2.門出
「……本当に置いていきやがりました、あのメルヘン王子……」
今までは心の中に留めていたんですが、もうかまいやしません。
こっちこそ我慢の限界だってんです。
「ていうか、あの四人の魔力、めちゃくちゃ汚くてびっくりしました。暴飲暴食、鍛錬不足、娼館入り浸り、日頃の不摂生のせいでしょうね……ぼくが調律していたから動けていましたけど、これから調律しなくて大丈夫ですかね?」
まあ、もう心配してやる義理はないんですけどね。
「はあ……なにが悪かったんでしょうね……」
全面的にあの王太子が正しい、と思っているわけではありません。
ただ、こんな状況になったのは自分の力不足も原因だろうと思うわけです。
それはスキルの能力という意味だけでなく……いろいろなものが。
白魔道士の劣化品。
ぼくはその評価に、なにも言えませんでした。
「対象いなくなっちゃいましたし、とりあえず全自動オフにして……」
——・——
ユキト・リンデン
職業/ 魔力調律師
ユニークスキル/ 魔力調律
レベル49
全自動モード/ON
応用スキル/《色彩鑑定》《色彩抽出》《色彩融解》《色彩融合》《色彩精製》
——・——
全自動モードを「ON」から「OFF」に切り替えます。
十歳のときに授かったユニークスキル《魔力調律》。
最初は霊子のこともよくわかりませんでしたが……。
美しい音を奏でるために、楽器を調律するのと同じ。
霊子をととのえて、魔力を調律することができる。
これはとても役に立てるのではないかと、とても嬉しかったんです。
だからこのスキルで役に立ちたいと思いました。
故郷の養母のもとから旅立って、一人前になろうと。
自分なりに頑張ってみようと、せっかく王都までやってきたんですが。
「全力で存在否定されたのは、これで二度目ですねえ」
泉に映る自分の顔は、我ながらなんとも情けないものです。
白魔道士の真似事をしているつもりはありませんでした。
支援魔法のプロフェッショナル。サポートの達人。
そんな彼らと簡単に並び立てるわけがないですから。
ただスキルを活かそうとして、結果的に似たようなポジションに立っていただけ
……この言い訳が、怠慢、甘えに見えたんでしょうか。
ぼくは無自覚に、無意識に、正規の白魔道士の人たちを貶めていたんでしょうか。
自分だけのスキルを活かして、自分にしかできないことをする。
この初心を、忘れたつもりはなかったのですが——。
「っと、いけませんね。反省会より先に、どうにか森を抜け出さないと死んじゃいます」
ぼくは戦闘力ゼロです。
体力と運動能力もカスです。
冗談抜きでこのままだと死にます。
転移魔石? 持ってるわけないでしょう、高価なんですよあれ。
王都から試練の泉の距離は、普通に歩くだけなら一日もかかりません。
魔物を倒しながらでも、せいぜい三日ほど。
森の本当の脅威は泉から先の奥なので、新米冒険者のチュートリアル的な範囲です。
王太子の試練、当初はもう少し奥までだったようですが……簡略化でしょうね。
なら、どうして第二王太子は一ヶ月も時間がかかったのか?
「飽きた」のひと言で毎日、自分だけ真っ先に王宮に転移しやがったからですよ。
だから遅々として進まなかったんです。
さて、せいぜい三日というのは一般的な場合です。
運動神経に関して、ぼくはぼくを信頼していません。
ええ、そこだけは無能だと甘んじて認めましょうとも。
なにせ五十メートル走なんて、華々しい十三秒台ですからね!
