特別行政区
一部残酷な表現があります。
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俺が持っている未来の知識も経験も、ごく一般的な常識程度のものに過ぎない。
ネモ船長たちのように、職業的専門知識も、学術的専門知識もありはしない。
オタクな知識さえもありはしないのだ。
20世紀末の世界では当たり前に存在していたものを、
18世紀初頭この世界で現実化できるような知識も経験も無く、
極めて漠然とした曖昧なイメージがあるに過ぎない。
――俺の存在意義って何だろう?
ネモ船長たちが知っているのは19世紀後期の世界までだが、
ただ俺一人だけが21世紀を目前としていた世界まで知っている、
(といってもその極一部に過ぎないが)という違いくらいのものだ。
それでも18世紀初頭の世界にこうして生きていれば、
自分が理解できている範囲内であれ、20世紀末の世界と、
否応もなく比較してしまうことになるわけで、
毎日の生活で違和感を感じたり、不便・不満に思ったりすることが日常なのだし、
中にはそのまま放置しておいて良いのだろうかと思い悩むものも見聞きすることになるのだ。
(極端な例を挙げればヒンドゥー教における〃サティ〃の風習等々だ。)
そういったものの多くは、この世界に生きている人には当たり前で見慣れた光景だったり、どうしようもないことだからと諦めていたりするのだろう。
だからといって表層的な知識しかなく、全く経験も不足している俺では、
良かれと思ってやった改革・改善でも、
予算や時間を費やし住民に迷惑をかけただけの結果になりかねない。
それ故特別行政区を設けて、住民の生活水準の向上と自由・生命・財産の確保のため、
有望そうなものから、必須であると思われるものから試行錯誤を繰り返しているのだが・・。
俺の生きているうちにたとえ雛型でも作れれば上等としてくれないだろうか。
史実でも何世代にもわたって改善し続けて、
やっと今日の形になったものが多いはず・・だよな。
「成功の99パーセントは、いままでの失敗の上に築かれる」
「私は失敗したことがない。ただ1万通りの、うまくいかない方法を見つけただけだ。」
「1%のひらめきがなければ、99%の努力も無駄になる。」(とも言っているが)
「まず隗より始めよ」 と先人の残した言葉もあるじゃないか。
特別行政区は全島の総人口が5万人ほどの40あまりの小さな島々の集まりだ。
だから失敗を繰り返してもソ連や中共がやらかしたように、
何百万人もの餓死者を出すようなことにはならずに済んでいるだけなのだが・・。
1723年6月 パーンバン島 ラーメーシュワラム ダヴィード・ベン・サスーン
「缶詰・瓶詰の改良、灌漑農法による塩害を避けるための点滴灌漑システム、特殊任務部隊向けのスコープ付き狙撃銃・・ほかにもまだまだあるんだがなぁ。 」
ジャフナ諸島を含むインド本土とランカー島の間にある島々は特別行政区となっている。
ここでの俺の役割はネモ船長の発明開発部門チームや、
特別行政区執政官に提言をすることだ。
提言だけで具体化はもっぱらあちら任せになりつつあるのだが。
実現の可能性の高いもの、有益なもの、必須と思われるものから優先順位をつけているのだが、
あまりにも多岐にわたっているのだ。
憲法草案の作成にまで関わることになったのだが、
基本的人権の概念など18世紀初頭のこの世界では法として成文化もされていない。
幸いノーチラス号の小さな図書・資料室はもとより、リンカーン島の施設には大量に
転移前の世界の19世紀後期までの様々な書籍資料が保管されていた。
その中にはアメリカ合衆国・フランス共和国・大英帝国などの法律文書も含まれていた。
(当然のことだが技術・科学関係の書籍・資料などは特に厳重に保管されている。)
基本的人権を侵害することなく治安維持・安全保障体制を強化する。
住民の生活水準の向上と環境保護・生態系保存を両立させる。
そのためにも法律の整備は急務なのだ。
本来は、特別行政区域にあった村落の共同体的要素を基礎に、
直接民主制による下からの自主的改革を進めたかったのだが、
上からの開発型独裁になりつつあるのが現状だ。
