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シヴァ  作者: 落下傘
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芝の話

 子供の頃、私はシヴァだった。ダンスが好きで、疲れきって寝るまでずっと踊っていた。とても楽しくて、幸せで、満たされていた。元気が有り余っていたうえに家が狭いときたもんだから、よく壁を凹ませては母を怒らせていた。手のほうが負けて骨を折ったこともあったなあ。子供にしては不自然なくらい物をたくさん壊したものだ。踊り舞って壊す。私は正真正銘のシヴァだったのだ。

 「だった」。そう、今はもうシヴァではない。コンクリートジャングルに生える雑草に成り果ててしまった。シヴァから芝とは面白い洒落だ。しかも、芝はもうじき枯れ始める季節だ。まあ、私がシヴァだったのもほんの一時で、ほとんどは芝として生きていたのだ。枯れたところで大して何も変わらない。

 私が大学生のとき、私は「周りとは違った道を歩もう。決して雑草になるものか」と人一倍勉強していた。人間関係を足蹴にし、ほとんど誰とも関わらずに1人で教室の1番前の席に座っていた。そうして学んだ古典文学も、フランス語も、哲学も、結局何の役にも立っていないな。役に立ったのは大卒の肩書きだけだ。

 手に職をつけてからは、より悲惨だった。毎日朝早くに起き、同じ道を通って職場に行き、マニュアルに沿って夜遅くまで作業をし、また同じ道を通って家に帰り、寝る。なんの面白みもない生活を送っていた。

 今日もまた同じ道を通って帰ろうとしていた。しかし今日の道は、いつもと同じ様子ではなかった。私はいつも公園の横を通るはずなのだが、今日の道には公園はなく、代わりにダンスホールがあった。いや、公園が無くなったということや、会場が特設されているということではない。私には、公園が華やかなダンスホールに見えたというだけだ。

 ダンスホールには10代の若者から60前後の老人まで10人程が集まり、音楽に乗せて思うままに踊っている。男も、女も、心底楽しそうに踊っている。パーカーを着ていたり、スーツを着ていたり、細かったり太かったりする。ああ、これは私の知っている曲だ。あまり音楽を楽しむ余裕がなかったから、久しく聞いていなかったなあ。陽気で、愉快で、心浮いてきた。私もあの輪に加われないだろうか。

 ⋯いや、そんな訳にはいかない。明日の仕事に備えて早く寝なければならない。もちろん、休むなんてことはもってのほかだ。責任があるのだから。

 責任。私は、本当に責任を守らなければならないのだろうか?もう完全に枯れきってもいいのではないか?責任を、義務を放棄して、全て忘れて踊ってもいいのではないか?実はもう、とうの昔から疲れきっていたんだ。

 

 こうやって逡巡していると、若い女がダンスホールから出て、私に近寄ってきた。フォーマルな格好には泥がつき、肩まで伸びた髪は少し乱れている。彼女は私の目の前まで来ると、この上なく楽しそうに、優しく笑い、何か言葉を発する訳でも無く、ただ手を述べた。細く、白く、不健康な手だった。しかし、私の古ぼけた手とは違って生命を感じる。ああ、そうか。彼女はシヴァなのか。私も、私だってシヴァになりたい。あの頃のように、心のままに踊り明かせたらどれだけ幸せなことか。だがそれは許されない。私は生きねばならないし、そのためには働かねばならないし、そのためにはシヴァにはなれない。

 そもそもなぜ、私は生きねばならない?何のために生きるのだ?

 ⋯わかった。今気付いた。私は、踊る喜びを忘れられないから生きているのだ。いつか、もう一度あの頃のように踊ることを夢見て生きているのだ。であれば全てを忘れ去って踊ってもいいのではないか。その手を取ってもいいのではないか。

 ああ、踏ん切りがついた。私は、彼女の手を掴むことにした。

 ⋯おかしい。掴めない。手が動かないのだ。どうして。踏ん切りはついたろう。あとは手を動かすだけ、ただそれだけなんだ。彼女は今も優しく笑っている。その手を取りたいんだろう?なぜ動かない?一体なぜ……?

 手を見やると、ひどく汗をかき、震えている。

 私は、怖いんだな。明日からの道のりが暗くなることを恐れているのだ。酷く恐ろしいんだ。

 シヴァにはなれないのだな。もうここには居られない。身を翻していつもと同じ道に戻ろう。明日からもまた同じ日々が続いていく。幸せそうに笑う彼女らのダンスホールは、夜が明けても暗いままだろう。しかし私の道のりが明るいとは、決して言えない。

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