3.ウィステリア帝国領
ウィステリア帝国領に入ると、馬車が待っていました。
どうやら、二人が先触れで知らせていたみたいです。
正直助かりました。
あれから二人がゴーレムを投げ飛ばして(普通できません)
二人がサイクロプスを蹴り飛ばして(普通できません)
二人がオルトロスやキメラを数体まとめて戦闘不能にして(普通できません)
そんなことを繰り返して、やっと森を抜けたのは明け方でした。
魔物の皆さんも元気すぎやしませんかね。
夜は大人しく寝ましょう。
二人の規格外っぷりにビビったメンタルはとっくに疲れ果てています。
森を抜けるのが最短ルートということでしたが……
ちょっと時間かかっても森を迂回してほしかったです。
「どうだ、ウィステリアは気候風土が全然違うだろう」
スオウさんの言うとおりです。
ぼくは疲れていましたが、窓から見える風景に目が自然と引き寄せられました。
アカシア王国は広大な平野を開拓した領土で、温暖な乾燥帯でした。
見晴らしがよく、遠くに稜線が見える程度。
一方、北東にあるウィステリアは寒暖混合の湿潤帯。
鬱蒼とした霊山を天然の要塞にしている、起伏のある土地柄です。
帝都はまだまだ先で、今見ているのは郊外ということになります。
「こっちは木造建築なんですね」
「石も使う。でも、ウィステリアの資源は、木材だから」
隣に座るヨイさんが、あれはどんな樹木で、と教えてくれます。
アカシア王国ではどこでも、町は町、農場は農場として独立していました。
民家や田畑が山や河川と入り混じっているウィステリアは、文化も全然違うんでしょう。
おそらく、植物の種類はアカシア王国よりはるかに多い。
すべてがしっとりとしていて、透明なはずの水ですら、どことなく深い色合いに感じます。
なだらかな街道を進んでいると、
「あそこ、どうしたんでしょう」
村人の困り果てた顔があちこちに見えました。
井戸を囲んで悩んでいたり、土を掬いあげて溜息をついていたり。
二人も首を傾げます。
そりゃ国を離れていたんですからわかりませんよね。
答えてくれたのは御者の騎士さんでした。
「実はしばらく前から、地下水が不安定なんですよ。そのせいで土が乾いてしまっていまして。雨が降っても溜まらないんです。こんなこと今までなかったのですが……」
「ここら一帯は、元々湿地だったはずだが……水源でも枯れたか」
「いえ、スオウ殿のように考えて確認したのですが、水源自体は特に異常はなく……陛下も対策を講じて人材を派遣しているのですが、なかなか」
受け答えするスオウさんは難しい顔をします。
ぼくはヨイさんからも話を聞きました。
「霊山の水源が近いから、伏流水が豊富なの。霧深くて、時期によっては土を踏むだけで水が滲んでくるところ。だから、水田だけじゃなくて、果樹園もある。その土が乾くなんて……」
「ここからちょっと見るだけでも、さらさらした土になってますしね。ちなみに水源ってどこです?」
「あっち」
「ふむ……」
ヨイさんが指差したのは北です。
まあ、これだけではなにもわからないんですが
……ただ見るだけでは。
(《色彩鑑定》)
これでぼくの目は、魔力の根源、万物の霊子の流れが見えるようになりました。
世界は霊子レベルで見ると、銀河みたいに光の粒の奔流ですからね。
しかも色とりどりの。
慣れない頃は酔って目をまわしたものです。
ぼくは座ったまま、左右の窓から村の風景をじっくりと見渡します。
その昔は湿地帯だったという地域は、全体的にお椀型の盆地です。
ここから山をいくつか越えれば帝都だという話ですが——
(……あそこですかね)
鑑定し始めて数秒後、霊子が乱れている場所を発見しました。
民家より少し東に離れた地点です。
小森の影になっていてちょっとわかりにくいですが
……なんだか周りと少し雰囲気が違いますね。
独特の、ちょっと畏怖を感じるような地点です。
そこだけ、霊子の流れが歪で滞っていました。
(《魔力調律》)
色は魔力。魔力は色。
魔力は霊子の集合体。
細かい霊子を宝石や硝子玉だとすれば、それらを繋いでいる糸はエネルギー波動です。
