5 子爵の手
本日 2 回目の投稿です。
商会の人との昼食会から数日が経った。
昼食会での仕事について、ロレーヌには褒めてもらった。もちろん、細かい指導は入ったが、概ね問題はなかった。
レイシアにとって初の大仕事をうまく乗り切れたことは、小さくとも確かな自信に繋がった。
それに洗濯や掃除の手際もだいぶ良くなったと思う。
これなら、この屋敷の仕事を続けることができそうだ。
もし役に立てず、ここから追い出されたら路頭に迷うだろう。孤児など、どこでも雇ってもらえるものではないからだ。
だから、頑張って他の仕事も覚えていきたい。何より人の役に立てるのは嬉しかった。
いつもの庭園の掃き掃除を終えたところで、ロレーヌに厨房に来るように言われた。
今日は新しい仕事を教えてくれるらしい。
「お、来たね、レイシアちゃん」
ロレーヌは別の仕事があるとのことで席を外したが、代わりにジュリーがレイシアに教えるようだ。
「孤児院でも料理はしてたんでしょ?」
「料理と呼べるほどのものじゃないですけど」
あの頃は野菜をざっくりと切って、煮るだけだった。味付けも塩のみのシンプルなものだ。
パンは作ったものではなく、孤児院の人が仕入れてきたものだった。
しかし、この子爵邸ではまったく違う。
スープ一つ取っても味わい深いし、パンはジュリーが焼いている。
パンが発酵して膨らむ様子は見ていて楽しい。
「確認だけど、包丁は使えるって言ってたよね?」
「は、はい。ある程度は……」
「そう緊張しなくても大丈夫だって」
ジュリーが苦笑する。
彼女はレイシアのことを気遣ってくれるし、話しやすい。冗談を交えて、緊張をほぐしてくれる。
いい先輩メイドだと、レイシアは思っている。
「とりあえず、人に向けなきゃ問題ない。次に自分が怪我をしないこと。いいね?」
「はい!」
「元気があってよろしい。じゃあ、そっちの野菜の皮剥きをお願いできる?」
ジュリーが指したのは、ニンジンとジャガイモ、タマネギだ。
言われた通り、皮を剥いていく。
この間、ジュリーは別の作業をしている。
「あ、そうそう。皮は捨てないで取っておいて」
何かに使うのだろうか。少なくとも、孤児院では捨てていた。
「皮剥きが終わったら、それぞれこのくらいの大きさに切って。皮はこっちでもらうよ」
ジュリーが野菜の大きさを指定する。
彼女は集めた皮を鍋に入れ、煮ている。ジャガイモの皮だけは避けられていたが、ジュリーが切っていた別の野菜の端切れも一緒に煮込んでいる。
「それは何をしてるんですか?」
「こうすると結構旨いスープができるんだ。ジャガイモは土臭くなるから入れないけどね」
(そうなんだ。覚えておかなきゃ)
「レイシアちゃん、野菜を押さえる手は丸めた方が安全だよ。猫の手みたいにね」
「ええと、こうですか?」
「そうそう。速く切る必要はないから、安全第一で」
野菜を切り終えると、ジュリーが本格的に料理を始めた。
レイシアは見学だ。
「いやぁ、レイシアちゃんが来てくれて助かるよ」
ジュリーが手を動かしながら話す。
「そう言ってもらえると嬉しいですけど、わたしなんてまだまだ」
「あはは、そりゃそうでしょ。いきなり何でもできたら、あたしもロレーヌさんも立つ瀬がないって」
ジュリーはお肉にスッスッと刃を入れている。筋を切ることで、食感が良くなるらしい。
「でもレイシアちゃんは仕事を覚えるのが早いからね。本当、助かる。今まで二人しかいなかったから、休むのも難しくてね」
言われてはっとした。
確かにこの広い屋敷の掃除はそれだけで時間を取られる。洗濯や料理もしないといけないし、買い出しに行く必要もある。
たった二人でこなせる量ではない。
「買い出しみたいな力仕事はだいたいジャンがするんだけどね。でも休めても半日だよ。それも残ってる仕事を夜にすることばっかりだし」
「た、大変ですね……」
「まあね。今までも何人かご主人様がメイドを雇ったことはあるんだけど、すぐにいなくなっちゃったんだ。レイシアちゃんはいなくならないでね」
