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獅子の国 




1999年5月 カルナータカ州 シュリーランガパトナ



  


 俺は都内の外国語大学を卒業した後、

大学院でイスラム中東研究をしていたのだが、

外務省在外公館派遣員の募集に応募、合格したので大学を休学し、

専門からはちょっと外れていたのだが任期の2年間インドに派遣されて、

想像以上に多忙だったが、得るものが多かった勤務を終えたばかりだった。

 

 帰国を控えた俺はインド各地を観光中だった。




ラーイガド城、バージー・ラーオ廟、

コーチンのインド海軍博物館、旧ユダヤ人街などを堪能した後、

その日俺は南インドのカーヴェーリ川の中州に浮かぶ島にいた。

 

 かつてマイソール王国の首都であったシュリーランガパトナ。

数多のインドの英雄達の中でも特に魅かれていたあの親子が眠る霊廟がそこに在った・・  



〃 羊として一生を送るよりも、ライオンとして1日を生きるほうがまし 〃


 

 その日は彼が戦場で散った日から200年後にあたる日であった。

だが彼の墓の前で祈りをささげたあの時・・ 

そこで俺の記憶は途切れてしまった


 その後の俺の記憶は・・



 あの船の中で蘇生した、あの時から再び始まったのだ。 

       




挿絵(By みてみん)



 



 〃インド洋のまさに(かなめ)と言える位置に浮かぶ神話の島ランカー島。


 その中央部、高地の緑の山々に囲まれて、美しき都キャンディはあった。

 

 熱帯に位置するこの島の中では、暴風雨(サイクロン)の時を除けば、

年間を通して実に過ごしやすいところだ。

 

 だが今は・・避難民の列が山々の向こうまで長く連なっていた。〃





1730年3月 ランカー島山岳地帯 獅子国 王都キャンディ 摂政シーター



「奴らがあの峠を越えて王都に雪崩れ込んでくるまでに

残された時間はそう長くはないかも知れないわね・・」


 オランダ植民地軍は王都の西方に見える山々のすぐ向こう側まで迫っていた。

 

「されど武勇に優れた王弟殿下率いる守備隊と、

この日の為に天嶮に拠って敵を防ぐべく築かれた強固な砦がございます。」


「でも我が軍は敵の策で兵力を分散せざるを得なかった・・ 

それだけ峠の防備は手薄になっているわ。」


「確かに油断は禁物です、あの狡猾なオランダの事ですから、

どんな(はかりごと)をめぐらしているか・・」 


 

 5年前からラクシュミは人事の刷新など、

急進的な改革を進めてきたのだが、

それに対する反発も強まっていた。 

 保身と欲からオランダに内通した貴族や地方豪族たちは、

かねてより防諜部の監視下に置かれていて、

一網打尽にする手はずは整っているのだが・・。



 「今頃ラクシュミはどうしているかしら・・」


「王女様のことです援軍を引き連れて

奴らを叩きのめしに戻ってこられるやも知れませぬ。」

 

 

 宰相ヴィビーシャナの懸念はもっともなことだ。

その様な事にならぬよう、出立前にラクシュミに釘を刺してはおいたのだが。

 なにしろあの娘は10歳、未だ幼きものだ。 

身に危険が及んだとて剣を振るうこともできぬ。 

 

 しかし5年前、国王が戦死されたオランダ軍との戦で

滅亡に瀕した我が国を救ったのは、 

 手薄となったオランダ軍の後方を突いた解放軍と、 

動揺し士気も落ちた家臣たちを奮起させた王女であった。

 わずか5歳の幼女に、それが成しえたのには訳があった。

 

 臣下の者達は信じているのだ、

ラクシュミが前世での戦に敗れ、死に臨んだ時、 

夢に現れた古代インドの女神から、

重き使命と引き換えに特別な加護を受けるようになったと・・ 

 

 その為に女の身でありながら、人として、王族として生まれ変わり、

前世の記憶を持っているのだと。





 もしも我が国が滅んだ時に亡命するため、

親衛隊に護衛された王女たちが向かった先には、

王女と同じく前世の記憶を持つ者に率いられた軍勢が駐屯している。

 

