御廚子壺棟
「いやー、本当に困ったものですよね。こんな殺伐とした世界にいきなり連れてこられるなんて。」
目の前の私の分身は、包丁を慣れた手つきで動かしながら、まな板の上の食材を切り刻んでいった。
「ああ、安心してください。私は包丁を武器として持っていますが、見ての通り、料理人であるが故なのです。この包丁は食材を切り刻むために、あるのであって、お客様を斬りつけるためにあるのではありません。」
「お客様?」
「ええ、お客様ですよ。お腹を空かせている人たちは、どんな人でもお客様でございます。それが料理人としての私の流儀でございます。」
彼女は、媚びへつらうようなへりくだった口調で、そう言った。やはり、料理人であるから、胡麻を擦るのが上手なのだろう。彼女は、切り刻んだ食材を鍋に入れた後、調味料を目分量で入れた。作っている料理は分からないが、部屋中にとてもいい香りが一気に広がってきた。
「そんなことより、早く食わせろ。もうそこの肉を生で食べさせてくれよ。」
私の体は、まな板の上の大きな生肉の塊を指さした。
「お腹壊しますよ、お客さん。」
「私のお腹じゃないから大丈夫だ。早く食わせろ。」
身勝手だ。私の体だからどうなってもいいのか?
「駄目です。料理人として、食材を食べさせる真似は絶対にさせません。もう少しでできますから、少し待ってください。」
彼女は語気を強めて、私をいさめた。私の体は舌打ちをして、気だるそうに、料理の出来上がりを待つ様子を見せた。
「じゃあ、お前の上手い料理を待つ間に、情報交換をしようじゃないか。
まず、ここは安全なのか?」
彼女は鍋をかき混ぜながら、背中越しに、質問に答えた。
「安全じゃないですかね。ここは高層マンションの12階です。それに、10階にある階段の防火扉を閉めてきました。防火扉はなかなか分厚いので、内側からの侵入に関しては大丈夫だと思います。まあ、強いて言うなら、外側から誰かが登ってきたら、駄目かもしれないですけどね。
まあ、マンションのベランダをぴょんぴょん登ってくるような人間がいるなら、やばいかもしれないですね!」
そう言って、彼女は笑い出した。しかし、私は笑えなかった。マンションをぴょんぴょんと登る人間を知っているからだ。
「じゃあ、お前は私以外の分身と出会ったことはあるよな。だって、外見が全く同じの私を見ても驚かなかったんだから。」
「まあ、そうですね。」
「どんな奴で、どんな武器を持っていた?それと、お前はどうやって、そいつと別れた?」
「はあ、確か、初めて出会ったのは、爆弾を武器にするお客さんでした。そのお客さんと私は、しばらく話し合って、色々と教えてもらった後、料理をご馳走して、別れました。どうやら、料理をごちそうしたことで、殺されないでもらえたようです。」
「ほう、爆弾か。なるほど……。」
そう言っていると、彼女は鍋掴みを手にはめて、鍋をこちらに持ってきた。
「出来ました。カレーです。」
「どんなおしゃれな料理を作るのかと思ったら、カレーか。」
「まあ、カレー粉がちょうど余っていたので。」
そう言って、彼女はいつの間に炊いていた炊飯器を取り出して、ご飯をさらによそい、カレーをその上にドロドロとかけた。かなりスパイシーな匂いが漂っていて、本格的な感じだ。彼女はスプーンを皿に乗せて、私の近くに置いてきた。
「さあ、お待たせしました。召し上がれ。」
「……。」
私の体はスプーンを取ろうとしなかった。
「……お前は食わないのか?」
「ええ、私は作る側であって、食べる側ではないので。」
「そうか……。」
それでも、私の体はスプーンを取ろうとしない。生肉を食べようとするほどの空腹の人間が食べることを躊躇っているようだ。
「じゃあ、もう一つ質問。」
「……はあ。」
「味見はしないのか?」
「……。」
彼女は何も喋らなかった。
「私のイメージでは、料理人なら、味見はするものだと思うんだが?」
「……。」
「まさか、自分の作った料理に口がつけられないわけじゃないだろう。
毒が入っているんじゃあるまいし。」
それを言われた彼女の顔は驚いていて、冷や汗が額を伝っていた。