、間違いないけれど」

 霊力がないという体質は、努力で覆せる類の問題ではない。

 けれど、自分がもっと村の退魔師達と上手くやれたら、母親や従妹に守られているだけではない、人に愛される素晴らしい人物になれていたら、こんな事にはならなかったのではないだろうか。

 退魔師の道を諦めた今でも、そんな後悔が和樹の胸を焦がす。

「馬鹿みたいだな、僕……」

 ぬいぐるみに話し掛ける自分の姿に気付き、和樹は情けなくなって失笑した。

 けれど、抱き上げたそれを再びゴミとして捨てる事は出来ず、そのまま持って歩き出した。

「…………」

 アパートに着いた和樹は、無言で玄関扉を開け、待つ者も居ない部屋に足を踏み入れる。

 そうして、居間に入ってビニール袋を置くと、ぬいぐるみのお尻が汚れていたのに気付き、拭いてやる事にした。

「えっと、ティッシュは――しまった、買い忘れたな。タオルが何処かになかったっけ?」

 自室へ移動し、ダンボール箱を開けて適当な布がないか探す。

 すると不意に、ピピピッと味気ない電子音が響き渡った。

「電話か、誰からだろう?」

 ポケットから携帯電話を取り出し、開いて画面を見ると非通知と出ていた。

 母親や従姉からではない。引っ越してきたばかりだから、電気会社や水道会社からだろうか。

 そう思い、通話ボタンを押した和樹の耳に、想像していたものとはまったく違う声が響いてきた。

『私、メリーさん。今、アパートの前に居るの』

 とても可愛らしい、けれど何処か不安を呼び起こす、無機質な幼女の声。

 それが何か、何者か、退魔師となるべく学んできた和樹は、一瞬で理解し戦慄した。

「き、君はまさか――」

 プツッと音を立て、和樹が問い詰める前に、電話が途絶える。

 これがただのイタズラ電話だったなら、どれだけ良かった事か。

 だが、そんな浅はかな希望を嘲笑うかのように、ほんの数秒後にまた携帯電話が鳴り出した。

「……は、はい、影森ですが」

 震える手で通話ボタンを押した彼の耳に、また可愛らしくも恐ろしい声が響く。

『私、メリーさん。今、階段の前に居るの』

 近付いている。アパートの前からその中へと、彼に歩み寄った事を告げて、また電話は途切れる。

「――っ!」

 和樹は出かかった悲鳴を飲み込みながら、電話の相手が何者か確信する。

 いや、信じるもなにも、相手は最初から名乗っているではないか。

 メリーさん――都市伝説『メリーさんの電話』に出てくる妖怪。

 電話を掛けながら徐々に近付いてきて、最後は背後に現れ、振り返るとそこには――

 有名な都市伝説のため派生が多く、その正体も様々だが、被害者が辿る末路は大差ない。

 良くて大怪我、悪ければ――死。

(どうする、どうればいい!?)

 退魔師として修行を積んできたといっても、和樹が妖怪と遭遇したのはこれが初めてだ。

 それも、退魔師の道を諦め、普通に暮らすと決めて、油断しきったその直後。

 激しく動揺しながらも、火乃華に助けを求めるべきだと気付き、アドレスを開こうとした途端、それを見ていたかのように着信音が鳴り響いた。

「ひぃっ!」

 和樹はついに悲鳴を漏らし、手を震わせ携帯電話を床に落とす。

 すると、電子音が十秒ほど鳴り響いた後、通話ボタンも押していないのに、勝手に電話が繋がった。

『私、メリーさん。今、四階に居るの』

 もう、和樹の居る階まで来てしまった。

 玄関から出れば鉢合わせしてしまい、四階なので窓から飛び降りる事も出来ない。

 最早、逃げ道はない。

「何で、どうして僕に!」

 半分パニックを起こした和樹は、落とした携帯電話を拾い直し、電源を落としてバッテリーを抜き取った。

 電話さえ受けなければ逃げられる。そんな何の根拠もない思い込みによる、衝動的な行動だった。

 けれど、子供の浅知恵を嘲笑い、暗くなっていた携帯電話の画面に光が灯り、甲高い着信音を鳴り響かせた。

「あ、あぁ……」

 おそらく、携帯電話を破壊した所で、この一歩一歩近付いてくる、死へのカウントダウンを止める事は出来ない。

 恐怖に飲み込まれた和樹の指は、操り人形のように通話ボタンを押し、携帯電話を耳に押し当てる。

 そして、本当に可愛らしいその声が、ゴールへの到着を告げた。

『私、メリーさん。今、貴方の後ろに居るの』

 ――居た。振り返らずとも分かった。

 玄関の扉は内側から鍵を掛けていたのに、誰かが入ってくる足音もしなかったのに。

 そんな常識を全て無視して、怪異なる存在の気配が、突如として彼の背後に現れていた。

 振り返れば死ぬ。けれど、無防備な背中を包丁か何かで刺されれば、やはり死ぬ。

 ――(チェ)(ック)(メイト)

