第3話 王都からの伝達
片手に人数分のカップを持って戻って来たミハエルは、席に並べ自分も席に着いた。
「ミハエル、ランディさんも呼ぶなんて、何かあったのかい?」
どこかに出掛けるのかというぐらいにめかし込み、何重にも服を着込んでいる師を見やると、呆れたように首を振ったがミハエルはそれにはあえて触れずに質問に答えた。
「町に降りたら、郵便屋に会いまして。」
側に置いていたぺちゃんこの鞄を掴み、中から一通の手紙を師に手渡した。
それを受け取った師は、差出人を見て顔をしかめてミハエルを見た。
「…国王陛下からだ。」
その言葉に無言で先を促すミハエルをしばらく師は見つめていたが、観念したように封を切った。ざっと目を通す彼を周りの者は無言で見守っていた。辺りにはぼんやりと灯るローソクの明かりがあるだけで、食堂とは思えない奇妙な雰囲気が包んでいる。
「王都に来いと。」
手紙を食い入るように読み込んでいた師は、やっと口を開くと一言短くそう言った。
「まぁ、そう言われても仕方ありませんね。」
「勘弁してくれ。」
バッサリ切り捨てたミハエルの言葉で、師は頭を抱えて机にひれ伏した。
「マーク、大丈夫よ。ミハエルが何とかしてくれるわ。」
隣人のランディ夫人は、師を慰めるように頭を撫でると意味あり気にミハエルを見た。
「僕は只の見習いですよ?」
首をすくめて夫人に答えると、行儀悪く机に肘をついて師を見やった。
「王からの命令は絶対です。師匠はどうされるのですか?」
「私は絶対に行かないぞっ!何と言われようがな。」
ガバッと顔を上げて堂々宣言した彼は、ミハエルと目が合ってうろたえた。
「師匠、手紙をちゃんと読まれました?命令に背くなら、命の保証はないと書いてないですか。ランディさんにも迷惑がかかるのですよ?」
「じゃ、じゃあ、私はどうしたら良いんだ?」
オロオロしだした師に、ミハエルは無情にも冷たく言い放った。
「王都に行って、国王陛下に会うしか在りませんね。」
「そんなこと出来るわけないだろう!」
「じゃあ、さっさと夜逃げを考えた方がいいと思いますよ。」
用は済んだとばかりに席を立って食堂を出て行こうとしたミハエルにすっ飛んで来た師は、へばりつきながら頼み込んできた。
「ミハエル!頼むっ。私の代わりに王都に行って、国王陛下に会ってきてくれ。」
ぎょっとしたのはへばりつかれているミハエルで、無理やり師を引き離すとじりじりと距離を離して首を横に振った。
「冗談は休み休み言って下さい。」
「君は私の見習い弟子だろう?」
「えぇ、期間限定の。さらに言えば、師匠の代役が務まらない見習いの身分です。」
「そんなことを言わずにっ!ミハエルぅ~。」
「師匠!いい加減にしてくださいっ。」
情けない声を出してすがりついてきた師を交わして、あたふたと逃げたしたミハエルは声を張り上げて拒否した。その師と弟子のじゃれあいを微笑みながら見守っていた夫人は、はっと何かに気づいたように、未だ睨み合っていた彼らに叫んだ。
「マーク!」
その瞬間、屋敷全体が地震のようにドスンと大きく揺れた。
「きゃあっ!」
シンシアは甲高い叫び声をあげ、夫人はシンシアを引き寄せて机にしがみついて衝撃をやり過ごしたが、不意をつかれたミハエルと師は壁へと打ち付けられ、間の抜けた声を揃ってあげた。
「師匠。…真面目に夜逃げを考えた方が良いのでは?」
「そのようだ。エミリカ、シンシアを連れて私の書斎に!」
唸り声を上げてようやく立ち上がった二人は、意見が一致すると女性二人をせわしなくせき立てて、二階にある師の書斎へと向かった。
