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水底のレイシア  作者: 彼岸茸


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幕間 1 エドモンの独善

本日 1 回目の投稿です。

 エドモン=ロシュフォールは書斎で深い溜め息を漏らした。

 事業は失敗続きで、赤字は膨らむばかりだ。だが、貴族というものは金がかかる。


 屋敷を維持するための費用だけでなく、他の貴族との交際費や衣装代にはいくら金があっても足りない。

 見栄を張るためには、決して削ることができない支出なのだ。


 一人娘のマリアンヌも出費が嵩む原因だ。

 やれ舞踏会だ、やれ茶会だと言い、新しいドレスをねだられる。

 だが、それもロシュフォール子爵家の外聞を保つためには必要な経費だ。


 それに、娘がきれいに着飾るのを見るのは悪くない。嬉しそうな娘の笑顔は何物にも代えがたい。

 親馬鹿かもしれないが、マリアンヌは妻イザベルに似て美しく育っている。そこに金をかけないわけがない。


 妻といえば、夫婦仲はすでに冷え切っている。

 対外的には良好な関係を築いている夫婦ということになっているが。


 娘はかわいいが、男の跡継ぎが必要だ。イザベルはマリアンヌ以降、妊娠する気配がなかった。

 どうせなら息子にこの家を継がせ、マリアンヌにはよい婚約相手に嫁がせてやりたかった。


 しかし産まれないものはどうしようもない。

 そのことに対し、苛立ちもすれば不安にもなる。


(子ができないのはイザベルのせいだ)


