6 誘惑の疑い
本日 1 回目の投稿です。
レイシアが食堂での仕事を一部担当するようになってから、エドモンとの接触はエスカレートしていった。
食後に食器を下げる時はエドモンは退室しているのだが、作業をしてしばらくするとエドモンが顔を出すのだ。
労いの言葉は素直に嬉しい。ちゃんと屋敷で役に立てていることを実感できるからだ。
しかし、その際にエドモンは必ずレイシアに触れてくる。
肩だったり、腰だったり、その時その時で部位は違う。
「レイシアの髪は気持ちがいいな」
そう言って、髪を撫でてくることもあった。
失礼にならない程度に距離を取ろうとしても、エドモンはぐいと近づいてくる。
この屋敷にしか居場所のないレイシアにとって、エドモンに強く抵抗することはできなかった。
ロレーヌやジュリーにも相談できずにいた。
なんて言えばいいのか分からない。
屋敷の主人であるエドモンの触り方が気持ち悪い、などと言えるはずもない。
もし言ってしまったら、大事になる。それはロレーヌやジュリーの仕事にも影響するかもしれない。
(……わたしが我慢すれば大丈夫。それに……ご主人様はただわたしを労ってくれてるだけかもしれない。きっと、わたしが考えすぎなんだ)
レイシアはそう考えて、自分を納得させた。
掃除にしろ、洗濯にしろ、仕事をしている間は気が紛れた。
ジュリーとの会話は楽しいし、ご飯も美味しい。
できればエドモンに遭遇せずに一日を終えたい。
しかし、そう思った時に限って、エドモンが現れる。
「レイシア、調子はどうだ?」
背後からかかった声に身体がぴくッと反応してしまった。
レイシアは笑顔を作って、振り向いた。
「はい。ご主人様には、その……よくしていただいてますから」
なんとかうまく答えられただろうか。
「それならいいのだが。本当に疲れてはいないか?」
エドモンはそう言って、レイシアの両肩に手を置いた。
思わず身体が強張る。
「少し、肩が凝っているようだな。どれ、私が揉んでやろう」
エドモンはレイシアの返事を待たずに肩をもみ始めた。妙に手つきが嫌らしい気がする。
(いや、気のせいだ。ご主人様はわたしの体調を心配してるだけ……)
エドモンの手が身体の前面にずれてくる。
「……! あ、あの、仕事がありますので、失礼します!」
レイシアはなんとかその場を後にして、次の仕事に向かった。
背中にねちっこい視線が刺さっている感じがした。
仕事の合間にジュリーに会った時に問われた。
「レイシアちゃん、大丈夫? 顔色が悪いよ?」
彼女はレイシアの顔を心配そうに覗き込んだ。
「は、はい。大丈夫です。わたし、まだ頑張れます」
ジュリーは何やら考えるような顔をしたが、すぐに笑顔を作った。
「……そっか。無理しちゃ駄目だよ。困ったことがあったらちゃんと相談しなよ?」
「はい、その時はお願いします」
レイシアもジュリーも仕事に戻る。
たった三人しか使用人がいない屋敷なので、あまりのんびりもしていられない。
次の仕事を無心でしているところに、再びあの声がかかった。
「レイシア、茶を淹れてほしいのだが」
エドモンだ。
「あの、わたし、お茶は淹れたことがなくて。まだロレーヌさんに教わってもいないので……」
事実だ。それを口実に断ろうとしたのだが、エドモンはどんと胸を叩いた。
「私が教えてやろう。書斎に来なさい」
エドモンはそう告げて踵を返した。
「いえ、あの……でも」
「うん? どうした? 早く来なさい」
エドモンがレイシアをちらりと振り返り、有無を言わせない雰囲気でそう告げた。
「……はい」
レイシアが逆らうことなどできるはずもない。大人しくついていくことにした。
滞った仕事は後でするしかない。
エドモンの書斎は綺麗に片付けられていた。きっとロレーヌの仕事だろう。
エドモンの机には紙が置かれていたが、文字が読めないレイシアには何が書かれているのか分からなかった。書類仕事をしていたのか、インクの匂いがうっすらと漂っている。
