第5話 分家の厄介者
しばらくは主人公の過去編となります。
あの頃は、良い思い出など一つもなかった。ただ、陽にも当たらず、ひっそりともらい受けた人生を過ごすだけだった―――。
オルセン侯爵。
その名はあまり知られてはいないが、カインドの分家と言われれば思い出す者も多いだろう。侯爵の地位を保持していながら、その知名度は格段に低い。
そこいらの一般人と変わりないほどだ。
本家のカインドは、元祖と言われるラグドネアス=シフ・クリフェンの息子、オルレアンがカインドを自ら名乗り出したことからその歴史は長い。
王家の血筋を取り込み、魔法師と魔術師の頂点に君臨したカインド。
カインド家三代目当主のレネイエスの世代以降、名を分かれたオルセン家とは、天と地ほどの違いがある。
まず、他の者とは比べものにならない魔力と魔法の実力で代々名を馳せるカインドとは違い、オルセンの生まれの者は魔力が格段に弱い。魔法師とは名乗れないほど弱く、あのカインドの分家でありながら…と陰口を叩かれたことなど数え切れないほど多々ある。そのため、一般貴族として名を上げるオルセンだが、微弱ながら魔力を持つため、一般貴族の中にも溶け込めはしなかった。
そしてもう一つ。爵位を持つ者なら、少なからず自らの領地を持つ。しかし、オルセンは代々領地を持たず、王都から遙か離れたレイヘルトンにほど近い、小さな村に佇む子爵家よりも小さく古びた屋敷を持つだけだ。
そんな、貴族とは到底言えぬ屋敷で、細々と身を立てて生活をしていたオルセン。しかし、そんな屋敷の中は至って賑やかだった。男児が五人、女児が四人。計九人の子供達がいるからだ。
その兄妹の中、上から数えて六番目。四人の兄と一人の姉、三人の妹を持つ彼の名は、デイビッドと言った。兄妹の中では、一番大人びた子供だった。
特に手の掛かる子でもなく、問題を起こす子でもない、至って普通の。
だが、それは彼が学校に上がるまでの話。
彼が五歳の時だった。
地元にある小さな学校にデイビッドが入学する丁度、一週間前こと。
その日は何故か体調が優れず、デイビッドは一人、部屋に籠もっていた。
そこへやって来たのは、甘えたい盛りの二番目の妹。向こうに行ってくれと言うのに、彼女はデイビッドにまとわりついて離れなかった。
あまりにしつこくて。自分の中の何かが、プツンと音を立てて切れた。
その後の記憶はない。
ただ、気がつけば血まみれの妹が目の前に倒れおり、父が真っ青でこちらを見ていた。兄三人掛かりでデイビッドを押さえつけて、地下牢に連れられて行った。
入学は延期され、一日をほとんど日の当たらない、冷たい地下牢で過ごした。
母は、そんなデイビッドを不憫に思い、時折こっそり外へと連れ出してくれた。けれど、気を抜けば、辺りは血まみれの死体が転がった。お前がやったのだと言われても、自分でも覚えがないその行動が末恐ろしくなった。
兄を一人、妹を二人手に掛けたデイビッドは、地下牢に軟禁された。
二度目の春を迎えたある日。
家族も近寄らなくなった地下牢に、黒をまとったまだ若い男性が一人でやって来て言った。
「はじめまして、か。…デイビッド、私を覚えているか?」
首を振って睨むと、相手は紫眼の瞳を切なそうに細めた。
「シリウス=ジウ・カインドだ。一度、会ったことがあるんだけどね。…まぁ、いいさ。おいで、デイビッド。ここから出るんだ。」
掛かっていたはずの鍵は、彼がガチャリと取っ手を回すとその意味を無くし、容易に寂れた柵の扉は開いた。
「父さんが出るなって。」
「…出るんだ。私についてきなさい。」
デイビッドの主張をバッサリと切り捨てて、引きずるように壁に一体化されている牢から引きずり出した。
颯爽と薄暗い廊下を行く、男性の後を掴まれた腕をさすりながらデイビッドが続く。
「…シリウス様。」
そう声を掛けてきたのは、すっかり痩せた父。地下牢の入り口に佇んでいた彼は、シリウスを恐る恐る見やっている。
