表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水底のレイシア  作者: 彼岸茸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/31

9 一線を越えるエドモン

本日 2 回目の投稿です。

※本話にはセクハラ描写があります。苦手な方はご注意ください。

 マリアンヌにお使いを頼まれてから数日。

 エドモンの機嫌がすこぶるいい。きっとマリアンヌからワインを贈られたのが、よほど嬉しいのだろう。


 レイシアに向ける笑顔や労いの言葉も増えた。

 ただ、やたらと肩や背中に触れてくる。ねっとりとした手つきで、何度触れられてもゾワッとする。

 抵抗できるはずがない。その無抵抗がさらにエドモンを助長しているのかもしれない。


 だからといって、じっと耐えるしかないのだが。


 また、胸元や腰回りに彼の視線が向くことが増えた。

 貧相といって差し支えないレイシアの身体を見るエドモンは、嫌らしさを隠しきれていない。


(ううん……きっと気のせい。わたしが痩せてるから心配してくれてるだけ。そうじゃないと……)


 何度も同じことを考え、それより先は考えないようにしていた。

 痩せているのは事実で、ジュリーやロレーヌにも心配の言葉をもらっている。


 孤児院にいた時よりも細くなったかもしれない。

 あまり食欲がないのだ。ジュリーが作る料理は香りも味も良い。しかし、なぜか食べたいという気にならない。


 動くためには食事は必要なので、頑張って胃に押し込んでいる。それでも与えられた食事を残してしまう。

 作ってくれるジュリーに対して、申し訳ない気持ちが募る。


 夜もあまり眠れていない。

 マリアンヌから何かと頼まれ、仕事を終わらせるのが遅くなるのもある。

 それに加え、寝付きが悪くなった。


 当然、朝起きても疲れは取れていない。

 疲れた状態でも仕事はしなければならない。

 そうなるとミスが増える。


 それを口実にイザベルから叱責を受けることになる。その際にエドモンとの不貞を疑われ、孤児院育ちであることを罵られる。


 否定したい。

 だが、できない。


 イザベルを前にすると、頬をぶたれた記憶が蘇り、うまく話せなくなる。

 だから、ひたすら謝ることしかできない。


 なるべく考えなくていいように、手を動かす。

 極力ミスをしないように、気をつける。


 仕事に没頭していれば、難しいことや嫌なことを考えずに済む。


(あ、ジャンさんだ)


 庭園の裏手で薪割りをしているジャンを見つけた。

 薪は料理をするのに使ったり、冬場に暖を取ったりするのに必要だ。

 結構な力仕事のようで、ジャンが額の汗を拭う。


(ジャンさんも大変そう。きついのは、わたしだけじゃないんだ……)


 レイシアの窓越しの視線を感じたのか、ジャンがこちらを見た。

 彼はレイシアだと気づくと、笑って手を振った。


 レイシアも小さく手を振り返す。

 たったそれだけだが、心が少し軽くなった気がした。今日も一日頑張れる。


 ジャンが薪割りを再開したので、レイシアも仕事に戻る。

 今しているのは、窓ガラスの拭き掃除だ。屋敷に客が来た時の導線上にある窓を優先的に、丁寧に磨いていく。


 窓ガラスに映るレイシアの顔色は良くない。髪もパサついている。


(わたしの手際が悪いから……)


 手入れをする時間もない。

 もっとしっかりしないといけない。


 そう考えた矢先、背筋に寒気が走った。嫌な感覚だ。


「今日も頑張っているな」


 エドモンの声だ。最近、彼が近づいてくるのが、なんとなく分かるようになった。


「は、はい。雇っていただいたのですから、ご恩はお返ししないと……」


 なんとか微笑を保ち、声が掠れながらもそう答えた。


「今、忙しいかね?」

「い、いえ。ちょうど窓の掃除が終わったところです……」

「ふむ、ちょうどよい。私の書斎に来なさい」


 嫌だ。

 そう思ったが、断ることなどできない。


「……はい」


 レイシアの頷きに、エドモンは満足そうに笑う。そして、踵を返し書斎に向かう。

 レイシアは大人しくついていく。


 行き先は書斎だ。寝室ではない分、いくらかマシだ。


「入りたまえ」


 エドモンは自ら扉を開け、レイシアを中に招き入れた。

 レイシアがここに来るのは二度目だ。前回は紅茶を淹れるためだったが、執拗に手をさすられたことを思い出す。

 思わず、手の甲を押さえてしまう。


 幸い、エドモンはそのことに対し、何も思うところはないようだ。


 書斎机の上に見覚えのある瓶があった。


(この前、商店街で買ってきたワインだ)


