3 仕事は仕事
俺は空間転移魔法で宿まで戻ると溜息をつきながら自分の部屋へと入った。
「まったく酒を飲んだあとはフラフラと歩いて酔いを醒ましながら帰るのがオツなのに今日は台無しだな」
そう言って苦笑する。
しかし、きっぱりとお断りをしたものの、大陸会議が「はい、そうですか」などと簡単に引き下がるわけもない。残念ながらそううまくはいかなかいだろうことを思うともう溜息しか出ない。
いったいどうしたものかと思いながら酒の入った頭ではろくな考えが浮かぶはずもなく俺はベッドに入るとあっという間に意識を落とした。
「う~、昨日はちょっと飲み過ぎたか……」
朝起きると日がもうだいぶ高くなっていた。
お昼にまではなっていないようだがいつもよりはかなり遅い時間だ。
二日酔いで重たくなった身体を引きずりながら部屋を出る。
大賢者である俺は解毒魔法で二日酔いを治すことも簡単といえば簡単だ。
しかし――
『この二日酔いを含めて酒を飲むってことだろう?』
俺はそううそぶいてよほどひどい場合じゃない限りは二日酔いに解毒魔法は使わないことを信条としている。
この絶対に使わないとまでは言わないところがこの俺がおっさんたるゆえんである。
顔を洗い身支度を整えるため宿の共用の洗面所へ行くとそこに置かれてある小さな鏡を見る。
くぐもっていて鮮明に映らないその鏡には濃いダークブラウンのぼさぼさの髪に薄い茶色の瞳の冴えないおっさんの顔が映っていた。
おっさんであるとはいえ、いや、おっさんであるからこそ身なりを整えるべきだと俺は思う。
ぼさぼさの髪と無精ひげをきれいに整える。
どうせ無駄だとわかってはいるがいつどんな出会いがあるかわからない。
身支度を整えると俺は宿で適当に朝食を摂っていつものとおり冒険者ギルドへと向かった。
「あっ、アドゥルさん。ちょうどよかった」
薬草採取のついでに摘まめるクエストがないかと思っているとなじみの受付嬢からそう声を掛けられた。
(いつも思うが受付嬢ってみんな美人だよな)
ときどき俺みたいなおっさんにも優しくされると勘違いしていまいそうになる。
俺も『自分に気があるのでは?』と思っていた受付嬢がAランク冒険者の男と結婚して寿退職したときなんかは夜通し吐くまで飲んだ。
あの時は俺も若かったとかつての黒歴史を思い返す。
「で、俺に何かご用ですか?」
「ええ、ちょっとお願いしたいことがありまして」
なんでも新人冒険者のお世話というかチュートリアルをやって欲しいということだった。
俺は冒険者の経歴だけはこの街の冒険者ギルドでも長く、そろそろ古株と呼ばれてもおかしくない。そんな訳でギルドの仕組みというかシステムのようなものはかなり熟知している。
そして新人冒険者、最初はEランクから始まるが、そんな彼らが受けるようなクエストは俺の十八番である。
そんなわけで、ギルドのシステムからクエストの受注、そして最初のクエストを一緒にやって冒険者として活動するための手順というか流れを学んでもらうというわけだ。
大したことはしていないつもりでもギルドによると俺のチュートリアルを受けた若者たちはその後がいいようだ。そんな理由でギルドは新規の冒険者が来た場合はときどき俺にこうした依頼をして来るというわけだ。
「いいですよ。こっちにもうま味はありますから」
自分のチュートリアルで冒険者になり、その後ある程度成功した冒険者は実はそれなりの数がいたりする。
もっとも、そんな連中はこんな片田舎ではなくもっと活躍できる場を求めて他の場所へ拠点移動することが多いのだが、この街にもそれなりに俺を慕ってくれている連中もいたりする。
昨日俺に絡んできたような連中もいるにはいるが、この街で万年底辺である俺が面白おかしく過ごせているのもこうした地味な活動の成果だったりするのだ。
「で、それがお前ってわけか」
受付嬢に引き合わされた新人冒険者は俺が知っている奴だった。
正確には昨日の夜に顔見知りになっただけ。
名前はまだ知らない。
「初めまして、ジーナといいます」
昨夜出会った黒髪の美少女がそう言って頭を下げた。
装いは昨夜の黒装束姿ではなく厚めの冒険服の上から身体の枢要部だけに安い魔物の革を当てている。
新人の冒険者によくあるリーズナブルな見るからに駆け出し冒険者のスタイルだ。
そんな彼女はあくまでも俺とは初対面ということにしたいのだろう。
十中八九『ジーナ』という名前は彼女の本当の名前ではなく偽名だろうからこの名前ではという扱いなのかもしれない。