「ログよ。」
父の数歩先で立ち止まったシリウス、その声は地に這うほど低かった。
「オルセン家は余程、我がカインド家が嫌いと見えるが。」
「めっ、滅相もございません!本家の皆様には良くしていただき、感謝の気持ちでいっぱいでございます。」
「では何故、こうまでなるまで黙っていた!!!」
びっくと身を竦めたのは、父だけではない。デイビッドも突如声を荒げたシリウスに、戸惑った。
「本家の皆様に、ご迷惑にならぬようにと…。」
「馬鹿者っ!そんなふうに気を抜いているから、こんな大惨事になっているのだろ。」
まだ死人を出したいのか。
そう怒鳴るシリウスに、父はさっと表情を変えた。
「シリウス様、なぜ知っておられるのですか。」
わなわなと震えだした父親を見据え、今度は静かな声でこう言った。
「バレていないとでも思っていたか、ログ。カインドも舐められたものだな。…オルセン内の揉め事なら、こちらも黙っておこうと思っていたが。しかし、その間に死人は何人になった?ましてや、息子を警察や魔法省に突き出さず、家で匿ってると言うではないか。…魔法省でもデイビッドの処遇をどうするかは、意見が分かれた。しかし、オルセンはカインドの分家だ。こちらで、処遇は決めるととなった。よってデイビッドは、今日付けでうち(カインド)で預かることになった。異論はないだろう。」
「お待ちください、シリウス様!」
後ろにいたデイビッドを半無理やりに引き寄せ歩き出したシリウスに、父が縋るようについてくる。
日が暮れた庭先に出ると、屋敷の玄関先で顔を真っ青にさせた母が立ち尽くしていた。
「シリウス様!」
後を追ってくる父と、立ち尽くす母。ただ事ではない気配に、不安になったがデイビッドは至って平然としていた。
もし、処罰を受けるとしても怖くはない。ようやく、この息も詰まりそうな家から解放されるから。家族も厄介者を追い出せるのだから、嬉しそうな顔をしたら良いものを。そんなふうに考えていたデイビッドは、母が口にした言葉に耳を疑った。
「お願いです、シリウス様。見逃しては下さいませんか。デイビッドは、まだ七つです…。」
懇願にも似た、涙声が胸を打つ。
しかし、シリウスが口にした言葉は、冷徹にも静かな声となって夫婦を貫いた。
「残念だが、セイラ…。これは決定事項だ。覆せはしない。」
そう言って、デイビッドを屋敷のすぐ近くに止まっていた四頭立ての馬車の中へと押し込んだ。シリウスは、ほんの数秒だけ父に何やら耳打ちし、馬車に乗り込んだ。
馬車が走り出すまでの間、父が深々と頭を下げているのを見つめた。母は、泣き叫びながら走り出した馬車を追ってきたが、父に止められてその場に泣き崩れた。一部始終を静観していたデイビッドは、左隣に座る男性を仰いだ。
黒い外套に身を包み、腕を組む表情は険しい。ふとデイビッドの視線に気がついたように、紫色の瞳を向けてぎこちなく微笑んだ。
「なに、心配はいらない。私に任せておきなさい。」
言葉はそれだけだったが、大きな手のひらが頭を撫でた時、デイビッドの中に安堵が広がった。
馬車で六日の旅の末に到着したのは、王都リヴェンデル。その中でも、一際立派な邸の玄関先で馬車を降りるとシリウスは悠然と邸に入って行く。戸惑いながらも後を追うと、向日葵色の髪を下げて主を出迎える執事がいた。
「お帰りなさいませ、シリウス様。」
「あぁ、ただいま。ジョルジオ、今日から預かる事になったデイビッドだ。デイビッド、挨拶を。」
玄関先に突っ立ていたデイビッドは、頭を上げた藍色の瞳に身震いして頭を下げた。
「…デイビッド・オルセンです。」
「ジョルジオ・ターナーと申します。カインド本邸で執事長を任されております。どうぞ、ジョルジオとお呼び下さい。デイビッド様。」
「ジョルジオ、誰もいないのかい?」