彼等はトリンコマリーの要害にあったオランダの要塞を奪い取り

湾内の小島の地下深くに、ある施設を建設中である。 

そこには我が国の技術者、労働者も派遣されていた。 


 彼等とは、ここ数年で急速に勢力を拡大している

バーラト解放軍を名乗る、いまだ謎の多い新興勢力である。 


 ランカー島の最北端の要衝ジャフナは5年前に

北東海岸の良港トリンコマリーは3年前に

彼らによって解放区となっていた。

 そして我が王国軍の選び抜かれた精鋭からなる部隊が  

そこで解放軍から密かに特別な教練を受けていた。




 〃解放軍は10年ほど前からランカー島周辺海域に出没し始めた。

当初は植民地軍の主力艦船のみを狙った、散発的な攻撃だけであったが

オマーン海洋帝国やインド洋海賊などと協力関係を結び

お互いの足りないところを補い合った。 

 

解放軍は敵の手強い戦闘艦のみに狙いを絞り

それ以外はオマーンやインド洋海賊に拿捕されたり積荷を奪われた。

 インド洋を航行するキリスト教徒の艦船の多くが

海の藻屑と化すか、白旗を掲げる事となった。

 植民地勢力は本国からの補給が困難となり、弱体化していった。〃

 


 〃そして獅子国とバーラト解放軍による

ランカー島のオランダ最大の根拠地

コロンボへの攻撃準備が整いつつあった。

 それを嗅ぎ付けたランカー島のオランダ軍は

先手を打って獅子国を打ち滅ぼすべく

王都キャンディへと進軍を開始していた。〃 






 1730年3月 ランカー島中部ダンブッラ石窟寺院 王女ラクシュミ


 



 やれやれやっと到着ね。

 

トリンコマリーからの援軍が到着するまで、

わたし直属の親衛隊五百名はこの寺院で待機することになっている。

 

北を目指しての山越えはなかなかきつかった。

とは言ってもトリンコマリーから来る部隊の方が、

移動距離は長かったわね、強行軍で申し訳ないけど。


 前世では乗馬は得意だったし、

西洋式の乗馬服を着て戦場で駆け回ったものだけど

こちらでは何しろわたしはまだ十歳なのだ。

 乗馬は毎日鍛錬してきたし年の割には大柄な方だが、

後ろに介添えの者がいても、

山を幾つも超えて長時間馬に乗るのは楽ではない。

 でもあと3年もすれば一人で乗りこなせるようにしてみせるわ。


 敵を欺くにはまず味方からというわけで、

われわれの作戦は必要最低限の者にしか知らされていない。

 トリンコマリーに派遣されていた特殊作戦任務部隊千名と合流したら、

南西のクルネガラ方面へ向かう計画だ。


 かねてよりこの日に備えて、狼煙・烽火などで動員をかけ、

早馬などで詳細を伝える伝達手段は確立されていた。

 既に援軍はトリンコマリーを出撃したとの合図が届いていた。


 解放軍の本拠地リンカーン島ではすでに電信網が実用化されているらしい。

ランカー島全土が解放された後に、リンカーン島とコロンボをつなぐ海底通信ケーブルを敷設する計画が進められているそうだ。

ランカー島の各地を結ぶ電信網が完成する日もそう遠くあるまい。 


 

 さてこれから先は、解放軍とオランダ軍がどう動くかで展開は変わる。

ジャフナとトリンコマリー駐屯部隊の約半数、

解放軍千名と我が軍の海兵隊千名は、

キリスト教徒から拿捕した艦船とオマーン海軍の艦船でコロンボ方面に急行し、

わたしの部隊は遊撃部隊としてオランダ軍の側面か背後を突く手筈だが・・

 

 問題は天候だな、どうも雲行きが怪しくなった来た。


 最新式の銃は我が軍ではまだ精鋭部隊に配備され始めたばかりだが、

ボルトアクションの弾倉給弾式反復ライフルで、(注)

