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第32話 殺しはしない、お前はな

□??? サイド


 電話が鳴っている。

仕事用のものだ。

迷いなく手を伸ばした。


「もしもし?」


 電話に出た声は老婆のものだ。


「次の火曜に、新しい女中を。

背が高くて尻がでかいと良い。」


 聞き覚えのある声。

何度も聞いた『符号』に息を飲んでしまった。

そのわずかな間のせいで、

電話を切る判断が少し遅れてしまった。


「俺を裏切ってまで手に入れた『偽薬』はどうだ?

効き目はあったか?

元共犯者よ。」


 受話器を置こうとした手が止まる。

あり得ない台詞に頭が白紙になった。


「サルファ剤。

独逸の医学会で発表されたばかりの肺炎に効く薬。

 例の教団が新たに手を組んだ国は、

西側のどこかだったのか。

今さら興味はないが、

偽薬による違法な資金稼ぎ。

さもありなん。」


 受話器から流れてくる情報は、

信じたくないものだった。


「そこにあるのは一切薬効のない『偽薬』だ。

中身はスルフォンアミド。

本物のフロントジルとは異なり、

体内で溶けにくく吸収されない。

 残念だったな。

弟はもう助からない。」


 私は震える手で受話器を耳に戻す。


「なん……。

なんでそれを……?」


 訊いてしまった。

もう、声は私の地声に戻っている。

老婆の声なんて、出してられない。


「ハチミツで不幸な事故があった製薬会社があってね。

今の隠れ家はそこなんだ。

 天才たる俺の手にかかれば、

するするするりと国から信頼厚い製薬会社に成り上がった。

そしてこの度、

試験の為に帝大と協力して独逸から輸入したんだよ。

本物のサルファ剤を。」


 嘘だ、と言い返せない。

この男の天才と自称するだけの頭脳と手腕は、

以前から見ている。

裏付ける証拠こそないが、

この男なら九分九厘やってのける話だ。


「今の俺の潜伏先の名前は、『竹田』。

竹田と言う製薬会社だ。

知ってるだろ?」


 全身の毛穴が開き、

嫌な汗が滝のように流れ出した。

手が震える。

足も震えて、立っていられない。

板張りの床にへたり込んで、

でも、受話器は手放さなかった。

 財閥系ではないが、

かなり大きな製薬会社の名前だ。


「ちょーど、丁度な。

試験に協力してくれる患者を探しているんだよ。

少量だけあるサルファ剤の試験のだ。」


 一も二もなく、声を張り上げる。


「お願いいたします!

なんでもいたします!

謝ります! 詫びます! 償います!

お金も倍にして返します!

 だから! だから!

弟を! その試験に弟を!」


 受話器からは嫌な笑い声しか聞こえない。

それでも壁に設置された電話機にすがるように、

受話器へ叫ぶ。


「私ならどうなってもいい!

だから!

だから、お願いいたします!

何卒! 何卒!

何卒、弟は!」


 弟は肺炎になり、

今や寝たきりの状態だった。

肺を強くする運動だの薬だのは、

片っ端から試した。

どれもこれも、効果はなかった。

 そんな中、

持ちかけられた話。

それが共犯者の怪盗を裏切り、

名探偵を殺害すること。


「何もいりません!

何もかも差し上げます!

私はどうなっても構いません!

だから、何卒! 何卒!

弟を助けてください!」


 もらった薬は、

はじめは効果が見られた。

だが、だんだん効きが悪くなり。

倍量投薬しても以前の効果がでなくなっている。


「金さえ払えば、

裏切らない仕事人だと聞いていた。

だが、どうだ?

弟の命の為に金が必要だったと?」

「そっ! そうです!

薬や医者に金を積んで、

なんとか弟を助けるために……。」

「そうか。

だが、もうこれ以上裏切られるのは御免こうむる。

お前の言葉に信用は微塵も残っちゃいないからな。」


 言葉につまった。

その通り、

先に筋の通らないことしたのはこちらだ。


「信頼関係は樹木に例えられる。

育てるのには大変手間ひまがかかり、

切り倒してしまえばあっという間に失われ。

そして、もう戻らない。」


 冷や汗で受話器が滑りそうになる。

両手で受話器を耳に押し付ける。


「お前が裏切ったんだ。

『この今の状況』も考慮した上の判断だろ?

それとも、俺があの程度で死ぬと?

 まぁ、そもそも俺を信用してなかったと言うわけか。

金を払い忘れたこともなければ、

値切ったこともないというのに。

残念だよ。」


 口が動かない。

喉からはすきま風のような音しかでない。


「おーっと。

今丁度、患者が見つかった。

女性だそうだ。」


 わざとらしい声が響く。

涙が止まらない。


「お前は間違えた選択をした。

俺を裏切って手にした弟とのわずかな時間を、

満喫してくれたまえ。」


 そして、私がどれだけ声を張り上げても、

怪盗の耳には届くことはなく。

無情にも電話は切られてしまった。

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