第1話 記憶に触れる風(ミカ視点)
こんにちは、わたしの名前はミカ。オルディアでちょっとだけ有名な商家の娘で、風を売る家に生まれました。……風っていうのは、香りのこと。瓶詰めの空気とか、旅人が持ってきた異国のハーブとか、そういうのを「風」と名づけて売るんです。商売って、言葉ひとつで価値が変わるから、面白いですよね。
でも。
あの人に出会ってから、わたしの中の“風”の意味は、少しだけ変わってしまったんです。
——この物語は、そんなわたしと、風のような人のお話です。
* * *
風を売るのって、意外といい商売なんです。いやほんとに。香り袋とか、異国のハーブとか、瓶詰めの空気とか。うちの店では「砂漠の夜風」って名前の消臭袋が一番人気でした。——風って言っても、香りのことなんですけどね。人って、見えないものにお金を払うんですよ。不思議ですよね。
……でも。あの日、私は知ったんです。ほんとうの“風”って、立ち止まったまま吹かせる人がいるんだって。
その人の名前は、ユナ。草の匂いみたいな瞳で、嵐よりも静かで、でも全部の空気を持っていくような人。わたしが「すごい」とか「やばい」とか言ったって、たぶん半分も伝わってないと思うんですけど……まあ、会えばわかります。
出会いは市場の広場でした。ちょっと家から飛び出して、まあ簡単に言うと父とケンカして、ふてくされながらパンとジャムをかじってたんですよ。そしたら、急に地面が揺れて——え? 地震? って思ったら、
「きゃあああっ!」「逃げろ、疑似生命体だ!」
……はい。パニックってやつです。
——疑似生命体。昔のシステムの残骸から生まれた、人の形をした“なにか”。人間みたいに動くけど、感情は持ってない。でも、感情に反応する。怒りとか恐怖とか、そういうのに引き寄せられて、暴れるって言われてます。
とにかく、出会ったら逃げろって。学校でも、それだけは教わりました。
わたしはというと……なぜか棒立ち。足がすくむってこういうことか〜って、冷静に感心してたんですよ。ほんと、どうしようもないですね。
疑似生命体の影が、すぐそこまで迫って——
「——ここで、止まって」
声と同時に、白い外套が視界を遮った。わたしの前に、すっと一人の少女が立っていたんです。
真っ白な外套、草色の瞳。小さな籠を抱えた少女。その子が足を止めたとき、まるで風が吹いたみたいだったんです。※本当に吹いたわけじゃないですよ。空気が変わった、っていう意味で。
疑似生命体は、彼女を目にしただけで、足を止めた。動きが、止まった。そして次の瞬間、地面に崩れるように倒れて、まるで壊れた人形みたいに……。
誰も触れてないんですよ? 誰も戦ってないのに。彼女はただ、わたしの前に立って、一歩前に出ただけだったのに。
この人、やばい(語彙力)
あとで聞いたんです。あれが“詩式”っていう、なんか昔の技術を使った術だって。でも……正直言って、何を使ったとか、そういうことより。
ユナさんの“気配”が、もう全部を終わらせてた、って感じだったんですよね。
わたしは、その人の後ろ姿に、見たこともない風を感じました。熱くも冷たくもない、でもちゃんと胸に残る風。
あの日から、私の人生は、ちょっとだけおかしくなりました。そして今日も、わたしはその人の店で、薬草を売っています。
でもね、たまに思うんです。あの人は、本当に風を売ってるわけじゃないんだなって。
——たぶん、風に“触れさせて”くれる人なんです。誰よりも、やさしくて、こわいほどに。