第8話 火種と光(ミカ視点)
数日前の騒動が嘘のように、街は平穏を取り戻していた。
朝の市場には活気が戻り、子どもたちは笑いながら駆け回っている。 けれど私は、店の帳簿と睨めっこしながらため息をついていた。
「……これ、どう見ても赤字です」
ユナさんは相変わらずのんびりと棚の薬草を整えている。
「必要な人に渡してるだけだから」
「それ、お店としては致命的なんですけど!」
ノアさんも一目帳簿を見ただけで理解したらしい。
「経営の概念がごっそり抜け落ちているな」
私は黙ってペンを取り、過去のやり取りの記録を整理しはじめた。
「これは……やるしかないか」
誰にも聞こえないような小声で、私は帳簿を閉じた。
* * *
数日後、ひとりの男が《ボタニカ》を訪ねてきた。
「こちらに、風の詩式を操る詩術師がいると聞きまして」
その声にノアさんが反応する。
「俺か?」
「ええ。珍しい薬草が必要なのですが、詩式の干渉が強い場所に自力で入るのは難しくて」
男が差し出した地図には、瘴気が残る旧詩術演算区画の一帯が赤く塗られていた。
「具体的にはこの薬草——《翠影花》。魔力の揺らぎを鎮める効果があるとされていまして。どうしても必要なんです」
ノアさんは地図を覗き込み、すぐに眉をひそめた。
「構文の歪みが激しい。単独なら侵入もできるが……俺に薬草の見分けはできないな」
ユナさんが近づいて、地図をのぞき込む。
「場所はわかる。花の状態次第では、詩式を併用しないと採取できないかも」
男は続けて、小さな袋を差し出した。
「これだけご用意できます。お三方で分けていただいても充分な額です」
音で袋の重さを察した私は、すかさず言った。
「これは……チームで行くしかないですね!」
ユナさんがうなずき、ノアさんも肩をすくめながらも頷いた。
「詳細は把握した。異論はない」
「じゃあ、決まりです!」
* * *
翌日から、私たちは準備に取りかかった。
薬草の保管用具や保存容器、瘴気対策の道具、そして万一の詩式乱れに備えた装備。
ノアさんは詩式構成のパターンを組み直して、ユナさんは採取の道具を選び、私は地図と天候記録を照らし合わせながら最短ルートを探った。
——これは、ただの薬草採取じゃない。
私は地図を畳み、ぱんと手を叩いた。
「よーし! ボタニカ経営再建プロジェクト、始動です!」
誰に向かって言ったのかは分からない。でも、言葉にしたら少し元気が出た。
明日からまた忙しくなる。