住民に対する教育制度の充実と普及も無からのスタートなのだ。
当面は暫定措置としてやむを得ないだろう。
特別行政区=実験区と言っていいだろう。
様々な実験的試みが住民の負担になっているので、大幅な減税措置がなされている。
生活協同組合・漁業・農業協同組合・圃場整備、零細分散錯圃削減、集落営農を推進する村落共同体・民兵組織・民間防衛組織・軍人によって運営される集団農場などへの加入を条件に、
それぞれの対象者に対する各種減税措置がある。
その他にも特別行政区においては常態的に様々な実験的試みがなされる――
住民は常にそれに振り回されることになるので、
住民特に生活基盤の脆い下層民に対して手厚い公的サービスを充実させる計画だ。
公的医療制度・公的教育制度・公的融資制度・公的統制による生活必需品物価の安定・貧困層への配給制度・各種共済組合制度の充実と普及 等々上げていけばきりがないのだが。
中でも最大の事業は区域ごとに段階的に全ての土地を買い上げ国有化する計画だ。
それによりどこでも再開発事業を行うことが可能となる。
汽水域でのマングローブ林の保護と植樹、区画整理、公園緑地の整備、道路の拡幅、港湾施設、大規模公共住宅、軍事的な要地には軍事施設や屯田兵村の建設が段階的に進行中だ。
土地の国有化後は、住民は国に賃料を払うことで土地を利用できるが所有はできない。
以上の政策と累進課税制度の導入により特に最下層民の生活水準は飛躍的に向上しつつある。
数年前まで特別行政区の住民たちはもっぱら漁業で生計を立てていた。
他には巡礼者相手の商売くらいのものだ。
農業はオマケ程度にしか行われていなかった。
砂地ばかりで水捌けのよい農業には向いていない土壌なのだ。
地形は平坦で起伏もなく、森も川もありはしないので水資源にも乏しい。
特別行政区住民の収入に占める農業の依存度は低い。
その分だけ国有化に対する住民の反発は収まりやすかった。
国有化後に農業振興のため整備された広大な農業試験場では、
客土が実施されサトウキビや果菜類や根菜類が主に栽培されている。
穀物栽培には向いていないので乾燥に強いソルガムくらいしか収穫はできない。
そのため飢饉対策にサツマイモの品種改良や保存食の開発が進められている。
さてファトフ・ムハンマド傭兵団の歓迎式典に出席しなければ、
特別行政区での生活に彼らが満足して、先住民たちとも仲良くやっていけるように
やるべきことはやらねばならぬ。
我々の組織の法にも、我が軍の軍紀にも、この島独自の法とルールにも早く馴染んでもらう必要があるのだ。
1724年1月 パンバーン島 ラーメーシュワラム ダヴィード・ベン・サスーン
「世界中の宗教が繁殖しやすい生き物などより絶滅しやすい希少な生き物を、
神聖な生き物として崇めるようにしておいてくれれば、
漁民から反発を食らい恨まれてまで規制などせずに済むものを・・。」
と俺は愚痴をこぼしていた。
俺が提言し推し進めている計画のひとつに、
「マナール湾生物圏保護区/マナール湾海洋国立公園」の制定がある。
世界で最初の自然保護区と国定公園かもなと思っていたのだが・・。
注) 世界で最初の自然保護区ができたのは、なんとお隣のランカー島で紀元前3世紀のことらしい。
地球を一つの巨大生命体に例えるなら、
人類はそれに巣食う質の悪い癌細胞も同然だとはかねてより思ってはいたのだが・・
俺はいままで環境問題や生態系保護にはそれほど関心がある方ではなかった。
自分が人間中心の極めて限られた範囲のことだけしか気に掛けていなかったことに気づいたのは、
マナール湾で海洋資源調査を行ったときのことだ。
ネモ船長の高性能潜水服を装備して潜水作業中、
ついつい仕事を忘れ美しいサンゴや魚たちに見とれていた時、
サンゴ採取の痕跡と、ジュゴン漁の現場に遭遇したのだ。
お陰でジュゴンの家族とおもわれる群れが息継ぎのために水面に鼻面を出した瞬間、
銛を撃ち込まれ真っ赤な血で海面を染め上げる光景を見る羽目になった。
そんなこともあって、我々の法が及ぶ海域に限定されてしまうが、
ジュゴンは例外なく捕獲禁止となった。ジュゴンは繁殖能力が極端に低いからだ。