「ああ、初めまして。俺はアドゥルだ。Dランクの冒険者をしている、よろしくな」
「よろしくお願いします」
はたから見たら俺はぎこちない笑顔を浮かべているだろう。
仕方ないがこれも仕事だ。
簡単に冒険者ギルドの制度。
まずはランクの説明をした。
Eから始まり上はSとかSSSとかあるらしいが俺のような底辺には関係ないことなのでそこは割愛した。
Aランクの冒険者ともなれば一流の冒険者ということで間違いないだろうという適当な説明で終わった。
「掲示板で依頼を探して受付で手続するんだ」
この日チュートリアル用に受けたのは推奨ランクEのクエストだ。
この街の外でなんでもいいので魔物を3体倒してくるというものだった。
「どんな魔物でもいいんですか?」
「今回はチュートリアル用のクエストだからな。手続の流れを覚えてもらうことが主なんだ。ちゃんとしたクエストになると場所や魔物の種類が指定されるから今回だけだと思ってくれればいい」
他にも俺がしている薬草採取などの常時依頼というものもあってそれは特別な手続はいらないといった説明もした。
そして俺たちはこのチュートリアル用クエストを達成するため街の外に出る。
ブラブラと街道を二人で歩き、ある程度街を離れ、周囲に人気が無い場所までくると俺は口を開いた。
「もう、いいだろう。で、目的はなんだ? どうして冒険者になった?」
「私の目的はただ一つ。あなたに魔王討伐の依頼を引き受けていただくこと」
は~。
俺は内心大きなため息をついた。
「言っただろ? 俺はダメだ。俺に頼るな」
「しかし……」
「いいか? 千歩譲って今回俺が魔王を倒すとする。しかし15年で復活する魔王だ。また復活するだろうよ。今度は20年後、30年後、50年後かもしれない。そのときお前らはまた俺に頼むのか?」
「……」
冒険者は危険かつ不安定な職業なのである程度年齢がいったら他の仕事に変わる者も少なくない。
この世界では15歳で成人し、20台前半までに結婚するのが普通だ。
それを過ぎれば行き遅れと揶揄される。
30を過ぎた俺のような独身のおっさんは言うまでもない。
俺はこれまで後輩冒険者が結婚して子供ができたから引退しますという挨拶を何回聞いただろうか。
あっ、ヤバい……。
なんか気分が落ち込んできた。
(嗚呼っ、目から変な汗が流れてきたじゃないか!)
こうなると復活した魔王と手を組んで世界の半分をもらうという選択もありかもしれない。
昨日の敵は今日の友。
何と熱い王道の展開じゃないか!
「アドゥルさん?」
黒髪の少女に声を掛けられてはっと気付く。
いかんいかん。
危うく闇に呑まれるところだった。
「いや、何でもない」
俺はそう返しながらポーカーフェイスを意識しながらジーナと街道を歩く。
とにかく、この世界では30を過ぎればピークを過ぎたロートルだ。
特に戦闘を生業にする俺たち冒険者といった職業はそれが顕著だと言っていいだろう。
「まあ、お前に文句を言ってもしょうがないからな。今日は一応仕事でもあるし冒険者のイロハはきちんと教えてやる」
「わかりました。それであのアドゥルさん……」
「ああ、俺のことは『おっさん』と呼べ。みんな俺のことはそう呼んでる。受付嬢以外、誰も俺の名前なんていちいち覚えてないからな」
「わかりました。では『おじさん』と呼びます」
ジーナは頷くと俺の後はゆっくりとついてくる。
(は~、じゃあさっさと終わらせるか)
「そういえばお前はどんな武器を使うんだ」
「武器はコレです」
空気を変えようと俺そう問い掛けるとジーナが取り出したのは短刀だ。
(どう見ても暗殺者の武器だな……)
俺は苦笑いする。
「これで魔物は無理だろう。他にはないのか?」
目の前の美少女は首を横に振った。
(まあ、元々が隠密って感じだからな。正面から魔物を倒すスタイルじゃないんだろう)
「じゃあ、今日は俺のショートソードを貸してやる」
俺は腰に提げていた一振りをそう言って手渡した。
「いいんですか?」
「じゃないとクエストにならないだろう……」
街道を進むと茂みの影にゴブリンが2匹いた。
「ゴブリンだ。行けるか?」
「はい」
ジーナはシュッと地面を蹴るとあっという間に一匹のゴブリンとの距離を詰めた。
そして一閃、ショートソードでその首を落とした。
「ヒュ~♪」
俺が口笛を吹いたその僅かな間に更にもう一匹に肉薄すると今度は袈裟に斬って捨てた。
細腕で心配したが流石は大陸会議が使役する隠密だ。
基本的なレベルが違うようだ。
俺は人知れず少女に対する警戒レベルを一つ上げておくことにした。