「とりあえず、警戒するのはスライム、ゴブリン……いや、安易な予想はダメです。さっきはケルベロスなんて出てこないところで出てきやがりましたし……」
突然強い魔物と出くわしても、せめて失神しないように心構えしておかなければ。
まあ失神しちゃったほうが楽かもしれませんけれど、メンタル的に。
ぶっちゃけめちゃくちゃ怖いです。
なるほど、金魚の糞でもビッチでも陰気メガネ野郎でも、戦えるだけぼくなんかより
……いや、やめましょう、今ここでネガティブはよろしくないです。
外套を身体に巻きつけて、革張りのアタッシュケースを両腕に抱え直します。
養母が贈ってくれたものです。
中にはぼくの宝物がいっぱい詰まっています。
これだけは失くせません。
死角になっている木陰や岩壁に注意しながら、そろそろと足を進めていると、
「さっきはマンイーターなんていなかったじゃないですか……」
さっそく遭遇したのは、いわゆる食人植物です。
ぐねぐねと気持ち悪い動きで通せんぼしてきやがります。
グロテスクな赤黒い色です。
迂回できないかと、視線を外さないようにして一歩下がります。
すると狙いすましたように、触手が何本も飛んできました。
こういうことに使いたくなかったんですが……しょうがないですね——ッ。
「《色彩融解》——ッ」
反射的に目をつむりながら叫ぶと、ブチャっと弾ける粘着質な音が炸裂しました。
続いて、ベチャ、ボタボタ、と地面に落ちる音。
おそるおそる目を開けると、赤黒い水溜まりが目の前にいくつも広がっています。
「うう……前に、こういうこともできるんじゃないかって確かに言われましたけど……自分のスキルが嫌なものに見えますね……うっぷ」
色は魔力。魔力は色。
色彩融解は、言い換えれば魔力分解です。
つまり物質を構成している霊子の繋がりをバラバラにするんですね。
一か八かの賭けでしたが……幸か不幸か成功してしまいました。
魔物というのは、いわば魔力の塊ですからね。
カラフルなのはそのせいでしょう。
つまり、色を融かしてしまえば形も保てなくなる。
理論上は可能だってわかっていたんです。
でも、試したことはなかったし、できればやりたくなかったです。
とはいえ、今はそんなことを言っていられません。
わかっています。
ぼくはこんなところで死ぬわけにはいかないんですから。
やりたくないこともやらなくてはいけない。
ぼくに足りなかったのは、そういう覚悟なんでしょうか。
「はあ、はあ……ちょっと、これは、なかなか……キツいですね……」
それからぼくは、何体もの魔物に遭遇して、何体もの魔物を融かしました。
体力もそうですが、精神的にもかなり追いこまれています。
いくら一瞬で融かせるといっても、ぼくは鈍臭いので何度も転びます。
魔物が無惨に融けるのは、見ていて気持ちいいものではありません。
森の外まで、あとどれくらいか——
考えるだけで気が遠くなります。
方向感覚もちょっと怪しくなってきました。
おまけに悪いことに、陽が落ちて暗くなってきています。
「どこか……身を隠せるところを探さないと……」
疲労で集中力が途切れ途切れです。
そんなぼくの油断を完璧について、魔物が上から降ってきました。
ガアアア——ッ
「っガーゴイル……!」
普通の冒険者なら、そんなに脅威的な魔物ではないでしょう。
ですが、しつこいですけどぼくですからね。
スライムですら冒険者にとってのドラゴン並みに脅威です。
一度目の襲撃ななんとか避けました。
でも、ぼくが体勢を立て直すよりガーゴイルのほうが速いです。
思考や感情がとっ散らかって、スキル発動を意識する余裕もありません。
ガーゴイルの叫び。
メリメリとなにかが引っこ抜かれる音。
すべてが同時に聞こえて、次に一番速かったのはブォンという謎の風圧でした。
「……は?」
ギャアァァ——
ガーゴイルの悲鳴があっという間に遠ざかります。
見事なホームランでした。
なにを言っているのかって感じですが、本当にホームランでした。
「ユキトっ、ユキト大丈夫!?」
聞き覚えのありすぎる声でした。
だって彼女は、ぼくが世界で一番好きな色を持っている子ですしね。
忘れるわけないです。
のろのろと振り返ると、薄闇の中で木を丸々一本抱えている彼女がいました。
もう一度言います。
木を丸々一本抱えて。
さらに付け加えると、かわいらしい王宮女官のスカート姿で。
なんという怪力でしょう。
それブン回してガーゴイルかっ飛ばしたんですか。
「……ヨイさん?」
呆然と呟くと、彼女はあからさまにホッとしました。
彼女は、ぼくが王都に来てから初めて知り合った人です。
いろいろあって、ぼくのユニークスキル事情を教えていたりします。
そのときに、彼女の色……魔力をちょっとコレクションに頂いたりしていました。
当初、彼女も彼女で仕事を探していて、女官になったのは知っていましたが……
どうして彼女がここにいるんでしょう?