「はい、クロムウェル様は定期検診に。メアリー様は魔法省に。ルクシア様、ルビウス様、アレックス様はまだ学校からお戻りになられていません。」
「そう。じゃあ、ルビンとアレンが帰って来たら、部屋に来るように言っておいて。」
畏まりました、と頭を下げるジョルジオの隣を行きながら、シリウスがおいでと手招きする。恐る恐る招かれるまま、ついて行った。
「キミの身柄は、カインドが預かる事になったから。」
本邸から離れ、孤立する小さな邸に入った。そのうちの一つの部屋で腰を落ち着けたシリウスが、唐突にそう切り出した。
「あの、僕は死刑になるんじゃないんですか?」
暖かな暖炉が灯る一室で、長椅子に腰掛けたシリウスが、ぶっと口につけた紅茶を吹き出した。
「な、なんだって!?」
「ですから、死刑になるんでしょう?」
「誰が、そんなくだらない事を吹き込んだ!父親か!それとも、兄姉かっ、えぇ!」
言ってみろっと突如として喚きだしたシリウスにおののき、デイビッドはそろりと後ずさった。
「何が死刑だ!…確かに、死人まで出した。何も学んでいなかった結果だ。だが、制御や封じ込めれば…。」
ぶつぶつと呟くシリウスが末恐ろしくなって、静かにこの場を去ろうと踵を返した。―――が。いつの間にか戸口に佇む二人の少年に、ぶち当たりそうになって足を止めた。
片方は、この国では珍しい二つの闇を持ち、呆れて物も言えぬ様子だ。もう片方の少年は、焦茶色の緩やかな巻き毛と漆黒の瞳を持つが、不機嫌そうにデイビッドを睨んでいた。
双方共に、黒い外套を身にまとい、黒を基調とした似たような服装をしている。
「爺様、一体どうしたって言うんです?」
先に口を開いたのは、二つの闇を持つ少年。
とりあえず理由を聞こうか、そんな意味を含んだ言葉に聞こえる。
「おぉ、ルビン、アレン。ちょうど良かった。こっちに来なさい。」
おいでおいでと手招きするシリウスは、少年二人を呼んだ。先ほどまで怒っていた顔とは程遠い、にこやかな笑みを湛えて。
「…ほら、話をしたろう?デイビッドだ。年が近いのだから、仲良くするんだぞ。」
「ルビウス・カインドです。」
「…アレックス・シエルダ。」
二つの闇を持つ少年が、にこやかにはじめましてと名乗り、続いて渋々といったように、不機嫌そうな焦茶色の髪を持つ少年が名乗った。
「デイビッド・オルセンです。」
名乗られたならば、こちらも名乗らねばならない。置かれている状況がよくわからないが、デイビッドは律儀に名乗った。
「ルビン、後は頼んだぞ。これから予定があるもんでな!」
これ幸いと部屋を抜け出したシリウスの背中をため息で見送り、ルビウスはデイビッドに向き合った。
「…説明は何も?」
「はい。」
デイビッドの返答に小さく唸ると、とりあえず座ろうかと長椅子に促した。
「ここはカインド本邸。さっきのは、カインド現当主のシリウス=ジウ・カインド。魔法大臣の職ついているんだ。」
あれで。と付け加えたルビウスは、冷めてしまった壺形の陶器を持ち上げて、空の器に注いだ。
冷めていたはずの紅茶は、湯気を立てて器に移動する。これが魔法と言うものかと差し出された紅茶を眺めて思った。
「あの人は、僕達の祖父で僕にとっては師にあたる。」
「…ぼくたち?」
本家の直系にあたる子供は確か、一人と聞いたが。
「カインドの名を継ぐのは、僕だけだけど。祖父の息子…つまり僕の父には子供があと二人いる。姉であるルクシアとここにいる弟のアレックス。」
あまり会いはしないと思うけどと口にし、話を変えた。
「…君は、デイビッドだっけ?これからはそう呼ぶよ。僕達も下の名前で呼んで。」
分家と言えど、会うこともなく雲の上にいるような存在の人達を気安く呼ぶなど、到底出来そうにはない。
そう言うデイビッドに、向かいに座るルビウスは困ったように笑った。
「一緒に住むのに、名前を呼ばないなんて不愉快だよ。学校も同じ所に通うのだし。」