こんがらがってしまった糸を優しくほぐして、綺麗な数珠にととのえてやります。
三秒くらいでしょうか。
色褪せていた魔力が、瑠璃色になりました。
あちこちで「わあっ!?」と驚く声があがります。
鑑定をやめると、井戸や土から溢れる水で、大人も子どもも濡れているのが見えました。
はじめは困惑していましたが、そのうち歓声や笑い声に変わります。
よかった、なんとかなったようです。
「あれほど策を講じても改善しなかったのに……」
御者さんが驚く声も聞こえます。
「ユキト、ユキト」
「あ、はい? なんですか、ヨイさん」
喜び溢れる光景を堪能していると呼ばれました。
振り返ると、なぜか呆れた眼差しを向けられます。
「なんですかって……今の、ユキトじゃないの?」
「……えっと、なんでそう思ったんですか?」
絶対にぼくがやったと欠片も疑っていない目です。
なんでですかね。
こういうとき、養母以外で、ぼくだって真っ先に思われたことないんですが……。
「ユキト、周りを観察して、一点だけじっと見てた。そうしたらすぐに解決した」
「ただ呑気に景色を眺めていただけかもしれませんよ」
「じゃあ、たった今、たまたま解決した? わたしたちが、ちょうどいるときに?」
なんだか叱られているような気分です。
ぼくが思わず身を引くと、彼女はそのぶん、ずいっと顔を寄せてきます。
近いです近いです。
瞳の氷蒼色を、間近で拝めるのはやぶさかじゃないんですが。
「ええと……その、あそこの小森の陰で、霊子が乱れていたので。ちょっと、はい、やってみましたけど……」
水脈って、人でいえば血管みたいなものでしょう。
一箇所でも巡りが悪くなっていたら、全体も悪くなるんじゃないでしょうか。
「あの、なんかすみません、勝手にやって」
「事後報告云々というより、おまえはもう少し、自己主張を覚えたほうがいいな」
「はい?」
対面するスオウさんが、しょうがないやつだ、と言いたげに見てきます。
「おまえのことは、まだまだ知らないことのほうが多い。聞くが、詠唱なしでスキル発動できるのか」
「え? ああ、はい、別にわざわざ声に出す必要はないですね。ぼくが意識した瞬間に発動するので。まあ、魔物に襲われたときなんかは叫んじゃいましたし、こう、気合を入れたいときはなんとなく口に出てますが」
人が大声を出すのは、恐怖を緩和するためだとか聞きますしね。
魔物の森で声に出していたのは、詠唱っていうよりそっちの意味です。
ビビリだと笑いたければ笑いやがれってんですよ。
「詠唱なしでスキル発動……?」と御者さんが呟くのが聞こえますが
……なんでそんなにおそろしげなんでしょう。
ああ、あとはあれです、気が昂っているときなんか声に出やすいですね。
「なら、これからは詠唱する癖をつけるといい」
「はあ」
「森でも、俺とヨイを調律してくれていただろう。ありがとう。身体がいつも以上に動きやすかった。でなければ、さすがの俺たちでも一晩で森を抜けるのは無理だ」
「それも気づいていたんですか……そりゃあ、ぼくは守ってもらう側ですしね。それに、女の子にばかり戦わせておくくらいなら男やめます」
第二王太子たちは絶対に信じなかったのに。
こうもあっさり認められると、今度は逆にどうすればいいのやらです。
「ユキト、さみしい」
「え?」
ヨイさんが不思議なことを言います。
悲しそうな目です。
「ユキト、負い目、感じてる? 違う、ユキトはわたしとスオウのこと、ちゃんと守ってくれてた。お互いさま。対等。なのに、ユキトは黙って一歩下がってしまう。それは、さみしい」
「そうは言っても……ありがとうって言われるほどのことは」
「ありがとうって、言わせてくれないの?」
ぐ。
その上目遣いは卑怯じゃないですかね……。
おかしいですね。
事実を言っているはずなのに、ぼくが間違っている気分にさせられます。
「思うに、おそらくアカシアでもさっきみたいに、目についた異常や困っている人を解決していたな? だが、誰もおまえに気づかなかった。ユニークスキルがゆえの理解不足だけが原因じゃないだろう。——いいか、スキル発動の絶対条件ではないのだとしても、声をあげろユキト。それは、おまえがそこにいるという信号だ。信号を出してくれれば、俺たちは絶対におまえを見逃さない」