ジュリーの表情がほんの少しだけ陰ったが、すぐに元の笑顔に戻った。
「わたし、頑張ります」
「あはは、頑張りすぎないようにね」
話している間に、料理が出来上がっていく。厨房全体に良い香りが充満する。
ジュリーは手際よく皿に取り分けると、配膳車に載せた。
「じゃあ、あたしは給仕をしてくるから、レイシアちゃんは先にお昼を食べといて。終わったら調理器具を洗っといてくれたら嬉しいな」
「分かりました」
ここに来た当初は先輩より先に食事を摂ることに引け目を感じていた。しかし、食べられるときに食べないと、食事抜きになることもある。
なので、次第にそうすることにも慣れた。
レイシアはさっと昼食を食べてから、洗い物をする。ちょうど終わる頃にジュリーが戻ってきた。
「ただいま~。食器洗いありがとね。ご飯も食べたね? じゃあ、ちょっと来て」
「はい」
連れていかれたのは食堂だ。エドモンもイザベルもマリアンヌももういない。
「食器の片付けを教えるね……といっても、配膳車に載せて運ぶだけだから、大したことはないけどさ。まあ、割らないように気をつけるくらいかな」
「分かりました。ジュリーさんはご飯を食べてきてください」
「あーい、じゃあ頼んだ」
ジュリーが笑顔で敬礼して、厨房に戻っていった。
一人になったレイシアは黙々と食器を集めていく。配膳車に大きな皿から順に重ねる。
皿同士を強くぶつけないように、意外と気を遣う。
(ふぅ、後は厨房に運んで洗うだけ)
配膳車を押そうとした時に、声がかかった。
「よく働いているな」
「ご、ご主人様!」
いきなり現れたエドモンに、レイシアは頭を下げる。
「そう硬くならずとも良い」
「は、はい。えと、その、何か御用でしょうか?」
硬くなるなと言われても、無理な話だ。
エドモンはレイシアを孤児院から引き取り、さらに仕事まで与えてくれた人物だ。頭は上がらないし、緊張もする。
「なに、レイシアが頑張っているから声をかけただけだ」
エドモンは言いながら、レイシアの頬に触れる。
レイシアの身体がいっそう強張る。
「どうだ? 屋敷には慣れたか?」
エドモンの指がレイシアの髪に移る。
「えと、は、はい……」
エドモンの突然の行動に、思考が追いつかない。
「イザベルたちに何かされたりはないか?」
彼はレイシアの髪を優しく撫でながら、尋ねる。
しかし、その質問の意味はよく分からない。イザベルやマリアンヌとはそれほど関わっていないのだ。
「そ、そのようなことは……」
「ならいいのだがな。レイシアは細いが、しっかり食べているか?」
「ひゃっ」
不意にエドモンがレイシアの腰に手を回し、変な声が出てしまった。
頭がうまく働かない。それでも、この状況が普通ではないことは分かる。
しかし、エドモンの接触を振り払うことなどできようか。
彼はレイシアの雇い主でもある。変に抵抗すれば、屋敷を追い出される。そうなれば野垂れ死ぬ可能性すらある。
だから、レイシアが取れる行動はじっと耐えることだけだ。
それ以前に身体が強張り、動くことさえできない。
そこに足音が聞こえてきた。
エドモンの手はすっとレイシアの肩に移り、彼はにこやかに言った。
「これからも頼むよ」
そして、彼はこの場から去った。
代わりに入ってきたのはジュリーだった。
「レイシアちゃん、遅いけど、何か困ったことでもあった?」
――あった。
そんなことが言えるはずがない。
自分が我慢すれば、何も問題はない。
いや、そもそも自分の考えすぎなのではないだろうか。エドモンに他意はないはずだ。
せっかく居場所をもらえたのに、変に騒ぐ必要なんてない。
だから、ジュリーの質問にはこう答えた。
「いえ、何もありません。どうしたら効率よくお皿を運べるか考えていただけです」
「……そっか。それならいいけど。じゃあ、お皿も洗ってしまおう」
二人で話をしながら皿洗いをしたが、会話の内容は頭に入らなかった。
ただ、エドモンに触れられた頬と髪、腰と肩に残る感触だけが消えなかった。
次回投稿は明日 12 時頃の予定です。