書斎の片隅には小さな台所が備え付けてあり、そこには茶葉やカップなどが丁寧に並べられていた。
「いいか、レイシア? まずは湯を沸かす」
エドモンが台所に設置されている加熱用の魔導具を起動する。
初めて見る魔導具に少しだけ興味が湧いた。ジュリーとの会話でこういうものがあるとは聞いていたが、屋敷の厨房は薪を使っている。厨房で使うような大型の魔導具になると、かなり高額なのだそうだ。
「ここに立ちなさい」
エドモンに言われるがまま、台所の前に立つ。視線は台所の方を向いている。
レイシアの背後にエドモンが立ち、彼は後ろからレイシアの手を取った。
「沸騰したらポットに入れて温める。このお湯は捨てなさい」
説明しながら、レイシアに作業をさせ、エドモンはレイシアの手に自らの手を重ねる。
(ひ……だめ、これは教えてくれてるだけ……それだけよ)
首筋にエドモンの鼻息がかかり、背筋がぞわりとする。
「茶葉の量はこれくらいだ……そう、うまいじゃないか。次は熱湯を勢いよく注ぎなさい」
エドモンがレイシアの手を操作する。さわさわと執拗に撫でるのは、本当に必要なのか。
「茶葉によって時間が違うが、この茶葉なら二分ほど蒸らせばいい。ポット内に残さないよう、最後の一滴まで注ぎ切りなさい。後はできるな?」
砂時計をひっくり返し、エドモンの手がようやく離れた。
レイシアはほっと胸を撫で下ろした。しかし手が震えている。
なんとか、紅茶をカップに注ぎ、エドモンに差し出す。震えがカップに伝わり、液面に細かい波が立った。
エドモンは口に含むと、満足そうに頷いた。
「これからも頼むぞ」
これからもエドモンと二人きりになる時間を作らないといけない。
そのことにレイシアはめまいを覚えた。それでも倒れず、エドモンに返事をする。
「か、かしこまり……ました」
主の言うことを拒否などできない。
「ふむ。下がっていいぞ」
エドモンはようやくレイシアを解放した。
レイシアは一礼してから、書斎を出た。
手に嫌な汗をかいている。
やっといつもの仕事に戻れる。
そう思った時、今度は別の声がかかった。
「レイシア、だったかしら?」
「は、はい! イザベル様」
今度はエドモンの妻イザベルだ。屋敷に来た初日以来、ほとんど会話をしたこともない。
当然、名を呼ばれたことなどなく、イザベルが覚えているとは思っていなかった。
そんな相手にいきなり呼ばれるとは、緊張するなという方が無理だ。
しかも、イザベルの顔はかなり険しい。
「何でしょうか、イザベル様」
何か、怒られるようなことをしただろうか。
レイシアには思い当たる節はない。
「夫を惑わすような真似はやめなさい」
だから、イザベルの言葉が理解できなかった。
「まど……わす?」
「いつもいつも、夫にべたべたとしているではないですか」
イザベルの鋭い視線が刺さる。
だが、そんなことをした記憶はない。むしろ、エドモンの方から触れてくるのだ。逃げられるものなら逃げたいとさえ思っている。
「あ……いえ、その……」
「言いたいことがあるのなら、はっきりと言いなさい!」
怒鳴られ、萎縮してしまう。脚が震える。
「も、申し訳……ございません」
それ以外の言葉を言おうものなら、どんなことをされるか分かったものではない。
「孤児の分際で、身の程を弁えなさい!」
「申し訳ございません。申し訳ございません!」
何度も謝ることしかできない。例え、自分に非がないとしても。
その様子に溜飲を下げたのか、イザベルが告げた。
「もう行きなさい」
「はい……申し訳ございませんでした」
最後にもう一度頭を下げてから、その場を後にした。
気づけば、使われていない古井戸のそばに来ていた。
足の力が抜け、その場に崩れ落ちる。
「イザベル様に嫌われた……なんでイザベル様があんな風にお考えになったか、分からないけど……でも、きっと、わたしが至らないからだ。もっと、頑張らないと」
レイシアはただ、自分にそう言い聞かせるだけだった。
次回投稿は本日 19 時頃の予定です。