「えっ!」
「…本当に何も聞いていないんだね。どうしようもない人だね、うちの爺様は。」
何だって?と声を上げたデイビッドに、つくづく同情すると言うようにルビウスは首を振った。
「いいかい?デイビッド、君には二重人格の魔力がある。一つは今、出ている表の顔。もう一つは、眠っている魔力を目覚めさせて、抑えきれないほどの力を暴走させる狂暴な裏の顔。それが原因で、地下牢に閉じ込められていたんだろう?」
困惑しながらも、閉じ込められていたのは事実なので、首を縦に振った。
「確かに、死人も出た。本来ならば、君がこの世にいるのも許されない。だけど、力が比較的弱いオルセン家から出た、将来有望な人材だという声も多かった。近親相姦の末に力が偏ってしまったのだろうってね。」
近親相姦、法では禁止とされているその行為だが、オルセン家では極当たり前であった。
父と母も祖父母も皆、きょうだいだ。法では禁止されているため、父母は籍を入れてはいない。戸籍上、二人はまだ兄妹だ。それがどうしたと笑う二人は、いつも幸せそうだから、デイビッドも大して気にとめなかった。しかし、一歩外に出れば、こうして必ずこの話が出るのだ。そして言われる。…カインドの恥が―――と。
「大丈夫?具合が悪いのかい?」
心配そうに覗き込むルビウスに、はっとして見やった。大丈夫だと答えれば、ルビウスはほっとしたように、アレックスは怪訝そうに見下した。
「えっと、だからね。君が、爺様の弟子になって、きちんとした魔力の力を使えるようになるまで、カインドが責任を持つことになったんだ。」
「…それは。」
法までも覆した判断に、デイビッドは戸惑うばかりだ。
「本当はね、いけないことだけれど。」
大丈夫だと言う、彼の口調は至って軽い。
それでいいのかと不安になるが、善意を有り難く頂いておくことにした。
「ご迷惑をおかけします。」
一旦、頭を下げて再び上げたデイビッドを目をまん丸にさせたルビウスが見つめた。
「いやだな、そんな他人行儀な言葉使いやめてくれないか。」
なぁ、アレックス?と背後に立つ少年に問い掛けた。
しかし、彼の表情は堅いまま。
「…兄上。分家の者といえ、けじめはつけなくてはなりません。爺様もなぜ、こんな厄介者をわざわざ引き取ったのか。」
「アレックス。」
訳がわからないと首を振るアレックスは、ルビウスの制する声さえ、無視してデイビッドを睨んだ。
「…兄上に迷惑をかけないよう、軽率な行動は慎んで下さい。」
ふんとそっぽを向いて部屋を出て行こうとするアレックスに、ルビウスはおいと声を上げた。
扉の手前で兄を振り返ったアレックスに、眉間に皺を寄せて尋ねる。
「どこに行くんだ?」
「叔父上のところに。呼ばれていたので。」
失礼します。愛想もなくそう言って去ったアレックスに、やれやれと首をすくめてデイビッドに向き合った。
「すまない、弟は昔からあぁいう性格で。」
「大丈夫です、慣れてますから。」
敬語、と呟いて顔をしかめたルビウスにデイビッドも困ったように首を傾げた。
「まぁ、慣れてくるまでは仕方ないか。…君が住むのは、ここの西館。僕と爺様だけしか住んでいない。と言ってもほとんど別荘に入り浸っているけどね。
本邸もあるけれど、ロウ侯爵の家族が居座っているから、行かないに越したことはないよ。」
部屋に案内するよ。
そう言って立ち上がったルビウスに続いてデイビッドも立ち上がった。階段を上って手前から二番目の部屋を与えられた。一番奥がルビウスの部屋だという。部屋の中はほとんど必要な物は揃えられていて、自由に使って良いという。
「…本当にいいんだろうか。」
殺人者を匿うようなことをして。
「うん?なにが?」
思わず出た言葉に、ルビウスが不思議そうに聞いてきた。
「本当にいいんですか?僕は、厄介者です。そんな者を匿ったりしたら、本家の皆様にご迷惑がかかるのでは…。」