 母親との稽古中に何度も味わった、逃れようのない敗北が迫ったあの感触。

 それと全く同じものが、稽古と違ってやり直しのきかない、死という絶対的な結末と共に、和樹の心を埋め尽くした。

 あまりにも唐突な終わりに、頭の中が真っ白になって、ただ静かにその時を待つ和樹に、電話口の少女もまた静かに告げた。

『私、メリーさん――ウサギ、返してなの』

「……えっ?」

 一瞬、言ってる事が理解出来ず、和樹は情けない声で尋ね返す。

 そんな彼に苛立つ事もなく、電話口の少女は同じ言葉を繰り返した。

『ウサギ、返してなの』

「あ、この、ぬいぐるみの事?」

『そうなの』

 脇に置いたままだったウサギのぬいぐるみを持ち上げると、素直な肯定が返ってくる。

 和樹は困惑しながらも、振り返らないように注意しながら、ぬいぐるみを背後に滑らせた。

 すると、屈んで拾い上げたらしい物音がした後に、感謝の声が響いてきた。

『私、メリーさん。ありがとうなの』

「ど、どういたしまして……」

 本当に嬉しそうな、可愛らしい声が鼓膜を震わせ、和樹は一瞬前に恐怖していた事も忘れて、思わず頬を染めた。

 しかし、直ぐ我に返り、湧き上がってきた疑問をぶつけた。

「君は都市伝説の妖怪・メリーさんなんだよね?」

『私、メリーさん。さっきからそう名乗っているの』

「なら、何で僕を殺さないの?」

 僅かに背を震わせながらそう問うと、心底不思議そうな声が返ってくる。

『? 女の子に殺されるのが趣味なんて、とんだ変態さんなの』

「そんな趣味ないよ!」

 ドMってレベルじゃねえ――とツッコミながら、和樹は困惑して首を捻る。

 彼女は彼を殺すつもりはなく、本当にウサギのぬいぐるみを取りに来ただけらしい。

「でも、それは変だよ」 

 命を奪われる様子がないと知り、和樹は安堵しながらも、そう否定を口にした。

 妖怪とは、人々の放つ負の思念という力が、噂という方向性を得て形を成したモノ。

 故に、噂通りの行動を取る筈なのだ。

「君が都市伝説『メリーさんの電話』から生まれた妖怪なら、誰かに復讐をするために生まれた筈だよ?」

 ある少女が捨てた、可愛らしい女の子の人形。

 またはあるタクシー運転手が、轢き殺してしまった外国人の少女。

 それが恨み辛みを晴らすために、捨てた少女や轢いた犯人に電話を掛けながら近付いていき、最後には背後に現れて報復を加える。

 細部に違いはあっても、無機物や死者という命なき存在が、凄惨な復讐を遂げるというのが、都市伝説『メリーさんの電話』に共通する事項。

 だから、彼女がメリーさんである以上、復讐こそが存在理由の筈なのだ。

「それが僕じゃないっていうのは、ありがたいけれど……」

 冷静に考えれば、和樹は人形を捨てた事もないし、誰かを轢き殺した事もないのだから、彼女が現れて危害を加える理由は一つもない。

 今回、ウサギのぬいぐるみを拾ってしまい、それでメリーさんが現れたのは、偶然かつ例外だったのだろう。

「けれど、僕じゃないなら、君はいったい誰を殺すつもりなの?」

 そう言った瞬間、和樹は深く後悔した。

(もう退魔師にならないって決めたのに、聞いてどうするっていうんだ……)

 退魔師でもないなら、妖怪が誰に殺意を抱こうと、関わる必要なんてない。

 火乃華にでも連絡して、黙って普通の生活に戻ればいいのだ。

 そう分かっていながらも、和樹は尋ねてしまい、質問を取り消す事も出来ず俯いた。

「ごめん……」 

 誰に対し、何を謝ったのか。

 自分でも分からぬまま呟いた和樹に、電話口の少女は数秒沈黙してから、静かに言った。

『私、メリーさん。貴方のお名前を教えて欲しいの』

「えっ、影森和樹だけど」

 まだ名乗っていなかった事を思い出し、和樹は反射的に答えた。

 それを聞き、電話口の少女は彼の名前を数度口ずさんでから、ふと大人びた口調になって告げたのだ。

『和樹、私を殺した犯人を、どうか一緒に探し出して欲しいの』

 彼女はそう告げ、彼に見えないのを承知で、床に膝を付いて深く頭を下げた。

「…………」

 頼み込まれた和樹は、咄嗟に答えられる筈もなく、ただ沈黙するしかなかった。

 ウサギのぬいぐるみを拾った事から始まった、遥か昔の悲劇を探る物語。

 墓を掘り返すのにも似た、誰も幸せにはなれない真実を求める旅。

 それが今日まで続く、少年と少女の始まりだった。



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