ネタバレ注意 私たちの世界とは違う歴史を辿る オスマントルコ支配地域を中心に
史実では英仏などの分割支配政策のためアラブ世界は内部分裂し、
イスラム教徒同士も宗派対立や異端派に対する弾圧など流血が絶えることがありませんでした。
しかしこの世界ではオスマントルコの友好国が被支配民族の地位向上・自治権獲得を平和的に支援し続けたため、アルメニア人の大量虐殺などの惨劇が起こることはなく、アルメニア・グルジアは自治区を経て完全独立し、クルジスタンも国境で引き裂かれることなく同じ道をたどりました。
この世界ではロシア帝国は周辺国(スエーデン・ポーランド・オスマントルコ・清朝など)に対して敗北を重ねたため南下政策も不可能となりました。
史実で起きた北コーカサス地方などのロシアの周辺地域のロシア化――ロシア人の大量移住と広大な土地の収奪を可能にするため、ロシアによるチェルケス人など少数民族やイスラム教徒など異教徒に対する民族浄化・大量虐殺・強制移住・追放など――も起きませんでした。
しかしコーカサス周辺の多数の少数民族と宗教は世界で最も複雑に入り混じっており、バルカン半島以上に弱小で多数存在する少数民族が独自性を保ちつつ生き延びることはミニEUのような国家共同体の創設なしには困難でしょう。
アラブ世界も東はオマーンから、西はモロッコまで統一されたアラブ連邦として、オスマントルコから独立を達成しました。統一アラブ国家では石油収入の多くが権力者や王族や首長たちによって搾取されるようなことはなく、史実のイエメンとサウジのように国境線をまたいだだけで経済格差に苦しむようなことはなくなりました。
イスラム教イバード派のオマーンや汎イスラム主義者がアラブの独立に大きな役割を担いました。そのためイバード派や汎イスラム主義者、ドゥルーズ派などの少数派や、バハイ教徒やバーブ教徒などの異端派に対する、イスラム教スンニ派やシーア派の偏見や差別・弾圧は減少していきます。
パレスチナを含むエレツ・イスラエルの地には、平和裏にイスラエルが建国されました。
重すぎた軍事的負担と周辺国との緊張状態から解放され、北欧諸国並みの民主主義と経済的繁栄を極めることが可能となりました。
またバルカン半島の諸民族も、ユーゴスラヴィア紛争のほどの惨劇を経ることなく民族独立を達成しましたが、コーカサス周辺地域同様、大国のはざまに弱小民族と複数の宗教が入り混じる紛争の火種が絶えない地域です。こちらもミニEU的国家共同体の創設なしには平和共存は困難でしょう。
トルコは経済的繁栄により、流血の革命によらず民主化を達成しましたが、一方で国土は大きく縮小しました。
しかしアゼルバイジャンやトルクメニスタン、カザフスタン・ウズベキスタンなどテュルク諸語の民族の多く住む地域と緩やかな連合国家を形成することで再び世界に影響力を増していきます。