「カインドは変わり者が多いからね。どんな者を取り込もうとも、大して問題にしていないんだよ。気にする事ないさ。」
明日は手続きをしに学校へ行かなくちゃ行けないみたいだから、早く寝た方がいいよ。などと流暢に言って階段を降りていった。翌朝、使用人に叩き起こされたデイビッドは、せかせかと身なりを整えて、追い立てられるように一階へと降りていった。
使用人曰わく、弟子は師より早く起き、師より遅く寝るものだと言う。口の達者な使用人について小さな食堂へと向かっていると上の階からルビウスの怒声が降ってきた。
「…また先生は寝坊か?」
立ち止まったデイビッドにひょっこりと食堂の入り口から顔を出して尋ねて来たのは、まだ若い青年だった。
「先生は朝、弱いからね。ルビウスも毎回大変だろうに、…君がデイビッド?」
少し長い漆黒の髪を括りもせず、深紅の瞳を向けてそう聞いてきた。
「…デイビッド・オルセンです。」
ぱんぱんと手についた粉を落としながら、口をもごもごと動かし、ふーんとばかりに頷いた。食事は立ってしない、人をじろじろ見ない、オルセン家では絶対に許されないその行為を目の前の人は平気でやっていることに驚き、尊敬した。
「あの、口に付いてますよ。」
自分の口を手で指差しながら、目の前の人物に教えた。彼はおっと失礼、と言って口を手で拭って笑った。
「君、面白いね。初対面の人に名前も聞かずに、そんなことを言うなんて。」
「名前を聞いた方がいいんですか?」
「普通はね。…そのうち会うと思ってたけど。これも何かの縁かな?僕の名前は、セドウィグ・カインド。元の名前は、セドリック・リヴェンデル。…シリウス・カインドの一番弟子さ。まぁ、もう直ぐ独り立ちする予定でほとんど邸にいないけど。よろしく頼むよ、デイビッド。」
セドと呼んでおくれ。
爽やかに手を差し出して来た右手を握りながら、ルビウスが言ったことは正しいと思ったデイビッドだった。本来ならば、王族の者が弟子入りするなどという事は有り得ない。いくら、王族と血縁関係が濃いと言われるカインドであっても、許されるはずもないこと。
やっぱり、変わり者が多い血筋なのだと納得した。
「…おや、ルビンが来たようだ。ちゃんと起こせなかったのかな?」
「セド!」
クスリと笑ったセドウィグの声と不機嫌そうなルビウスの声が被った。
「どうした?」
「どうしたじゃない!セドだろう、爺様専用に買った置き時計を持って帰ったのは!」
突如として現れた闇の渦から、不機嫌そうなルビウスがセドウィグとデイビッドの間に降り立った。
「…何の事やら。」
「とぼけるなよ!さっきセドの家を見てみたら、ちゃっかり置かれていたんだから。」
証拠は挙がっているんだと怒るルビウスに、降参だと言うようににセドウィグは肩をすくめた。
「だって先生は、時計を何個置いたって起きないじゃないか。時計が可哀想だよ。」
「だからって、十何個も全部持って帰ることないだろう?無いよりマシなんだから。起こす身にもなってよ。」
目を丸くさせるデイビッドの前で、セドウィグが怒るルビウスをどうどうと宥めた。
「まあまあ、そう怒るなって。…悪かったよ。で、先生は?」
「…全然起きない。」
ぐったりと脱力仕切ったルビウスは、はぁと重いため息をついた。
「ふーむ。義兄上を起こすのは、姉上にしか出来なかったからねぇ。…アレンでも女装させて起こさせるか?」
「ぶっ。」
思いも寄らぬ提案に、思わず吹き出して笑ってしまった。そんなけたけたと笑うデイビッドを見やり、セドウィグがウケたようだとルビウスに耳打ちした。
「セド、爺様を起こして学校まで連れてきて。僕達は先に行っているから。じゃないと遅刻だよ。今日は一限目から実技の授業なんだよ、遅刻したら反省分百枚と校庭の庭むしりをさせられる…。」
朝ご飯を食べよう、と促すルビウスにセドウィグが仕方ないなあと零してその場を去った。