 エドモンが棚からグラスを取り出す。


「ワインを飲もうと思ってな。君も一緒にどうだ?」


 唐突な誘いに、一瞬ぽかんとしたが、レイシアはすぐに首を横に振った。


「すみませんが、まだ仕事がありますので……」


 ちなみに、帝国法ではレイシアは飲酒できる年齢だ。しかし、飲酒したことはない。


「それは残念だ。せっかくレイシアが私のために買ってきたのだから、一緒に楽しみたかったのだが。私のために給金を使うとは、嬉しかったぞ」


 何か話がおかしい気がする。ワインを買った金はマリアンヌに渡されたものだ。


「あ、あの、それはマリアンヌ様が――」

「知っている。あの子から聞いたよ。雇い主である私に礼をするには何がいいか、娘に相談したのだろう?」

「え……?」


 もちろん、そのような事実はない。


「マリアンヌとも仲良くできているようで何よりだ」


 エドモンは話しながら、ワインの栓を抜く。ポンという小気味よい音が響き、僅かに酒精の香りが漂う。

 彼は自分でグラスにワインを注いだ。色味や香りを確かめ、一口含む。

 それを飲み込んでから、エドモンはレイシアに視線を向けた。


 妙に熱っぽい目つきに嫌な予感がする。


「安物のワインだが、レイシアからの贈り物だと思うと、格別だ」


 言いながら、レイシアに向かって歩み寄ってくる。

 思わず後ろに下がりかけ、壁に当たった。


 エドモンはぐいと近づき、レイシアの顎に手を添える。俯いている彼女の顔を上に向けさせた。


「君もそういうことを期待しているのだろう?」


 耳元でそんなことを囁かれる。


(そういうことって何……?)


 身じろぎさえできず、困惑していると、不意に唇に柔らかいものが当たった。


(え? なんで……? 何が……?)


 何が起こったのか理解できない。

 理解したくない、というのが正しいか。


 レイシアが抵抗できずにいると、エドモンの行動はエスカレートする。


(! 舌が……嫌、嫌だ……!)


 口の中に苦味と渋味が広がる。それだけではなく、生理的に嫌な臭気も。

 自然と涙がこぼれる。


「泣くほど嬉しかったのか」


 エドモンは唇を離すと、何を勘違いしたのか、そんなことを言って微笑む。


(嫌……気持ち悪い……誰か、誰か助けて!)


 レイシアはそう思うが、声が出ない。困惑と恐怖と嫌悪が入り混じり、身体は硬直している。

 再びエドモンの顔が近くなる。


 その瞬間、扉からコンコンというノックの音が聞こえた。


「ちっ、これからというところで。誰だ?」


 レイシアにとって、それが救いになるのかどうか。

 前者であればどれだけ良かったことか。しかし、残酷なことに、


「エドモン、お話があります」


 来訪者はイザベルだった。

 こんな状況を見られたら、後で何を言われるか考えるだけでも恐ろしい。

 イザベルの声だと分かった瞬間、レイシアの膝が震えた。


 それでも、今はエドモンの書斎から一刻も早く立ち去りたい。

 そういう意味では、イザベルの来訪はある意味救いだったかもしれない。今、この瞬間だけは。


「し、失礼します!」


 固まった全身をなんとか奮い立たせ、イザベルが返事を待たずに開けた扉から飛び出た。


「またあなたなの! なんて無作法な!」


 イザベルの咎める声が聞こえた。

 聞こえなかったことにして、廊下を走る。背中に熱い視線と冷たい視線の両方を感じながら。


 レイシアが逃げ込んだのは井戸のある場所だった。

 古井戸ではなく、レイシアも毎朝水を汲んでいる方の井戸だ。


 今すぐ、口をゆすぎたい。

 急いで水を汲む。


(なんで、なんで! もう、嫌だ。嫌だよ……)


 しかし、彼女には他に行く当てなどない。屋敷を逃げ出したところで、野垂れ死ぬのがオチだ。


 何度もうがいを繰り返す。

 口の中の嫌な感触はどうしても取れなかった。

次回投稿は明日 7 時頃の予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