第8話「幽閉の夜」
――鐘が鳴り響いた。
石壁を震わせる異様な重さに、王城はざわめきに包まれる。定刻を外れた鐘は、異常事態の証。
「何事だ!?」「非常か!」
兵士たちが混乱の中で槍を取り、互いの顔を見合わせていた。
騎士団長カイン・バルドは兵を率い、一直線にリュシアの私室へ。
「姫様は在室しておられるか」
「はっ!」衛兵が答える。
カインは頷き、低く命じた。
「室内を点検せよ。警戒を怠るな」
扉が開かれる。中には侍女リーネとエスティナが控えていた。
カインは廊下を振り返り、声を投げた。
「姫は在室しておられる。……侍女たちよ、謁見の間へ向かえ。王との謁見の支度を確認せよ」
二人は恭しく頭を下げ、静かに部屋を後にした。
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謁見の間。
フードを深く被った二人が、壁際の文様へと歩み寄る。
懐から取り出したのは、銀の首飾り――リュシアが首に下げていたはずのものだった。
かざすと文様が淡く光り、石壁が低く震えた。
「……これで、開くはず」
その瞬間、背後から低い声が響いた。
「どこに行かれるのかな、リュシア姫、セリア姫」
宰相ルクレールと顧問リグナートが影から姿を現す。
「王族のみが知る隠し通路……でしたかな」
「我らが知らぬとでも思ったか」
槍の穂先が突きつけられる。二人は立ち尽くし、ゆっくりとフードを外した。
現れたのは、姫ではない。ヴァルの仲間の女たちだった。
女は艶やかに笑みを浮かべる。
「――残念でしたわね。姫様方は、もっと賢いの」
挑発と共に、懐から小さな球を取り出し床へ叩きつける。
白煙が爆ぜ、視界が閉ざされた。
「煙だ! 捕らえろ!」
宰相派の怒号が響く中、影は煙の向こうに消えていた。
リグナートは目を細め、低く呟く。
「……では姫達はどこに? 偽装か……? いや……何かが足りない」
視線が壁際を探り、ふと飾り棚に止まった。
「宰相閣下……ここにあったのは、鎧でしたな?」
ルクレールの顔が険しくなる。
「……! 姫の私室を確認せよ! 正門も閉じるのだ! 顧問殿、共に参られよ!」
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リュシアの私室。
宰相と顧問は荒々しく扉を開け放った。
「リュシア姫! セリア姫! おられるか!」
カインが既に室前に控えていた。
「何事ですかな。先刻の鐘は誤作動のようでしたが」
「姫はどこだ!」宰相が怒鳴る。
「姫ならお部屋におられますが」カインは冷静に答える。
半ば強引に入室すると、窓辺に立つリュシアの後ろ姿があった。
宰相が近づき、肩に手をかける。振り返った顔は――侍女リーネ。
「まあ、宰相閣下ではありませんか。どうなさいました?」
宰相は言葉を失い、リグナートが怪訝に眉をひそめる。
「姫はどこだ!」
「私も先刻から探しているのです」リーネがとぼける。
「……私も在室されているものとばかり思っておりましたな」カインも芝居に加わる。
「これは一大事だ。探さねば! ご指示を、宰相閣下!」
宰相は怒りで顔を紅潮させた。
「……っ、セリア姫の私室も検めよ!」
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セリアの私室。
駆け込む兵の前に立っていたのは、確かにセリアの姿。
だが振り向けば、それは侍女エスティナだった。
「おや……? どうなさいました」
「姫ではない!」兵がどよめく。
宰相はついに堪え切れず、怒声を轟かせた。
「正門だ! 城門を閉じろ! 姫を逃がすな!」
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正門前。
甲冑をまとった兵士二名が列に紛れて歩いていた。
――その正体はリュシアとセリア。
緊張を隠し、ひたすら城外へと向かう。
だが、そこには既に宰相ルクレール、リグナート、オルドの姿があった。
「ここまでだ」宰相の冷笑が響く。
槍が突き出され、姫二人は包囲される。
「……くっ、あと少しなのに」リュシアが小さく吐き捨てた。
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その時、剣が火花を散らして兵の列を切り裂いた。
「お逃げください、姫様!」
割って入ったのは――カイン・バルド。
「無駄だ! オルド、やれ!」
「はっ!」
抑制刻印の光が迸り、カインを包む。
「これで動けまい!」
だが次の瞬間、カインの胸元で黒い宝石が輝き、粉々に砕け散った。
光は掻き消え、剣を握る力が戻る。
「なっ……馬鹿な! レキシオンの秘術が無効化された!?」
オルドが絶句する。
カインは短く息を吐き、剣を構え直した。
「……助かったのか。姫、今のうちに!」
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その刹那、馬の嘶きが轟いた。
闇を割ってヴァル・ニールが現れ、手綱を握る。
「姫さん、乗りな! 急げ!」
「カインを置いては行けません!」リュシアが叫ぶ。
「一緒に戦わせて!」セリアも声を張る。
ヴァルは怒鳴った。
「時間はねえ! 奴の覚悟を無駄にするな!」
涙に滲む視界の中、姉妹は馬に飛び乗る。
「カイーーン!」
振り返ったとき、騎士団長の姿は乱戦の渦に呑まれようとしていた。
宰相が憤怒の声を上げる。
「おのれ、カイン・バルド! 皆の者、奴を捕らえろ! 姫も逃がすな!」
「追わせるかよ……舐めるな!」
カインの剣が吠え、幾人もの兵を弾き飛ばす。
だがその影はやがて数十の槍と剣に覆われ、見えなくなった。
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夜風を切り裂き、ヴァルの馬に導かれた姫二人は、ついに城門を越える。
背に残してきたのは、王国の檻と、命を賭した男の覚悟だった。
涙を拭う間もなく、姉妹はただ前を見据えて走り続けた。