我々の法の及ばない特別行政区に隣接する区域外の漁民のなかで、捕獲禁止措置に賛同してくれた者には区域外でののマングローブの植樹活動、農地防風林帯・海岸防風林帯の植樹活動と保護活動や、
「マナール湾生物圏保護区/マナール湾海洋国立公園」区域外での調査・監視パトロール活動に雇用される他、希望する者には特別行政区内の圃場整備事業や再開発事業、公共住宅建設など公共事業の出稼ぎ労働許可を与えることになった。
特別行政区ではサンゴ採取・真珠採取は国有企業のみに許可され、生態系保護・資源保護のため厳しく管理される。
公平を期するため漁民は国から持ち回りで仕事を請け負う制度が実施されている。
乱獲されていた浅い海での真珠採取は全面禁止となったが、
ノーチラス号の高性能の大気圧潜水服を量産化し、
(借金漬けになるなどして高収入ではあるが過酷な労働で命を削っていた)潜水夫の負担を軽減しつつ、
手付かずだった深い海での真珠採取が可能になった。
全体の採取量は減ったものの、サンゴと真珠のより高品質な装飾品などを加工・販売することで新たな雇用を生み収益性を上げている。
販売収益の使い道は一定の割合は資源保護・生態系保護に充て、
それ以外はジュゴン漁・サンゴ採取・真珠採取をしていた住民の、
収入が減少したための救済措置としての雇用を生むための公共事業に充てられる。
事業はリサイクル事業・再資源化事業・下水道整備・下水処理事業・廃棄物処理事業など多岐にわたっている。
特別行政区は僅か幅2キロメートルの水路で本土側と隔てられているだけだ。
マンナール島とジャフナ諸島も僅かな距離でランカー島と隣接している。
そのうえ本土とランカー島を結ぶラーマの橋に点在するヒンドゥー教の聖地は遠方からも多くの巡礼者賑わっているのだ。
特別行政区は巨大なショーウィンドウでもあるのだ。
特別行政区が繁栄し最下層の住民でさえ域外住民より豊かな生活を営めるようになれば、
それがどういう影響を与えることになるか楽しみだな。
ベーリング海の寒冷地に適応した大型のジュゴンの一種ステラーカイギュウは、
1741年のヨーロッパ人による最初の発見報告の後、
大挙してやってきた毛皮商人、アザラシ猟師、付近を通過する船の船員などロシア人たちに乱獲され1768には絶滅させられたようです。
1741年の発見報告のときにはすでに気候変動による生息域の大幅な縮小、先住民の狩猟対象でもあったことなどで絶滅危惧種だったようですので止めを刺されたかたちです。
インド洋の島に生息していたモーリシャスドードーは、
1598に存在が報告されてからわずか83年後の1681年には、
目撃例が途絶え、絶滅しています。
こちらはヨーロッパ人に発見されたことが絶滅の切っ掛けとなっています。
日本のジュゴンの最後の目撃情報は2018年9月のようですね。
朱鷺と同じで、保護活動に入ったときには、
絶滅を回避するには生き残った個体数が、もはや少なすぎたのでしょう。
ジュゴンの繁殖力からすれば目撃が困難になるほど減ってしまえば
近いうちに絶滅するでしょう。もうすでに個体数が一桁になっているかもしれません。
戦後の食糧難の時期はダイナマイトを使用して漁をしたそうで、
そんなことをしてたら赤ん坊だって巻き添えになったことでしょう。
保護活動にはいるのが100年、いや200年遅すぎたのでしょう。
たとえ絶滅しなくても数が激減したままの状態がつづくなら、
保護活動に入るのが遅すぎたということだと思います。
わたしたち人類に置き換えて考えてみれば、
人類を乱獲するものが突如現れ、さらに天敵生物や伝染病まで持ち込まれて、
全世界で人類が激減してしまったというところでしょうか。
それでも人類のほうが多くの絶滅危惧種よりは遥かにに繁殖力が高いのですが。
でも全世界に広範囲に均等に人類が散らばっているとなると、
数万人くらいではもう回復不能かもですね。
一つの群れの個体数など僅かでしょうし、
繁殖適齢期になったオスとメスが出会うことも難しくなりそうです。
そこまで生存数が減れば文明と呼べるようなものの多くは、
もはや遺跡や遺物でしか存在しないかもしれません。
そうなると新生児や乳幼児の生存率も激減してしまいますね。
新大陸やオーストラリアの多くの先住民たちのように絶滅へと追いやられていきそうです。