「ユキト、無事でよかった……」
彼女の髪色は相変わらずぼくを魅了しました。
薄闇に同化することなく、黒真珠色は深い青みを帯びて凛と冴えています。
素肌は白真珠色で、顔立ちはどことなく甘い。
冷たそうな瞳の氷蒼色は、気を許した相手にだけやわらかくなるんですよね。
あれから二年ほど経ちますが、
「やっぱり、君の髪色が世界で一番好きですねえ……」
妙に感動して呟くと、彼女は抱えていた木を落としました。
ついでに襲いかかってきたゴブリンが下敷きになって潰れます。
「……で」
「え?」
「好きとか、言わないで……」
彼女が顔を覆ってしまいました。
はて、前にも似たようなことがあったような……
ああそうです、前は「かわいいとか、言わないで……」でしたっけ。
そのときも髪色を褒めましけど、そんなに恥ずかしいですかね。
ぼくはこの不気味な容姿です。
てらいなく好意を持たれるって、そうそうありません。
でも彼女は二年前も、気持ち悪がるどころか笑いかけてくれます。
彼女曰く、ぼくに救われたのだということですが……
正直、二年前も今も、明らかにぼくが助けられていますよね?
と、思い出に浸っているうちに、あることに気づきました。
「……あれ。君がいるということは、もしかして彼も——」
直感というやつです。
ここに至ってちょっと彼女の正体がわからなくなりましたが
……だからこそ。
彼女がいるなら、当然、彼もいるはず。
そんな謎の確信が自然と湧いたわけです。
「呼んだか?」
ドゴォ、という凄まじい音がしました。
振り返ると、想像したのと同一人物が飄々と笑っています。
ミノタウロスの顔面を片手で鷲掴んで、木に張りつけながら。
紅蓮の髪が篝火のようです。
ぼくがか弱いお姫さまなら、泣いてときめくんでしょうか。
「爆ぜろイケメン……」
ドン引きしながら呟くと、彼は目を瞬いてからおかしそうに言います。
「久しぶりに聞いたな、それ」
「君たち、魔法使わないで魔物ぶっ倒せるとか規格外すぎやしませんか」
彼が手を離すと、両足が宙に浮いていたミノタウロスは地面に潰れて動かなくなりました。
脳震盪ですかね。
「ヨイさんは女官、スオウさんは傭兵でしょう。どうしてここにいるんですか」
「第二王太子ご一行が、おまえを森に置き去りにしてきたって自慢して回っていたから、急いで来たんだよ」
「いや、ですから、それがなんで」
ていうか、たった数時間でぼくを探し出したんですか。
その身体能力、冒険者に軽く喧嘩売ってると思います。
彼女と彼は兄妹です。
二年前、ぼくは彼女と同時に彼とも知り合いになりました。
一応、そのときから二人が武闘の達人だと知っていたつもりなんですけどね。
特に頻繁に連絡を取り合っていたわけではなく、お互いに王宮にいるという認識程度でした。
少なくともぼくはそうです。
二人が人情に厚いのは知っていますが、だからって
——ううん、どうにも腑に落ちません。
もちろん、心配してくれたのは純粋に嬉しいですが。
「一応、置き去りにされた理由ならちゃんとあるんですよ。お二人が気にかけてくれるだけの価値が、ぼくにあるのかどうか……」
「なんだかよくわからないが、前より卑屈になっていないか?」
彼の呆れたような声が胸にしみます。
なんたって弱ってますからね。
気遣いがたっぷりふくまれているので、余計です。
「わたしたち、ユキトをもらいにきたの」