 声に出さずとも、心の中ではそう考えている。


 実際には男性不妊というものもあるのだが、エドモンは知らない。知っていても認めないだろう。

 悪いのは自分ではなく、他の者なのだから。


 そんな考えが伝わるのか、イザベルとの仲はますます冷える一方だ。

 何をするにも文句を言ってくるのも癪に障る。


「はぁ……」


 癪に障るといえば、商会の担当者だ。

 確かに土地と屋敷を担保に金を借りているが、あの態度は気に入らない。

 こちらを見くびっているのを隠そうともしないのだ。


 抜け目なく調度品を品定めしていたことには気づいた。

 昼食会の席で、商会の担当者がエドモンに言ったのだ。


『これだけ立派な暮らしをされているのなら、返済も滞りなくしていただきたいところですな』


 言葉こそ丁寧だが、嫌味であることはすぐに分かった。

 暗に、無駄なものを購入する金があるなら商会への返済に充てろ、と言っていたのだ。


 だが、所詮は平民。貴族の何たるかを分かっていない。

 何の調度もない屋敷を他の貴族が見たらなんと思うか。


 ――ロシュフォール子爵家は財政難だ。

 ――ロシュフォール子爵家との関わりも考えねばなるまい。


 そうなれば、狭い貴族社会で下に見られることになる。

 そのようなこと、貴族の矜持にかけて黙認するわけにはいかない。


『もう少しで事業が軌道に乗る。収入の増加も見込める』


 だから返済はもうしばらく待て、とそう告げてやった。

 商会の担当者は訝しむような視線をエドモンに向けた。


 その目つきもエドモンは気に入らなかった。貴族であれば、考えていることを顔に出してはいけない。

 もっとも、商会の担当者は貴族ではないから、仕方のないことだと寛大な心で許してやる。


 商人にとっても考えを顔に出すのは拙いということを、エドモンは考えもしなかった。

 つまるところ、商人に舐められていたわけだが、そこまで考えが至らない。


『我が子爵家が安っぽくては国のためにもなるまい』


 エドモンはそう付け加えて、自身を正当化した。

 商会の担当者はエドモンの言葉に頷くこともせずに、淡々と尋ねた。


『では返済計画を教えていただきたく存じます』


 貴族の事業に口を出す気なのかと思った。だから、彼はこう言ってやった。


『貴殿が心配することではない』


 担当者が一瞬言葉に詰まった。


『……そうは仰いますが、私共の商会は債権者です。子爵様にはお貸ししたものを返していただかないと――』

『誰も返さぬとは言ってないだろう?』

『…………』

『果報はゆっくりと待つがよい』


 担当者はエドモンの台詞を信じたのか、それとも呆れたのか、それ以上は何も言わなかった。

 その後は軽く世間話をして、商会の担当者を見送った。

 表面上はあくまで、笑顔で。


 内心では別のことを考えていた。

 まとまった金ができたら返してやればよい。それなら文句もあるまい。今はまだ雌伏の時なのだ。それまでは商会の担当者など、のらりくらりと躱しておけばよい。


 そもそもとしてだ。借金もまた貴族の器を示すもの。

 そう考えることで、少しだけ溜飲が下がった。


 エドモンの思考が別の方に向く。

 最近、孤児院から買い取ったレイシアのことだ。


 よく働くし、気が利く。


 ――それに器量も悪くない。


 そのまま孤児院にいても、レイシアに行き場はなかっただろう。そんな彼女に働く場所を与えてやった。

 服や食事、それに寝る場所も与えた。

 あの質素な孤児院よりもはるかに良い環境だ。


 エドモンにさぞや感謝していることだろう。

 良い買い物をしたとエドモンは思っている。


 気になるのはイザベルには少々疎まれているらしいことだ。

 それに、マリアンヌがレイシアをどう思っているか、エドモンには分からない。


 だが、エドモンがレイシアを守ってやればいい。

 これまでに買い取った孤児たちは何人かいたが、いずれも不幸な事故で亡くなってしまった。

 今回はそうならないように、エドモンが優しく接してやればいい。


 少々女癖が悪いことは自覚している。

 イザベルが跡継ぎとなる息子を産んでいれば、それも収まっただろう。しかし、やはりエドモンは心の中で男児を欲している。


 イザベルはすでに中年に差し掛かっている。

 エドモン自身がそうなのだから、それは当然のことだ。


 もっと若い娘であれば、子を生しやすいだろう。

 それに、エドモンは事業と家、両方の重責に耐えているのだ。

 少しくらいの味見、ささやかな楽しみは許してもらえるはずだ。


 男なら当然の欲求でもある。


 商会のことなど頭の片隅に追いやったエドモンは、立ち上がって窓から庭園を見下ろした。

 今しがた考えていたレイシアが庭園でぱたぱたと忙しそうに働いているのが見えた。


 ――褒めてやらねばな。


 エドモンはにやりと笑い、レイシアの元に行くことにした。

 住人も使用人も少ない、静かな廊下を進んで庭園に向かう。


 その途中でメイド長のロレーヌとすれ違う。

 彼女は来客の相手で滞っていた仕事――子爵一家の私室の掃除やシーツ交換を行っていた。

 彼女も忙しいはずだが、まったく忙しそうに見えない。レイシアとは経験値が違うのだろう。


「ご主人様、どちらへ向かわれるのですか?」


 ロレーヌが手を止めて、エドモンに尋ねる。


「大したことではない。レイシアを労いにな」

「左様でございますか」

「時に、彼女の様子はどうだ?」


 ロレーヌが少し考えてから、答える。


「……新人ではありますが、物覚えもよく、よく働きます。私もジュリーも非常に助かっております」

「そうかそうか。ならば、なおのこと労ってやらねばな」


 エドモンは満足げに笑い、レイシアの元に向かう。

 その背中に、ロレーヌの声がかかる。


「ご主人様、ほどほどになさってくださいませ」

「分かっておる」


 振り返らないまま答えたエドモンには、ロレーヌの表情は見えなかった。

 庭園でレイシアを探すと、洗濯物を干している彼女を見つけた。


「レイシア、今日は大変だったろう」


 エドモンが声をかけると、レイシアは驚いたように頭を下げた。

 顔を上げた彼女は少し嬉しそうな表情を浮かべていた。


(私に話しかけられて嬉しいのか。であれば、これからだな)


 エドモンは心の内で下世話なことを考える。


「これからも頼むよ」


 そう言って、エドモンがレイシアの肩に手を置いた。

 レイシアは拒否するでもなく、笑顔をエドモンに向けた。


(この娘も期待している、ということだな……よし、期待には応えてやらねばな)


 エドモンは自分勝手にそう解釈した。

 この日を境に、エドモンのレイシアへの接触が増えることとなる。

次回投稿は本日 19 時頃の予定です。

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