第7話「決行前夜」
王城の夜は、張りつめた糸のように静まり返っていた。
昼間には巡回を怠る兵も少なくないはずだが、この夜ばかりは足音すら乱れない。廊下の両端には衛兵が二重に立ち、槍を握る指先は白く固まっている。灯火の炎さえも息を潜めるようで、空気の張り詰め方は異様だった。
リュシアの私室の前にも兵が立ちふさがっていた。そこへ、足早にセリアが現れる。
「姉に会わせていただけますか」
兵たちは一瞬顔を見合わせた。王女同士であれば不自然ではない。だがこの夜は、どんな小さな行動も疑わねばならない。逡巡ののち、戸口を開いた。
部屋の中、リュシアは窓辺に立ち、城下に散る灯を見下ろしていた。
背に扉が閉まる音を聞いて振り返ると、そこにセリアがいた。
「……姉上」
妹の瞳は、恐怖を押し隠しきれずに揺れていた。
「どうしてそんなに平然としていられるのですか」
問い詰める声に、リュシアはかぶりを振る。
「平然なんかじゃない。胸が詰まるほど恐ろしい。けれど震えを見せたら、あなたまで怯えてしまうでしょう? だから私は、恐怖を押さえて立つの」
セリアは唇を噛みしめた。
「……私は、怖い。でも、ただ黙って見ているのはもっと嫌。檻に閉じ込められる前に、何かをしたいの」
互いの声は交わらず、同じ不安を違う言葉で吐き出していた。姉は恐怖を抑えて静を選び、妹は不安を炎に変えて動を望む。まだ二人の心は揺れていた。
その時、窓の外に影がひらりと差した。
「……いい顔になったな」
漆黒の髪に灰緑の瞳。ヴァル・ニールが月明かりに照らされて現れた。軽く片口を吊り上げ、肩に凭れかかるような余裕を見せる。
「恐怖も不安も、選び取れば武器になる。……鐘が鳴るまでは、大人しく息を潜めてな」
軽口を残すと、影のように姿を消した。
残された部屋に、ふたたび緊張が落ちる。
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一方その頃、謁見の間。
王も王妃も不在の広間は、長い影を落とす燭火だけが揺れていた。高い天蓋に響くのは、冷徹な声。
「カイン・バルド」
宰相ルクレールが玉座の前に立ち、呼びかけた。
「今夜より姫君二人に監視を置く。……お前がそれを務めよ」
騎士団長カインは一歩進み、膝をついた。だが胸に刺さる違和感が、言葉となって漏れ出す。
「……それは王命ですか?」
広間に、冷気が走った。
ルクレールの顔色が変わり、怒声が響く。
「当然である! この宰相ルクレールの命は、王命に等しい!」
カインが沈黙すると、さらに激昂した。
「愚弄するか! この私を!」
その横で、顧問リグナートの唇がわずかに震えていた。怒りに怯えてではない。――彼が声を荒げた、その事実だけで胸が熱くなる。騎士団長カインが常に姫と共に在る。その状況を想像しただけで、彼の眼差しは甘美な曇りに支配されていた。
カインは深く頭を垂れ、声を押し殺した。
――監視役。ならば逆に、その立場を利用して守ればいい。
そう決意しながら、顔に出すことはなかった。
やがて、重い扉が閉じてカインの背が消える。
広間に残されたルクレールの前に、影からオルド・ヴァルセインが進み出た。
「抑制刻印の準備は整っております。万一の時は即座に」
ルクレールは冷ややかに頷いた。「抜かりは許さん」
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再びリュシアの部屋。
廊下の外では、衛兵の足音が規則正しく響いている。その律動こそが不気味さを増幅させていた。
リュシアは妹の手を握った。
「必ず戻ってくるわ。父上と母上を助けに」
セリアも力強く握り返す。
「ええ、必ず」
その短いやり取りは、互いを認め合う決意の証となった。
――城全体が息を潜めている。
誰もが知っていた。これから鳴る鐘は、時を告げるものではない。火急の事態を知らせる重い鐘。
やがて、石壁を震わせる音が夜を切り裂いた。
低く、重い鐘の響き。
それは檻を打ち破る最初の一撃だった。