ルビウスに急かされて食事を終え、邸の前に止まっていた馬車に乗り込んだ。
上等な馬車に揺られて辿り着い先は、王都の中にあるとは思えないほど、雄大な敷地を持つ石造りの大きな学校だった。
どっしりと構える様は、さながら城のようだが、あまり綺麗とは言い難い灰色がその姿を半減させている。
オルドリッジ学園。
その昔、リヴェンデル国が誇る名高い魔法学校であったが、弟子入りが強制となった最近では、一般貴族達の通う有名校へと変わった。しかし、今でも少数ながら魔法学科を設けるため、魔法師や魔術師の卵達が多く通う。
「おはようございます、ガゼル先生。」
古びた石造りの階段を駆け上がる途中、すれ違った教員に会釈をしながらルビウスは挨拶した。
「おはよう、ルビウス君。時間ギリギリだなんて、真面目な君にしては珍しいじゃないか。」
どうしたんだい、と足を止めたのは、まだうら若い青年。ひょろりと背が高く顔色が悪い彼は、その顔に似合わない真新しい外套を羽織っている。まるで、服に着せられているような状態だ。
「爺様が、寝坊しまして。彼の手続きもあるので。」
困ったと苦笑し、首をすくめたルビウスも足を止めて教員を仰いだ。
教員は、ルビウスの言葉に小さく笑って、チラリと後ろに佇んでいたデイビッドを見やった。
「ルビウス君、ちょっと。」
意味ありげな、控えめな声でルビウスをそばに呼んだ。その行動に、不愉快な思いをしながらデイビッドは静かに、二人の行動を見守っていた。
「…アレが噂の分家の厄介者か?シリウス様は本当に弟子にすると?」
「はい、手続きが済み次第。…先生、彼は厄介者なんかではありません、彼にはデイビッド・オルセンというれっきとした名があります。」
「…そんなことは大して重要じゃない。ルビウス君、君には期待しているんだよ?シリウス様だってそうだろうに。いいかい、あまり関わりを持たないようにしなさい。」
ほとんどが丸聞こえである会話は、デイビッドを酷く不愉快にさせ、自然と眉間に皺がよった。
その表情を読み取った教員は、デイビッドに視線だけを寄越し、忌々しげに吐き捨てた。
「ふん、オルセンの厄介者をうち(オルドリッジ)に入れるとは。…シリウス様は一体何を考えているのか。おい、お前。せいぜいその乏しい頭で頑張ることだな。」
これにて失礼。
ルビウスにそういい残し、教員は足音高く階段を降りていった。
その後ろ姿を睨んでいたデイビッドに、隣に並んだルビウスがポツリと呟いた。
「…クズが。」
公爵の子息が言う言葉とは、到底思えない言葉に驚いて、隣に佇むルビウスを見やった。
「あんなのが、人を教育する立場だなんて。嘆かわしい限りだよね、君もそう思わない?」
にっこり笑ってそう言ったルビウスに、何故か親近感が湧いた。
「…今日は午前中の授業をサボってしまおう。どうせ君は、爺様が来るまで授業に出席出来ないだろうし。」
と言って彼は歩き出した。
「…良いのですか?」
「構いやしないさ。具合が悪くなったと言えば、大抵校医は信じるから。」
思っていたよりも。
外見に寄らず彼は、随分とねじ曲がった性格の持ち主のようだ。
目の前を行くルビウスの背中を眺めながら、デイビッドはクスリと笑って思った。
少し歩いた先にあったのは、大きな保健室で。ルビウスが具合が悪いと言えば、年を召した老婆は慌てて寝台に促した。
狸寝入りを決めた二人の元にシリウスが到着したのは、昼過ぎで。その後に、校長室で慌ただしく手続きを済ましたデイビッドに、ルビウスが教室まで案内してくれた。
「えーと、学級はCかい?僕とは違うね、残念。」
一学年に12クラスあるこの学校は、3クラスが魔法学科だという。身分や能力別となるらしく、オルセン出身のデイビッドは当然一番下の位の学級だ。
「ここだよ、実技の授業で会えたらいいね。」
じゃあと来た道を戻って行くルビウスをしばし見送って、古びた扉を開けた。