第2話 風の名前(ミカ視点)
あの出会いから、三日が経ちました。
でも、わたしの頭の中はまだ、あの“風”の感覚が残ってるんです。
ユナさん。
草の匂いみたいな瞳で、嵐よりも静かで、でも全部の空気を持っていくような人。
あの日の市場で、疑似生命体をただの一歩で沈めた人。
わたしが「すごい」とか「やばい」とか言ったって、たぶん半分も伝わってないと思うんですけど……まあ、会えばわかります。
そのユナさんが店を出してるって聞いて、わたし、気づいたら足が向いてました。
というか、なんで誰も教えてくれなかったの? あの薬草屋、ちょっと路地入ったとこにあるんですけど、ちゃんと看板も出てるんですよ。
〈ボタニカ――風と記憶の処方箋〉
……って、なんか詩みたいでおしゃれですよね。
で、そこにいたんですよ。ほんとに。あの人が。
「来たんだね」
あ。声が、思ってたより柔らかい。
店の奥から顔を出したユナさんは、前に見たときよりずっと……普通でした。
薬草の粉で袖がちょっと汚れてて、髪もほどけかけで。
でもその姿が、なんかちょっと、よかったんですよ。
「あの、その……」
わたし、何言うつもりだったんでしょうね。
“弟子にしてください!”? “風を吹かせる力を教えて!”?
どれもぜんぶ、口にする前に、ユナさんは言いました。
「風、届けたいんだよね。……一緒に」
……え? なにそれ。
って思ったけど、それがすごく自然で、うなずいてる自分がいました。
それが、わたしと「ボタニカ」の始まりでした。
* * *
仕事は、想像以上に地味でした。
薬草を分けて、刻んで、乾かして、詰めて、ラベルを貼る。
あと、お客さんの話を聞いて、必要なブレンドを考えるのも、仕事のうち。
「この人は少し疲れてるね。セージを多めに。ミントは控えめ」
そんなふうに、ユナさんは鼻じゃなくて“心”で調合してるみたいで。
わたしもマネしようとして、失敗して、くしゃみ五連発しました。
「……だから言ったのに」
って、くすっと笑われたとき、たぶん、わたしちょっとだけ泣きそうでした。
笑われたからじゃなくて、あの人がちゃんと人間だったってわかったから。
でも、ひとつだけ気になってたこと。
どうして、あのときの“風”が吹いたのか。
……いや、正確には、あれが何だったのか。
「ユナさんって、やっぱり……詩式、使えるんですか?」
夕方、棚の整理をしてたときに、思いきって聞いてみたんです。
——詩式。
正式には「詩式演算術」。
古代のシステムが感情データを媒体に組み立てた技術で、いわば“感情で動く魔法”みたいなもの。
詩みたいに言葉を並べて発動するんですけど、いまだに全部の仕組みは解明されてないそうです。
レキシオンの詩術学院で学ばないと扱えないらしくて、普通の人は使えません。
……それにしても、あのとき相手にしてたの、“擬似生命体”だったんですよね。
BUDDAっていう旧文明の管理システムが崩壊して、その副産物として現れた……っていう説が有力らしいです。
演算エラーの塊とか、残留コードの暴走とか、説明は専門家によって違うけど。
とにかく、“人の感情に反応して動く”ってのが、共通して言われてる特徴です。
つまり、あのときユナさんが止めたのは、感情に反応する暴走体で、
ユナさんは、それを“感情を整えるだけで”止めたってことになるんですよね。
……わけわかんないけど、かっこいい。
ユナさんは手を止めて、棚の小瓶を整えながら言いました。
「わたし、詩式は使えないよ」
えっ。
「じゃ、じゃあアレは!? あんなに静かに最強だったのに、魔法じゃないんですか!?」
「……感情を、選んで、整えただけ」
え、整えるって、どうやって?
スプーンで混ぜるみたいに言うけど、それで疑似生命体を止められるの……??
「……詩式みたいに構築してない。言葉も使ってない。でも……響かせることは、できるから」
えっと……それ、つまりどういうこと???
正直言って、説明されてもぜんぜんわかりませんでした。
でも——それでも不思議と、納得できてしまう感じがしたんです。
たぶん、あの人はほんとに「風」を吹かせる人じゃなくて、
風が吹く理由を、自分で選んでいるだけなんだと思います。
わたしにはまだ、その意味はよくわかんないけど。
でも、その背中を、見ていたいなって思ったんです。
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< 次回予告的>
さて、そんなわけで「ボタニカ勤務」二週目のわたし。
次に来るのは“天才くん”です。はい、またすごいの来ます。