表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/9

「ラーマの橋」




一部残酷な表現があります。





出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用を含みます。







 


 リンカーン島沖海戦より2年余りの戦いで、

コロマンデル海岸・マラバール海岸・ランカー島に配備されていた植民地勢力海軍は、

壊滅的な打撃を被り制海権を失った。 

 復讐の念に燃える東南アジアや大西洋方面からの援軍も帰還できた艦は1隻もなく、ノーチラス号唯1隻の戦果だけでフリゲート艦以上の損失が百隻に達していた。

 ノーチラス号は彼らの最高速艦よりさらに数倍高速であり、彼らは最強艦でさえ対潜装備など何一つないのだから狙われたら逃れようもなかったのだ。

 

 さらにノーチラス級の新造艦が毎年1隻ずつ配備され始めていた。



 われわれは根拠地リンカーン島から北上、

オランダの支配下にあったモルディブ諸島を解放したが、

次にインド亜大陸への足掛かりとしてランカー島からオランダを駆逐する必要があった。

 ランカー島の幾つもの王朝がポルトガルとオランダによって滅ぼされたが、ただ一国生き残りオランダの侵略に抵抗を続けていた獅子国とわれわれは同盟を結んだ。

 われわれは制海権を奪ったのちランカー島と本土との間にある島々に上陸作戦を実施、

オランダの支配下から解放された島々は「特別行政区」に指定された。






1722年 パーンバン島 ラーメーシュワラム ダヴィード・ベン・サスーン


 


 俺が何のためにこの世界に転生したのかは未だわからない・・

――がこの何をなすべきかは答えを得た。


ネモ船長と世界中から集まった彼の同志たちが経験したこと――それはこの世界のどこかでこれから起きることであり、この世界のどこかではすでに起きていることでもある。


 ネモ船長たちは自分自身が経験した事を、この世界で繰り返してはならないという固い決意がある。 

 しかし俺は彼らのように愛する妻や娘を強姦され殺されたわけでもなく、

士気を挫くため、死後殉教者としての儀式を行えないように、

父親や息子を大砲に括り付けられ木の弾丸で吹っ飛ばされ肉片にされたわけでもない。

 

 だが俺も国を奪われ世界中に離散した先でまた迫害を繰り返されてきた民の末裔だ。

手をこまねいているならまた同じ歴史が繰り返されることは疑いあるまい。


 1857年英国の植民地支配に対する反乱の混乱の中、

どさくさに紛れインド人の暴徒が英国人家族の屋敷に押し入ると、

金品の在処を聞き出す為、父親は拷問され、妻とまだ幼い娘は強姦されたあげく惨殺されたが、犯人が特定できない場合など、隣接するの幾つかの集落の住民すべてが英国側の復讐の対象となり拷問や強姦が行われたり、見せしめのため集落と集落をつなぐ街道沿いにある木々の全てに吊るし首にされた村人がぶら下げられるような惨劇が、船長らの話ではインド各地で発生したそうだ。

 

 これは19世紀の英国人とインド人の間でだけ起きた事ではない。

過去にも未来にも世界中の至る所で起きたことだ。

 そんな行為をしても罪に問われることもなく、

逆に誇らしげに加害者側が戦果として記録に残していたり、

ひとに自慢したり、周りからは称賛されていたという事例もあるのだ。

そんな社会や組織ではいつ何処でも起こりうることだろう。



 侵略者・圧政者に対する復讐として一部のインド人が暴走し、

数百の残虐行為・非人道的行為と数千の殺人が行われると、

それは数千の残虐行為・非人道的行為と数万の殺人に誇張されて英国本土で報道された。

 そしてその復讐として英国側により数万の残虐行為・非人道的行為と数十万の殺人がおこなわれた。

 英国側の死者はインド在住の4万人ほどのうち6千人ほどが犠牲となり、

インド側の死者は混乱の結果として引き起こされた飢饉による餓死者なども含めると100万人に迫る犠牲者がでたという。

 死者としてカウントされてはいない被害者はどれだけいたかは知る由もない。


 だがインドは人口も多く文明も進んでいたから、

多くの部族が絶滅に追いやられるようなことにはならずにすんだ。

 オーストラリアや新大陸の先住民は多くの部族が暗黒の時代の闇の中へ、

記録に残されることもなく消えていった。

 アフリカ大陸で行われていた奴隷狩りどころではなく、

邪魔な先住民族を文字通り絶滅させる目的で人間狩りがおこなわれていたのだ。

この世界でも同じことが近い過去にも起きたし、近い未来にこれから起きるのだ。






1723年1月 マイソール王国シュリーランガパトナ ダヴィード・ベン・サスーン




「では我が傭兵団の役目はあの〃ラーマの橋〃に駐屯し、

他の傭兵と共に島々の防衛に当たるということでよろしいのかな?」


「はい、左様でございます。」

「勿論、マイソール王国の御高名な将軍閣下をお招きするからには、

相応な地位と俸給をお約束いたします。」


「待遇面に関しては満足のいく返答を頂いたが、領地は何処になるのかね?」


「目下のところ、我々が治めているは比較的小さな島々ばかりでして・・」


 「ふむ。しかし小さな島に傭兵団の一族郎党引き連れて移住するとなると、

暮らし向きのほうはいかがなものか、町らしい町も無いのではないかね?」


「将軍閣下の新たな領地となりますラーメーシュワラムの町は、

島では一番大きく栄えております。」

 「町にはシヴァ神を祀る壮麗なヒンズー教寺院がございます。

そこは遠く離れた地からも、多くの者が訪れる聖なる巡礼地となっています。」

「さらに病院・学校など以前島には無かった施設も、

われわれによって建設・運営されております。」


「しかし小さな島ではそれ以上領地を拡げようもないな。」


「われわれは海の上では負け知らずですが、

陸の上では戦力不足。今はまだ雌伏の時です。」 

「しかし数年のちには、

偉勲を立てる機会が必ずや訪れることをお約束いたします。」

「われわれには閣下のお力添えが必要不可欠なのです。」


「わしの一存で決めるわけにはいかんのでな、

明日の一族会議で結論を出そう、それでよろしいかな?」


 


 ――この武人がネモ艦長の曾祖父にあたる人と聞いた。


艦長より余程若く見えるな。

 

ノーチラス号に拾われて3年になるが、

ネモ艦長の歳は未だに謎のままだ。

 

そして彼の5番目の息子が、ハイダル・アリー・ハーン・・

今はまだ3歳の幼児だが、長ずれば我らの盟主となるお方だ。


 

〃ファトフ・ムハンマド 1684年5月6日生まれ―― 1729年 9月9日戦死。〃 


 

 あの記録の通りになるとは限らないが、彼をこのままにしては置けない。

彼と彼の子孫の命運が、われわれの歴史に大きく関わってくるのだから。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