ミハエルが書斎へと滑り込んだ時には、玄関から大量の兵が屋敷へとなだれ込んできた。なだれ込んできた勢いで、屋敷が潰れるのではないかと言うほど。
先に書斎に入っていたシンシアが、興味深々で外の様子を見ようと身を乗り出していたのに気づくや否や、ミハエルはさっさと扉を閉めて鍵を閉めた。
恨めしそうな彼女の顔は無視するとして、困惑する夫人の側を過ぎて、ミハエルは本棚の前に立った。
この秘密通路を使う日が来るなんてな…。
そんなことを思って、ミハエルは短い言葉をそっと呟いて、右手で本棚に触れた。
ミハエルが触れた部分が段々ぼやけて、すっかり本棚が霧と化した時には、歪な階下へと続く階段が姿を現した。
「師匠!早くしてください。」
机の上に積まれた紙切れの山をひっくり返して、何やら探し物をしている師にミハエルは苛立ったように急かす。
「待ってくれ、確かあのメモがこの辺に…。あぁ、あった!ミハエル、わかったらそんなに睨むんじゃない。」
ランディ親子を促しながら、師を睨んでいたミハエルは苛立ったように師の首を摘むと、階段へと引っ張り、早口で入り口を閉ざした。入り口を本棚で閉ざした途端、複数の荒々しい足跡が聞こえ、兵士が部屋へなだれ込んで来たのがわかった。そっと息を殺して聞き耳を立てる。
「おい、居たか?」
「こっちは居ないぞ。そっちはどうだ?」
図太い男達の声が響く中、柔らかい声が直ぐ側で聞こえた。
「リド様、この部屋にはマーク・アーネストは居ないようです。次の部屋を探しますか?」
「…いや、先程までこの部屋にいたのは間違いない。椅子がまだ暖かい。マイク、兵士に言って隅々まで探すよう言え。まだ近くに居るはずだ。」
その声に答えたのは、機械的なまだ若い男の声でミハエルは、リドと呼ばれた男に眉をひそめた。
ここもあの男なら直ぐに見つけてしまう。
1人焦るミハエルをよそに、師の心配はゴミのように置かれた紙切れ達だけのようだが。「…机の上には重要な書類が山程あるのに。王都の連中に探られるなど…。」とぶつくさ言っている師を見やって、ミハエルは天を仰いだ。
この人はどこまで世話を焼かすのだろう。
とにかく、ランディ親子を追って早くここを離れねばと身を壁から離した時、懐かしい声が耳に届いてピタリと体が止まった。
「おや、大所帯でどうしたんです?叔父上、義兄上。」
「お前こそ。どうした、こんな所で。」
リドと呼ばれた男とマイクと呼ばれた若い男。どちらが叔父でどちらが返事をしたかなど、見分けるのことはミハエルにとって簡単な事だったが、そんなことより天の助けとはこのことをいうのだと真っ暗な天井を見上げて彼は感謝したのだった。
「ここは王の管理下に入った。お前と言えど勝手に入ってくる事は許されない。直ぐにここを去れ。」
機械的な言葉で、新しく現れた若い男を牽制する。
「それは知りませんでした。しかし、伝達は1ヶ月かその辺に送られたのでは?こっちに伝達が着く頃には、既に叔父上達はいらっしゃってる。王も随分汚いことをしてるんですね。」
「口が過ぎるぞ。」
「本当のことでしょう?義兄上。僕もアーネストさんに用事があってきたんです。用が済んだのなら出て行って貰っても?」
柔らかい声の持ち主である義兄上と呼ばれているマイクは、少し慌てて弟を叱ったが、あっさりかわされてうろたえた。
「それは大臣としてか?」
「叔父上には関係ないでしょう。」
「では、こちらも勝手にさせて貰う。」
そんなピリピリとした会話を聞きながら、すっかり出て行く頃合いを見逃したなと思っていたミハエルは、入り口を塞いでいた壁を爆風でぶっ飛ばされ、自分の置かれていた状況を思い出したのだった。