2 復活、魔王様
酒場が閉店の時間だと言われて仕方なく俺たちは店を出た。
明日も仕事だと言うエリックたちと別れると俺は定宿にしている安宿へと一人フラフラと歩いて帰る。
奢りだってことでいつもより酒が進んでかなりいい気分のほろ酔い気分だ。
時刻は夜。
既に陽はとっぷりと暮れていて辺りは闇夜に包まれている。
ところどころに設置されている灯りの魔道具と家々の窓からこぼれている僅かな光を頼りにゆっくりと歩いていく。
千鳥足でフラフラとしながら大通りから一本裏通りの筋へと入ったところで俺は足を止めた。
「黙ってひと様の後をつけるのは感心しないな。俺のファンか? 宿にお持ち帰りして欲しいのか?」
誰かが自分の後をつけている。
夜遅いとはいえ底辺冒険者を襲ったとしても金になるわけはない。
人からバカにはされることはあっても恨まれるような覚えもない。
ふっと空気が揺らめく気配。
その気配から男ではなく女。
女に泣かされたことはあっても女を泣かしたことはない。
そう胸を張って言える。
俺は振り返ると一見何もなさそうな影をじっと見つめる。
すると空間が歪み、そこから一人の仮面をつけた黒装束姿の何者かが現れた。
背丈は低く身体の発育具合も十分とは言えない。まだ子供だろうかと一瞬そんな考えが頭をよぎる。
しかし見た目とは裏腹にその身が纏う雰囲気は周りから保護される対象とはかけ離れたものだ。
「何か用か? 今俺は気分がいいんだ。それをぶち壊すってんなら容赦はしないぞ?」
――ぶわっ
魔力をわずかに解放すると四方八方に衝撃波が広がり辺りを薙いだ。黒装束の裾がバタバタとはためき、路地に落ちていた石ころがカラカラと転がる。
「お待ちを。敵対する意思はございません」
黒装束が抑揚のない声でそう言うと身に着けている銀色の仮面を外してその場で膝を付いた。
「ほぉ~。こいつは……」
目の前に現れたのは闇夜を凝縮したかのような黒髪のショートカットの女。
瞳も黒く、目は切れ長で肌は雪のように白いかなりの美少女だ。
しかし表情に乏しく仮面を外したはずだがまだ仮面を被っているのかと錯覚してしまうほどでそこは勿体ないと感じる。
「で、なんの用だ? 誰の差し金だ?」
「……大陸会議」
絞り出すように吐かれたその言葉を聞いて俺は内心舌打ちした。
大陸会議は、この国を含むこの大陸の多くの国が参加する組織のことだ。
この大陸でも未だ国同士のいさかい、戦争は起こるものの、そんな異なる国同士がかつて人類の共通の問題に対処するために設立した組織が大陸会議だ。
要は国の上位に位置づけられる組織で平民が普通に生活をしていれば一生関わるどころかその存在を知ることもない。
「いまさら俺に何の用だ? 大陸会議とは確か10年……いや15年前だったか? もう俺には関わらないと約束したはずだが?」
「そのいきさつを私は存じあげません。私は、我が主の命に従うまで」
鋭い眼光を飛ばす俺に怯むことなく黒装束の少女は表情一つ変えずにそう告げる。
「まあいい。それで、いったい何の用だ?」
そう言って俺は黒装束の少女の目を見た。
「魔王が……復活しました」
その言葉に自分で自分の表情が一瞬ピクリと動くのがわかった。
そして俺は一つ大きく「はぁ~っ」っと溜息をつくと大げさに天を仰いだ。
(復活するのが早すぎるぜ、魔王様)
俺はかつて倒した異形の存在に対して恨めし気にそう心の中で毒づいた。
俺はかつて魔王と呼ばれる者を倒したことがある。
とはいえ、俺一人でそんな大それたことができた訳ではない。
俺を含めたいわゆる『勇者パーティー』と呼ばれたグループのよる偉業だ。
当時、この大陸は全土で魔王が率いる魔族や魔物との闘いが繰り広げられた。
そのときに各国が連帯するためにできた国の集まりが大陸会議だ。
俺はその大陸会議から魔王を倒した功績から大賢者、正式には『救世の大賢者』という身の丈に合わない称号をもらい、その後は表舞台から姿を消した。
魔王を倒した報酬の一つとして俺が特定の国や組織には加担しないことを条件に大陸会議は以後俺には関わらないという約束をもって報酬の一つとした。
魔王を倒せるほどの巨大戦力である俺を取り込もうとする国は多く、その一方で俺の存在を危険視する動きもあった。それを一挙に解決するための手段としてそんな約束を交わしてお互い関わらずに過ごしてきたというのがこれまでのいきさつだ。
一般大衆向けには大賢者は老人であり魔王討伐後は隠遁生活を送っているという触れ込みになっている。
(まだ10年? いや15年か? しかし普通、魔王の復活といえば100年とか200年とかいうスパンじゃないのか? なんだよ15年って……)
俺が百面相している間も目の前の美少女は表情一つ変えない。
「俺にはもう関係ないだろ。大陸会議のお偉方に言っておいてくれ、約束を守れと。あと、俺はもうおっさんだからな。体力が追い付かないんだわ、魔王退治はもっと若い奴にまかせてくれ」
「しかし……」
「しかしもかかしもねーよ。あんまりごちゃごちゃ言うと本当にお持ち帰りするぞ? もうあんなことやこんなことしてヒーヒー言わせちゃうぞ?」
俺はそう言って下卑た笑みを浮かべながら目の前の少女の肢体に視線を這わせる。
これが王都の人通りの多い場所であれば間違いなく衛兵に通報されるだろう『にちゃあっ』と糸を引くような表情だ。
「……それで助けていただけるのであれば」
「は~、バカ言うなよ。お前一人にそれだけの価値があるわけないだろう。助けてほしけりゃ12人の美少女を、いや、本当に連れてきそうだな。何といっても大陸会議だもんな。とにかく俺はダメだ。もう予定がいっぱいだ。50年先まで毎日薬草採取のスケジュールがびっちりなんだよ。じゃあな!」
「あっ……」
その刹那、俺は空間転移魔法を使って一瞬で少女の前から姿を消した。