フリントロック式マスケット銃のオランダ軍と違って大雨でも使用可能なのだ。

 その点我々が圧倒的にに有利なのだが、

悪天候で視界が悪すぎると流石に命中率は落ちてしまう。


 解放軍では無煙火薬の改良が進み、

リンカーン島では大量生産が始まったそうだし、

大口径後装式施条砲の改良も進み問題点を解決したそうだ。

それに世界で唯一の近代的ロケット砲部隊が実戦配備されている。


 戦わずして勝つのは無理でも、犠牲者は最小限に抑えて勝利する。 

新兵器により敵の度肝を抜き、恐怖に陥れ戦意を失わせることは可能だ。

この10年オランダ軍は勝利の女神に見放され士気は低迷し続けているからね。




(注)性能は英軍のリー・エンフィールド小銃(20世紀前半で活躍した名銃)に匹敵する。






1730年4月セイロン(ランカー)島 ゴール要塞司令官ジョアン・ポール・シャゲン


 開戦から1か月が経過したが最早限界だろう。

海からも陸からも補給を絶たれたセイロン島のオランダ軍に、残された道は降伏しかあるまい。

 我が要塞は各地から敗走してきた部隊を加え兵力こそ増強されたが、

弾薬の備蓄は底をついてしまっている。

敵の効果的な通商破壊戦により、本国やジャワ島との補給の大半が途絶えて10年になろうとしているのだ。


 わたしは包囲軍の降伏勧告に応じる決意を固めた。

キャンディー王国(獅子国)攻略に向かった主力部隊は、

弾薬不足により作戦遂行が困難となったところに、

指揮官たちの多くが狙撃され死亡、撤退中に包囲され弾薬も尽き降伏した。

 コロンボ要塞守備隊も敵の新型砲により、

アウトレンジから一方的に強力な新型砲弾を撃ち込まれ早々に降伏した。 



 1722年にわたしはセイロン島南部の重要拠点ゴールの司令官に就任したが、

1725年にオランダ東インド会社(VOC)はわたしを暫定セイロン総督に任命した。

1726年に第20代セイロン総督に任命されたペトルス・ヴァイストが到着するまでわたしはその職を務めた。

 

 ヴァイストの統治は順調に始まったかに思えたが、

次第に強欲で残忍なその本性を現した。

奴がその地位を利用して不正に蓄財を重ねていることを、

訴えようとした者達は口を封じる為に殺された。

ヴァイストに批判的な者たちは、彼の扇動により、

オランダ人入植者や植民地政府役人を含む多くの人々が、

ありもしないクーデター計画などでっち上げられた罪状で死刑を宣告された。

 わたしも奴により職を追われ左遷されたが、1729年にヴァイストは圧政を理由に、ようやくバタビアに召喚された。

(ヴァイストはその残虐行為により1732年に処刑された。) 

 奴の任期中にオランダ軍は兵の脱走が相次ぐなど弱体化が加速した。

 

 ヴァイストの後任ステファヌス・ヴェルスルイスは、

1729年にコロンボのセイロン総督に任命された。

 しかしヴェルスルイスもまた財政上の不正や汚職にまみれていた人物であった。

オランダ軍の主力部隊にキャンディー王国(獅子国)攻略を命じた後、

奴はコロンボ軍港に停泊していた生き残りのフリゲート艦で、

セイロン島のオランダ人たちを見捨て敵前逃亡を図ったが、

海上封鎖していた敵艦隊に拿捕され捕虜となった。

 

後にヴェルスルイスは獄中にあったオランダ領東インド先住民の反乱指導者たちと交換された後、

オランダ側に逮捕され裁判にかけられた。



 セイロン島各地のオランダ軍の要塞や兵舎は臨時の監獄と捕虜収容所となった。

勝者・敗者・地位に関わりなく軍紀を犯したもの、

戦争犯罪を犯したものは(非戦闘員に対する虐殺や拷問・婦女子に対する強姦など)例外なく厳しく法によって裁かれた。


今に至るまで、読む側ばかりで小説ぽい文章さえ書いた記憶がないので、

基本的なところができていないと思います。

もちろん投稿するのも初めてだったり。


ノーチラス号は出てこなくて

代わりに新造鑑の姉妹艦が複数登場するかもです。





挿絵(By みてみん)




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