「……はあ?」
すっとんきょうな声が出ました。
しかたないでしょう。
いきなり、青天の霹靂みたいなことを言われたんですから。
「はあ、えっと、つまり? ぼくが、君たちに輿入れでもするんですか?」
ぼく、自分で思っているよりいろいろ動揺しているんでしょうね。
我ながらおかしなことを言ったと思います。
ちょっとそこの人、お兄さんなら爆笑していないでちゃんと説明しやがれってんです。
「ち、ちがうの、えっと、もらうっていうのは、引き抜きとか、スカウトっていう意味で……あの、その」
暗がりでもわかるほど頬を染めて、彼女が慌てふためいています。
彼女を見ていたら逆に落ち着いてきました。
「ヨイ、落ち着け。——まあそういうわけだ。絶賛卑屈になっているところ悪いが、今からおまえを攫うぞユキト」
「ユキト、わたしたちと一緒に行こう?」
ぼくは地べたに座りこんだまま、ポカンと二人を見あげます。
不敵な笑みを浮かべて手を差し出してくるスオウさん。
やわらかに微笑んで手を差し伸べてくるヨイさん。
「……君たちは、何者なんですか?」
「ウィステリア帝国騎士団諜報部隊二の翼、『暁月』」
「とんでもないことを明日の天気の話みたいにさらっと言わないでくれませんかねええ……!」
心の中で叫んだつもりが、見事に口に出ていました。
ウィステリア帝国。
大陸最大にして最強を誇るその名前を知らない人はいません。
アカシア王国にとっては敵国とも言えます。
さらに帝国騎士団諜報部隊といったら、大陸最恐として有名です。
一の翼『旭』。二の翼『暁月』。
名前と噂だけは散々聞きますが、その内実は謎に包まれています。
情報戦の猛者。策謀のエキスパート。
皇帝の命を受けて諸国のどこに潜み、誰に成りすましているのか誰にもわからないと。
戦争を起こさずして戦争を制する——
彼らの暗躍によって、かの国は覇者として君臨し続けているんですから。
「なんで、そんな人たちがぼくを……」
「ユキトが欲しいから」
手を差し伸べたまま、彼女が懇願するように言います。
「初めて会ったときから、ずっと思ってたの。ユキトがウィステリアにいてくれたらいいのにって。ウィステリアはきっと、あなたを必要とする」
とくりと鼓動が鳴りました。
咄嗟に胸元を押さえます。
「ぼく、は……」
ぼくが必要——
渇いていた心に、その言葉は甘く溶けました。
「おまえは以前、俺たちに言ったな。自分のユニークスキルを活かして、自分の存在価値を実感したいと」
二年前のことでしょう。
ぼくの話を真剣に聞いてくれたのは、故郷を出てから二人が初めてでした。
「愚かにもアカシアはおまえを捨てた。だが、実力主義のウィステリアならその夢を叶えさせてやれる。おまえの人柄と実力は俺とヨイが見極めた。そのうえでの勧誘だ。皇帝陛下もお気に召すだろうさ」
「わたしは、ユキトと頑張りたい。ウィステリアはいいところ。一緒に行こう。……ね?」
大丈夫。
言葉ではなく、二人の目がそう言っているのがわかりました。
「——……ぼくは、まだ、自分を諦めたくないんです」
自然と口をついて出ていました。
二人が頼もしい、とびきりの笑顔を浮かべます。
それがぼくの決意を固めました。
こんなにしっかりと、誰かの手を取ったのは初めてかもしれません。
「行きます。ウィステリアへ」
これがぼくの、新しい門出でした。