第5話 風の名をもつ者(ノア視点)
オルディアは、小さくも整った町だった。干渉されない自由と、緩やかな調和。そのせいか、外から来た僕の足音だけが少し大きく響く。
三日前、学院を出たその日に聞いた噂——
「オルディアのほうで、風の詩を使う変な女がいるらしいぜ」
その“風”が、僕の中の何かを動かした。あの暴走詩式を無音で収束させた、あの風の詩式と同じだとしたら。
その答えを確かめに、僕はここまで来た。
* * *
町の小さな市場で、店主らしき初老の男に声をかける。
「風を、詩式で使う女性を探している。心当たりは?」
男は目を丸くし、すぐに「ああ、それならボタニカの店主さんだ」と答えた。
「風を読むって評判でね。草の声が聞こえるとか、匂いで病がわかるとか。ちょっと変わってるが、悪い人じゃないよ」
“ボタニカ”。名前だけは聞いたことがある。薬草店であり、オルディアの住民に親しまれている拠点だ。
映像ログを思い出す。後ろ姿、肩幅、身のこなし、律動の間合い——一致率92%以上。
構文痕跡の解析結果も、風属性の不安定な収束を示していた。
「……確定だ。ユナという人物に間違いない」
* * *
ボタニカの前で深呼吸をしていると、店先から少女が顔を出した。
「えっ、あなた……もしかして、ノア・アーシア!? レキシオンの、あの“感情制御の天才児”って……!」
驚きと興奮が入り混じった声。僕は小さくため息をついた。
「……その呼び名はやめてくれ」
「だって噂すごいんですよ!? 七歳で全詩式構文を暗記、十歳で訓練棟の詩式暴走をひとりで収めたとか! 十二歳で疑似生命体を単騎で討伐したって話もあって……」
「それの八割は誇張か脚色だ」
「でも本物なんですね……! わたし、ミカです。ここの店番してます」
「……よろしく」
* * *
ミカに案内されて、薬草棚の奥に進む。そこに、彼女はいた。
「来たんだね」
背を向けたまま、そう言った。
「……なぜ僕が来ると?」
「風が、知らせてくれたの」
やはり、あの時の風——あれは偶然じゃなかった。
「あなたが、ユナさん?」
彼女は振り返って、静かに微笑んだ。
その瞬間、僕は理解した。確かに、ここにいる。
あの風の詩を使った人物が。
* * *
午後、店の片隅で薬草の選別を手伝いながら、問いかける。
「君は、詩式を“使って”いるのか?」
「んー、“使う”って感じじゃないかな」
「では、どういう認識で?」
「風はね、私に選ばせてくれるの。どう感じてるか、どうしたいか——私の“声”と合うときだけ、動いてくれるの」
「……詩式は感情と構文を同期させ、制御構文によって安定させる演算だ。選ばれるものではない」
「でも、選んでもらえた方が嬉しくない?」
その言葉に、どこかで忘れていた感覚がざわめいた。
僕の“正しさ”が、音もなく、揺らいでいた。