スオウさんが諭すように言います。
ヨイさんが祈るように言います。
「ユキトが声をあげてくれないと、ユキトに気づきたくても、気づけないかもしれない。ユキトが、自分はここにいるって言ってくれないのは、さみしい」
「自己顕示欲が薄いのも、それが生母に捨てられたことによるトラウマからきているのだろうこともわかっている。だが、もう大丈夫だ。声をあげろ。そうすれば、おまえは絶対に変わることができる」
「怖がらないで。ちょっとずつでいいから、ユキトを教えて」
二人の言葉は、やんわりと胸をつきました。
不覚にも泣きそうになって、慌ててフードを深くかぶり直します。
図星でした。
このユニークスキルを恥じたことはありません。
でも、理解を得られず否定されるたびに、ぼくはどんどん臆病になりました。
人の話をちゃんと聞きやがれこの野郎と内心で毒つきつつも
……自分のアピール不足、コミュ障が悪いのだという自覚がありました。
ずっと心のどこかで思っていたんです。
ぼくなんかじゃ、このスキルは宝の持ち腐れなんじゃないかと——
——・——
スキル《色彩創造》を追加
レベル70達成
——・——
「……なんですって?」
せっかく神妙にしているのにぶち壊してくれやがりました。
いつも思うんですけど、頭の中で響くこの声って誰のなんでしょうね。
「ユキト、どうしたの?」
ヨイさんが心配してくれます。
「なんか……いきなり応用スキルが追加されたんですが」
「なに?」
驚くスオウさんにも見えるように、スキルを確認します。
行書体っていうんでしょうか。
光る文字が流れるように宙に浮かびあがります。
——・——
ユキト・リンデン
職業/ 魔力調律師
ユニークスキル/ 魔力調律
レベル70
全自動モード/OFF
応用スキル/《色彩鑑定》《色彩抽出》《色彩融解》《色彩融合》《色彩精製》《色彩創造》
——・——
「追加されたの、最後の創造っていうスキル?」
ヨイさんが指をさします。
これで自分の空耳、見間違えではないことがはっきりしました。
「ユキト、自由に色を創れるようになったの?」
「ぼくは、調合っていう意味かなって思ったんですが……なんでしょうね」
こればかりは実際に試してみないとわかりません。
追加するだけして説明なしって、ちょっと不親切すぎやしませんか。
「なんででしょう、あとレベルも一気にアップしたんですけど……」
「さっきまではどれくらいだったんだ」
スオウさんは興味津々です。
他人事だと思ってこのやろう。
「たしか、50かそこらか……二桁も一気にアップするなんて聞いたことないです」
「ちなみに上限は」
「上限? 普通に99とかじゃないですかね」
「俺とヨイは、こういうことはさっぱりだからな……まあでも、悪いことじゃないんだろう?」
「そうですけど、急に変化されるとちょっと怖いじゃないですか」
スキルが気まぐれで変化するわけがありません。
なにかしらの原因や理由があるはずです。
魔法や魔術の学校にでも通っていたら、理論とかいろいろわかるんでしょうね。
一般的な例では、魔力の新しい属性を習得したから、という話はよく聞きます。
でも、ぼくは色ナシの魔力ナシ。
魔法も全然使えません。
特別なことなんてなにも——
(……まさか、ですよね)
さっき霊子をととのえた場所を、ちらりと思い浮かべます。
でも、ぼくはウィステリアに来たばかりです。
なにも知らないのに、考えたってキリがありません。
この世界の成り立ちや常識について、ぼくは養母から基本的なことを教わっただけです。
あのひとはもっといろいろなことを知っていて、あえて多くを語っていないような気もしますが……。
「そんなに急いで、たくさんことを知ろうとしなくていいのよ」と、いつも宥めてきましたし。
そういえば、ウィステリアに来たこととか伝えないとですね。
落ち着いたら連絡しましょう。
元気だといいんですが。
ああ、故郷の海が懐かしいです。
ひとつめの山を越える途中、スオウさんがひとりで降りました。
すぐに戻ってきた彼がぼくに差し出したのは、スモモに似た果物です。
ヨイさんが嬉しそうに言います。
「これは桃果。滋養にいい水菓子。ユキトにも食べてほしい」
「ちょうど今の季節に、ここらへんで採れる。水分補給も兼ねて食べてみろ。俺たちも久しぶりだ」
「花も綺麗。いつか一緒に、お花見に来よう?」
ヨイさんがくるくると、器用にナイフで皮を剥いてくれました。
「……いただいていいんですか?」
口先では遠慮しつつ、ほんのり甘い匂いには抗えませんでした。
スモモより少し大きくて、淡い色をしています。
ひと口齧ると、唇から果汁が滴るほど瑞々しくて驚きました。
甘酸っぱい風味が五臓六腑に染みわたります。
御者さんの腕もさることながら、馬もよく訓練されているんでしょう。
喉も潤い、腹も満たされ、そして心地よい揺れ。
これで眠くならなかったらサイボーグです。
「おやすみ、ユキト」
おやすみなんて言われたの、いつぶりでしょうね。
甘えちゃいけないと思いつつ、ぼくはヨイさんの声にすっかり負けてしまいました。
甘えたぶん、きっと役に立ってみせますからね。
そんな一方的な約束を、心の中で取りつけて。
*
「寝たか」
「うん」
外套を頭から深くかぶったまま眠るユキトを見つめる。
ヨイが立ちあがって、座面に横たわらせても起きる気配はない。
「二年前に十四歳だと言っていたから、今はだいたい十六歳か。俺たちの任務が終わる二年の間で、どうなるかと思ったが……本人の気質も目的も変わりないようだし、ユキトには悪いが、今回のことは俺たちにとって都合がよかった」
スオウは今年で十八歳。ヨイは十五歳になる。
二人としては、たとえアカシア王国の重鎮が賢く、ユキトを正しく重宝していたとしても掻っ攫うつもりでいた。
「ユキト……心が、疲れてる?」
「そうだな。だがまあ、少し休めば大丈夫だろう。こいつは『連れて行ってください』じゃなくて『行きます』と言った。見た目以上に気骨のある男だよ」
二年前、任務の前準備の段階でユキトと個人的に知り合えた偶然
——今となっては、宇宙の采配ではないかとすら思える。
そうでなければ、ユキトの人柄を深く知ることはなかった。
スキルは重要だが、ほしいのは能力だけではない。
実力主義というと誤解されがちだが、ウィステリアがほしいのは「人材」だ。
「人財」と言い換えてもいい。
大切なのは、スキルもふくめた人物そのものである。
もしユキトが、なにを犠牲にしてもいいマッドサイエンティストだったら。
もしユキトが、偽善的な平和主義者だったら。
もしユキトが、スキルに物を言わせる暴力者だったら。
スオウとヨイは決して、ユキトを見初めはしなかっただろう。
「だいたい、挫折しないやつはロクなことがない。散々打たれて、研がれて、削られて、そうやって強くなっていくもんだ。鋼の剣みたいにな」
ヨイはユキトを見つめながら、決意を口にする。
「ユキトはいつも、わたしの心を救ってくれる。だからわたしも、ユキトを支える」
二年前も、今も、ユキトは自分ばかりが非力で助けられていると思いこんでいる。
彼は知らないのだ。
女にはありえない怪力がコンプレックスだったことを。
この怪力を見てなお、普通の女の子として接してくれることの嬉しさを。
「黒真珠」と名づけ、この髪色を世界で一番好きだと笑う姿に、救われたのだということを。
スオウはひとつ頷き、思案するように指先を顎に添える。
「それにしても、どうしてユキトは色ナシとして生まれたんだろうな。存在しているんだから、霊子がないわけではないだろうに、どうして魔力がないのやら。色持たざる者が色を操るってのがまた、皮肉が効きすぎているというか……」
ユキトはこの容姿ゆえに、生誕直後に母親から捨てられたらしい。
ヨイが即座に反論した。
「ユキトは気持ち悪くなんかない」
「あー、はいはい。そうやっておまえが肯定し続ければ、いつか払拭できるだろうよ。……いっそ結婚するか?」
ヨイの顔が真っ赤に熟れる。
ナイフの柄がピキリと悲鳴をあげた。
馬車は三人を待ちわびる帝都を目指して、つつがなく進んだ。